だが、「多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲れさせる」という言葉があるように、自分がしたいばかりして時を過ごしていては、後々に疲れてしまうのである。 (78字)
分刻みに時刻を示す時計が発明され、産業革命時代には多くの場面で利用される様になる。そして時計の発明により、人々の暮らしは時間に追われるように窮屈なものになった。『時間の話』において、著者の袖井孝子氏はそう語る。これに似た話は、私も耳にしたことがある。私が現在住んでいるモンゴルでは、時間がゆっくりと流れている所と、齷齪としている所と二ヶ所存在する。例えば、遊牧民として暮らしていると、細かい時間などは知る必要はなく、朝昼晩と大まかに時間を区切っている。そのゆったりとした、忙しさなど初めからない暮らしているのである。だが都会の首都圏に出ると、人々は忙しなく車を走らせ、規則正しい生活を送っているのだ。この同国内で発生している齟齬は、袖井氏が文中に述べた、時計の発明による結果なのだろう。
そして袖井氏の『時計の話』を読み終えた時、私は時間をより効率的に有意義な方法で活用しようと深く感じた。時間を効率よく使う事によって、自分の暮らしをよりよくしたいと考えているからだ。
私が求める生き方を実行するために考えられる一つの方法として、まず自分が何をしなければいけないのか、理解する事にあると思っている。
例えば、私がどうしてもゲームをしたかったとする。だがその日は学校で課題を出されている。もし私が『ゲームをする』という自分の欲に従い、一日をゲームにだけ費やしたとする。結果とし当然、課題を終える事はできず、寝る間を惜しんで終えるか、課題を終える事自体を放棄するかもしれない。だが、もし時間を効率よく使えば、課題も終え、自分がしたい事も出来るのだ。その手段の一つとして、自分が課されたタスクを書き出すことが重要だと考えている。
例えば、数学と国語の問題集を数枚出され、理科のレポートしなければいけないとする。まず初めに、やらなければいけない課題を書き出す。そして次に、課題の横に提出日を記すのだ。そうする事により、自然と優先順位が決められる。もし提出日が近ければ、自然とストレスがかかり、今日のうちに終えてしまおうという思考に至るのだ。そしてもし、課題の優先順位の中で、ゲームをしても差し支えのないものがあれば、ゲームをする事も可能だ。時間を効率よく使い、過ごすために、この方法を応用することは、私自身のモチベーションアップとなるのである。
また別の方法として、ポモドーロ・テクニックが非常に有効だと私は考えている。
長時間同じ作業をしていると、どうしても集中力が切れてしまうものである。それは当たり前な事で、人は余程なものでない限り、何時間も同じ事はしにくいのだ。だが、ポモドーロ・テクニックなどの時間管理に有効的な手法を使えば、やらなければいけない事とやりたい事の両方が出来る。
ポモドーロ・テクニックは、イタリア出身のコンサルタントが編み出した時間管理術だ。二十五分ほど作業に集中した後、五分間の休憩が入る。そして五分が過ぎれば、また二十五分間の作業を再開する。このようなサイクルを繰り返し、作業の合間に休みを挟む事で、集中力が切れにくくなり、効率性と生産性が向上するのだ。また、このサイクルを十回か繰り返した後、五分以上の休憩が取れるため、この間に自分がしたい事をする事も可能である。
このように、時間管理術を活用する事によって、効率性を上げ、課題とやりたいことの両方を実行に移す事ができるのだ。
限られた時間の中で、効率的に過ごすという生き方に反発する人もいるであろう。ミヒャエル・エンデの作品『モモ』に登場する灰色の男たちのように、時間にばかり囚われていると、内面的な幸福を体験する事が出来ないのだ。だが、「多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲れさせる」という言葉があるように、自分がしたいばかりして時を過ごしていては、後々に疲れてしまうのである。ならば、自分がやらなければいけない事をしながら、同時に休息をとるという生き方をする方が、より効率的で幸せなのではないだろうか。私はそう考えている。
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