それは、さまざまな煩わしさを含めても、自然が私たちに提供してくれる環境や、より自然に近いものの中にはいつも、予期せぬ驚きや、肌で実感できる心地良さがあるからだ。 (80字)
家と家との間に何となく作られた人間のふみならした道だが、その道は最近アスファルトがしかれてしまった。夏の日など、かごを下げて歩いてみると、いかにもむんむんして照りかえしがきつい。それに何ともふぜいがなくなった。道にはいろいろなものがあった。しゃれた石、虫の死骸、雑草の可憐な花、ラムネびんの破片、石炭のかけら、鳥の羽。そんなものにいちいち心をとめながら、ゆっくりとこどもは楽しみながら歩くのであった。舗装された道にはそんな、手にとりたいようなものは何にもないのだ。もちろん舗装ほそうされた道も場合によっては大切である。だが、道が一番道らしいのは、人間のくらしをあたたかに支え、いろいろなものを発見することのできるふみしめられた道である。
僕が昔で住んでいた家の裏のベランダには人工の芝生があった。それは、本物の芝生のようには成長しないため、水やりや芝刈りといった手入れのわずらわしさがない。すなわち、これらの点で便利だ。しかし、人工の芝生は生きた植物ではないので草らしいの香りもない。昔の家など自然の良さを生かして設計された庭には雑草が生い茂り、ひんぱんに世話をしなくてはならなかったそうだ。しかし、そこには、虫などが集まりやすい条件がそろい、他にも多くの鳥類や小動物、微生物などといった生き物で賑わっていたという。僕は、そこで遊ぶと想定してみた。すると、「蚊に足を刺されないから」という理由で人工の芝生のほうが都合が良いという考えに行き着いた。しかしながら、少し落ち着いて辺りを眺める場合、草の匂いやそこに住む虫などがいたほうが風情があって良いと思う。つまり、人工と自然にはそれぞれの特徴が互いに違うものだが、それを人がどうとらえる状況にあるかによって感じ方に差が出てくることが分かった。
他にも、人間にとって都合の良いように、技術の進歩を用いて導入されたものを考えるとき、電子書籍が頭に浮かぶ。これは、紙の本を並べるより場所を取らないという点において、部屋のスペースを有効活用したい人には便利だ。しかも、その薄さは持ち運びが楽ということで、通学や通勤、または旅行の時の持ち歩きだが容易だ。他方では、外国で日本の本を取り寄せる場合、航空便や船便の送料がかかる。しかし、電子版では、デバイスに書籍をダウンロードするだけで入手可能であるし、本が届くまでの日数を心配しなくて良いという利点もある。欲しい本の電子版があれば、こうした条件では、経済的であるだけでなく、すぐに入手できる手軽さも魅力になる。ただし、僕自身の好みを言えば、紙質を肌で感じることのできる従来の本の方が、「読んでいる感じ」がリアルに伝わり、心地よいと思う。加えて、電子書籍の画面を使うときの目の疲れも心配しなくてよいし、さらに、どこまで読んだかを目と手で実感するのを、ちょっとした楽しみにしている。
人間にとって人工的に造ったものは、長所もあれば短所もある。時に、短所が長所になることもある。僕は自然の環境の中にいることの方が、人工的な環境の中に置かれるよりも楽しいと感じることが多い。それは、さまざまな煩わしさを含めても、自然が私たちに提供してくれる環境や、より自然に近いものの中にはいつも、予期せぬ驚きや、肌で実感できる心地良さがあるからだ。つまり、一見不便と感じるものの中にも楽しみがたくさんあるということだ。それとは逆に、人間が便利さを追求するペースが早すぎて、知らず知らずに自然を破壊したり、自然に還元されないゴミを出してしまう可能性も無視できない。たとえば、アスファルトは太陽の照り返しを強め、夏の間、都市部の気温を不必要にに上げてしまう。プラスチックでできた人工芝や貴金属が含まれる電子書籍などの機械は、そのまま捨てても土に還らないのでそこに住む生物に害を与える。こうしたことを考えると、長い目で見て人間と自然とのバランスがおかしくならないような工夫が必要だ。便利さと不便さの間を行ったり来たりしながら互いに良い関係を保つ方法を考え、実行してくことも大切だ。自然との触れ合いを通し、これらの関心を高めることができると思う。
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