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未来の社会と教育(その7)  2009年4月14日  No.453
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 現代の社会では、成績のための勉強を避けることはできません。むしろ、成績を上げるための勉強に果敢に取り組んでいくというのが人間として正しい姿勢だと思います。しかし、未来の社会を考えると、それ以上に自己の向上のための勉強ということを考えていく必要があります。
 これは、仕事についても同じようなことが言えます。現代の社会の中では、利益を上げるための仕事というのが仕事の第一の目的です。しかし、未来の社会を考えると、社会に貢献するための仕事ということもそれ以上に考えていかなければなりません。
 そこで、現在の社会がどのようにして生まれたか、そして、未来の社会がどのように生まれるかということを大まかに述べたいと思います。
 これまでの社会を特徴づけるものは、限られた知識と限られた豊富さ、つまり無知と貧困に取り囲まれた世界でした。その無知と貧困を前提にした哲学によって、人間の社会が成り立っていたのです。
 限られた知識と限られた豊かさの中で社会を発展させていくための原動力は、支配と被支配の関係です。近代ヨーロッパの哲学の多くは、この支配と被支配の関係を理論化する役割を果たしました。
 例えば、マルサスの人口論は、限られた富は分かち合うことができないという観念をもたらしました。ダーウィンの進化論は、知識の有無は埋めることのできない生得的なものだという観念をもたらしました。アダムスミスの自由貿易主義は、エゴイズムが世界の利益につながるという観念をもたらしました。
 ところが、日本の社会は、哲学という明確な形こそ持ちませんでしたが、文化という形で自然にこの無知と貧困を克服する道を見つけていました。
 例えば日本人は、限られた富を奪い合うという考え方をしません。限られた富を前提にしてそれをどのように配分するかという考え方をするよりも、限られていること自体を豊かさに変えるという発想をします。つまり、貧しいから差別があるのは当然だと思うのではなく、貧しさを克服する豊かな社会を作ることが社会の目的だという考え方をしやすいのです。
 また知識に関しても、人間には生まれつき生得的な能力の差があるというような考え方をするよりも、誰でも学べば同じような知識に到達することができるという考え方をしがちです。
 さらに、自己の利益が社会の利益につながると考えるよりも、思いやりを持った助け合いの気持ちが、自分自身に返ってくるという発想をしがちです。
 このように、欧米の無知と貧困を前提にした支配と被支配の哲学を克服する文化を日本の社会は持っています。この文化をさらに哲学的なレベルにまで高めていけば、日本の文化が世界の文化を変えることに大きく貢献していくと思います。

 次回は、未来の話です。
(つづく)

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