ニュースキャスターの経験の中で学んだこととして、“天気のコーナーを受けて、「晴れが続いていいですね」というようなことを簡単に言っていたが、実は世の中には「雨」を待ち望んでいる人もいるということに気がついた”というような話でした。 (114字)
ゆた組のみなさん、こんにちは。 学級新聞・良いと思われることでも 号です。
先月、首都圏のJR線駅構内が全面禁煙になったというニュースがありました。私はタバコを吸わないので全く困らないし、JR線を使うこともあまりないので「おっ、変わったな」と思うわけでもないのですが、このニュースには少々釈然としないものを感じました。
確かに、タバコを嫌う人や迷惑をこうむる人の気持ちはわかります。禁煙や喫煙場所の制限によって、タバコのポイ捨てが減り、環境美化につながることも喜ばしいことです。しかしまた一方で、ホームの喫煙コーナーという線で区切られただけのスペースにギュウギュウ詰めになりながら肩身の狭い思いをしてタバコを吸っていた人達が排除されてしまうのも、気の毒に思います。
「乗客からの要望により全面禁煙にした」ということですが、ここで気になったのは、あたかも喫煙が「悪」でそれを排除することが「正義」のように感じられてしまうことでした。
確かに、多くの大人がどこでもタバコを吸っていたころは、ポイ捨てされた吸い殻が大量にあったし、タバコを吸わない人への配慮も欠けていて、マナーの悪さは目に余りました。健康にも悪影響を与えるとあっては、悪者扱いしてもいいような気にもなります。
しかし、駅の決まりをきちんと守って喫煙スペースで一服している人達は、マナーの点では悪くありません。問題は、一か所に集められているからこそ起こる“煙”の面の方です。分煙の努力はもっとできそうなのに、一足飛びに「全面禁煙」というのでは、結局は嫌煙家のみが発言権を持っていて、タバコを吸う人達はだまっているしかないということなのかと、不公平に思えてきます。
気の毒なのは、タバコを吸う人達ばかりではなく、タバコに関する仕事をして生計を立てている人達です。こちらは「嗜好」ではなく「生活」に関わることなので深刻です。
世界的な禁煙ブームでもあり、喫煙者の肩身が狭くなっていくことでタバコをやめる人が増えています。それは長い目で見れば時代の流れとして仕方のないことなのかもしれません。きっとそれが望ましい道なのでしょう。しかしその陰に、収入が急速に減少し、商売が続けられなくなってしまう人もいるということも知っておくべきだと思います。
言葉の森の「テイカカズラ」の長文にもある新美南吉の『おじいさんのランプ』では、電気の登場でランプを売る仕事に危機感を覚えた主人公の心の葛藤が描かれています。実際に、電気の普及は人々の心をとらえ、その後確かに電気のおかげで生活は劇的に便利に豊かになっていきました。しかし、そこに悩み苦しんだ人がいたということは、世間ではあまり気づかれません。
「良い」と思われることでも困ったり悲しんだりする人がいるということを私が知ったのは、テレビのアナウンサーだった逸見政孝さんのこんな話を聞いたことからでした。ニュースキャスターの経験の中で学んだこととして、“天気のコーナーを受けて、「晴れが続いていいですね」というようなことを簡単に言っていたが、実は世の中には「雨」を待ち望んでいる人もいるということに気がついた”というような話でした。農業や雨具関係の仕事の人など、雨を待っている人がいるということを心に留めておくのとおかないのでは、キャスターとしての言葉の深みが全然違うということなのだと思います。私はこの話を聞いたとき、雨を待ち望んでいる人の存在を考えたこともなかった自分に、初めて気がつきました。
自分にとって「良い」と思われることにとらわれすぎていると、心が狭くなります。自分にとって良いことでもその陰で困ったり悲しんだりしている人がいる場合があるということを知っていれば、反対に、雨をうっとうしく感じたときでも、「あぁ、でもこの雨を嬉しく思っている人もいるのかもしれない。だからいいか」と考えることができるようになります。自分にとっても幸せな考え方です。
最後に今年の私のテーマ「落語」のこと(^^)。落語にはキセルでたばこを吸う場面がよく出てきます。扇子と手ぬぐいを使って、おいしそうに吸います。見ている方もその呼吸に合わせてゆったりしたりせかせかしたりします。日本には日本ならではのタバコ文化があったということも忘れたくないものです。
>>
後半1200字のみ表示にする