またその他にも高齢化は様々な面で懸念されており直近の自民党総選挙でも各立候補者が高齢化へ年金制度やその他様々な対応を一つのトピックとして、どう対処していくのかなどを述べている。 (88字)
近頃日本では少子高齢化が問題になっており、特に高齢化の急増がコロナウイルスの対応などに影響を与えている。またその他にも高齢化は様々な面で懸念されており直近の自民党総選挙でも各立候補者が高齢化へ年金制度やその他様々な対応を一つのトピックとして、どう対処していくのかなどを述べている。このようなことから高齢化に対してマイナスのイメージを持つ人は多い。しかし実際の所、高齢者が多いことは経済や社会面が非常に高質だというのを裏付ける一つの要因にもなる。だから、我々が今すべきことは高齢化社会への対策ではなく、社会全体を高齢者を新たな軸として創り上げることなのではないだろうか。従って、私は高齢化社会という暗い印象を良い印象に変えるためにこの社会の仕組みを精査し改革していくべきだと思案した。
その方法一つ目は、高齢者に限らず助け合いの精神を大切にすることだ。現代社会、私の見解で日本人は助け合いの精神が薄れているように感じる。これは、一人一人の多忙さや助けられた側の対応にも関係しているが、それでも共存して感謝の言葉をかけあう状況とは程遠い国になってしまった気がする。私は海外生活の中で様々な日本に対してのお褒めの言葉を頂いた。しかし、日本は助け合っていてとても温かい国だねとは聞いたことは一度もない。この助け合いの少なさは、高齢者が生きにくい社会の原因の一つなのではないだろうか。中学生の頃、私は海外の学校に通っていた。そのころの私は日常会話や学校の授業に関しては問題なかったが母国語が日本語なため英語文法に多少の難があった。そんなある日、学校でエッセイの課題が出た。そのため私は、いつも通り課題をこなしていると仲の良かった友人から文法のミスを確認してやると頼んでもいないのにチェックしてくれた。私はそれに多大な感謝の気持ちを持ち、お返しに彼が選択していた日本語の手伝いをしてあげた。この助け合いは私たちの友人関係をより友好なものにし、関係面でも勉強面でも双方にメリットがあったと感じた。そのため、社会の仕組みを改革するために私たちはまず助け合いの精神を大切にすることが重要だと思った。
また二つ目の方法は、高齢者イコール劣化版若年者だと思わない社会を創ることだ。老人の増加に懸念を持つ人々の考えの根本にあるのが老人が多いと社会が円滑に回らなくなるといった思考があるからだろう。確かに、歳を取れば取るほど体は鈍くなり日常業務や人のためになることは難しくなる。しかし、年寄の人々には若者にはない経験の量と知恵の数々がある。私の母も、祖父から生活で必要な道具一式を揃えてもらったことがあるそうだ。それらの道具は母の新生活で何かしらの助けになり非常に役に立ったと述べていた。この必要な道具の知識も祖父が長年の生活で感じた必要性があったからこそ揃えられたのであり一朝一夕には身につかないものだ。これらの知識や知恵を備えているのは長寿の年寄だからこそなのだろう。だから、高齢者は高齢者なりの役の立ち方があり、その社会を創るためにまず高齢者を劣化版若者だと思わないことが重要になる。現在、日本では人手不足、人材確保という問題を抱えている。それに対し、まだ働きたいと申している高齢者は全国の八割いる。では、なぜ彼らは働かせてもらえないのだろうか。理由は単純明白、人々の思い込みにより実際は優秀な年寄りでも合わずとも良い人材ではないと判断しているからだ。働きたいけれど働かせてもらえない。それで起こる人手不足。この問題は人々の固定概念を変えるだけで案外簡単に直せる問題ではなかろうか。従って、高齢者を若者の下の位置に格付けしないことが社会の仕組みを改革するために重要になる。
確かに、老人の増加は若者にとって多少の負担になるだろう。金銭面、権利面、体力面などでも、上に人が新たに立つことによって働きにくさも感じてしまうだろう。しかし、「高齢者は役目を終えた大人ではなく様々な経験を積んだエリートだ。」という言葉もあるように、多くのノウハウを秘めている高齢者は世の中にいるどの人材よりも希少価値がある。ただでさえ生きるのが困難なこの世界で長く生きてことはそれだけで素晴らしい実績となる。そのエリートたちが多い日本はいわば幸せとも言えよう。だから、私は社会の仕組みを高齢化と共に改革すべきだと思案した。そのために私は、助け合いの精神を持ち高齢者なりの生き方を理解していきたい。
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