国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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無駄のある教育  2007年11月6日  No.192
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 中2の長文集(10.2週)の中に、「学校とは一点から一点への最長距離を教えることである」という一文があります。これは、勉強の本質を表しています。勉強で大事なことは、答えを出すことではなく、どのように答えを出すかというその方法です。答えではなく、答えを出す過程を学ぶことが勉強です。
 私(森川林)の話ですが、昔は、勉強の方法などを知らなかったので、高校生のころ、解けない数学の問題を何時間も考えて夜の街を散歩したことが何度もあります(笑)。今考えれば、すぐに解法を見てあるいは聞いて、その解法をまるごと理解するのがいちばん能率のよい勉強法だと分かるのですが、そのころは真面目に、問題は自分で考えて解かなければならないと思っていました。しかし、そういう回り道の経験があるせいか、今でも何か問題があると、自分で考えればそのうちよい答えが出るという考えを持つようになりました。それが欠点になることもあると思いますが。
 「葉隠」という本に、「分からないことの中には、分かるようにしてあるものもあり、また自然と分かることもあり、どうしても分からないこともある、それが面白いことだ」という言葉があります。これは、自分でよく考えた人の言葉だと思います。しかし、同じ「葉隠」に、「本当の知恵は他人に聞くことだ」という言葉もあります。これもまた、真理だと思います。
 教育評論家の和田秀樹氏と、数学者の森毅氏の数学に対する考え方は、対照的です。和田氏は、解けない問題は考えずにすぐに解法を見て理解せよ、という考えです。森氏は、解けない問題はむしろ考えることを楽しめ、というような意見です。しかし、両者の意見は対立しているのではありません。受験勉強のような能率を重視する勉強では、早く解法を見て理解することが大事です。しかし、ここで能率を上げて余裕のできた時間を、本当に考える問題を解く時間にあてるということなのです。これが、無駄のある教育です。
 では、その無駄のある教育とは、どこで行われるのでしょうか。それは、対話と経験と読書の中においてです。
 小学生のころの勉強は、時間をかければその時間に比例してよくなります。しかし、そこで必要以上に時間をかけるよりも、能率のよい勉強法を心掛けて、あるいは勉強はいったん脇に置いておいて、対話や経験や読書の時間を確保することが、家庭で行う本当の教育になると思います。

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