この差は目に見えない「社会的ハンディキャップ」が働いており、権利を行使できたり、法を持ち出してものごとを要求したりすることができるような立場にいるかいないかで大きく有利不利が分かれてしまう。 (95字)
世の中は同じ境遇や条件の中であってもそこには変化に対して影響を受けやすい「誰か」がいるのであり、いったん社会的な変動が起これば、その「誰か」が真っ先に被害を被ることになる。つまり、同じ状況下にあるからといって、誰にでも同じように惨禍がふりかかるわけではないのだ。この差は目に見えない「社会的ハンディキャップ」が働いており、権利を行使できたり、法を持ち出してものごとを要求したりすることができるような立場にいるかいないかで大きく有利不利が分かれてしまう。このようなハンディは「もの」の量や、「権利」や「法」の平等だけでなんとかなるというものではない、きわめて社会的かつ文化的なものなのである。この文章を読み私は、立場的有利不利をなくすために社会的かつ文化的な平等を掲げるべきだと思案した。
その方法一つ目は、世の中は変わるということを頭に入れておくことだ。世界は変わっていく。これは紛れもない事実である。しかし、この変化は目に見えるものだけではなく、目に見えない考え方なども同じだ。固定概念といった方が分かりやすいだろうか。昔の当たり前が今では的違いになっていること。このような経験をした人は多いのではないだろうか。しかしこのような時、変化に戸惑い、皆についていけなくなってしまうのではなく、対応していける方が良いと思う。だから、世の中は変わるということを頭に入れておくことで社会的かつ文化的な変化にも対応できると思案する。私も久しぶりに日本に帰った時、友達の雰囲気の変わりようにとても驚いた。確かに私は日本を離れてから一度も連絡を取り合っていなかったから仕方がないことだが、知らない言葉は飛び交うし話題にはついていけないし散々だった。しかし、途中から私と同じように彼らも変わっていっているのだと理解をして、話の波に乗り、わからないことなどを聞きながら何とか対応してその場の空気を保った。もし、私がその状況下で戸惑い続けてしまっていたら場の雰囲気が少し悪くなってしまうかもしれない。また、それが原因でそれ以降、私には素を見せてくれないかもしれない。だから、臨機応変に対応できることは世間の平等のために重要だ。
また二つ目の方法は、人々の考えを世界全体が理解しあえるように努めることだ。力が弱い人が弱いままの理由は強い人々がそれを理解しきれてないことにあると思案する。それにより、上層部の人間たちはルールを変えるべきだということに気付かず、弱者がすっと苦しむ世の中になってしまっている。だから、人々が自分がどのように考えているかを理解しあうことで世間のルールが変革され、立場上の平等を図れるのではないだろうか。現在日本では国・行政のあり方に関する懇談会に若者を多く取り入れる動きが始まっている。昔から日本では男性や歳が高い人ほど権力や威厳があり、そのような人たちが中心に国が回っていた。そのため、若い人たちや女性の意見はあまり取り入れられなかった。しかし、この懇談会では二十代から四十代を多く参加メンバーに組み込み、また女性を半分以上参加させた。この動きは国を今までとは違う方向へと導くアイデアを出す可能性を高め、日本がより進歩出来る要因の一つになるかもしれない。だから、人々の考えを世の中が理解することは文化的な平等のために重要である。
確かに、目に見えるハンディキャップを直さなければ世界は平等になれないだろう。しかし、「いくらその人が強くても棒では剣に勝てない。」という名言もあるように、人々に同じ剣を持たせ、等しい条件を作ることが平等のために重要だと思う。そして、立場上での平等が出来たのなら、いろいろな人からのアイデアを取り入れさらに進歩することも出来るだろう。だから、人々が自分の考えを表に出せるように、私は立場的有利不利をなくすために社会的かつ文化的な平等を掲げるべきだと思案する。
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