●総合 90 点 

字  数 1185 字 思考語彙 64 点  (22 個)
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-0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0-
00-02-04-06-08-10-12-14-16-18-20-22-24-26-28-30-
知識語彙 96 点  (106 種)
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-0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--1--1--1--1--1-
00-09-18-27-36-45-54-63-72-81-90-99-08-17-26-35-44-
 表現語彙 101 点  (189 種)
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-0--0--0--0--0--0--0--1--1--1--1--1--1--1--2--2--2--2-
00-15-30-45-60-75-90-05-20-35-50-65-80-95-10-25-40-55-

点数はほかの人の点数との関連で毎日少しずつ変わります。
棒グラフは全作品の分布で、濃い部分は当作品の位置です。 をクリックすると、最新のデータをもとに再計算されます。

【総評】 点数はそれぞれの級の合格ラインの目安です。 20080901 改訂
12級11級10級9級8級7級6級5級4級3級準2級2級準1級1級
総合52点~59点~62点~64点~69点~72点~74点~78点~81点~86点~88点~90点~91点~92点~
相当学年小1小2小3小4小5小6中1中2中3高1高2高3大社大社
合格率95%95%90%90%85%85%80%70%60%50%40%30%20%10%
思考語彙34点~35点~36点~37点~40点~43点~50点~52点~55点~62点~65点~67点~70点~73点~
知識語彙40点~41点~42点~43点~47点~49点~52点~56点~60点~65点~70点~78点~85点~90点~
表現語彙46点~48点~50点~52点~56点~57点~58点~62点~65点~71点~73点~80点~86点~91点~
思考語彙:意見や説明を書く力/知識語彙:難しい言葉や漢字を使う力/表現語彙:多様な実例や表現を書く力
 
  
思考語彙64


































































101
知識語彙96
△上の三角形の高さは思考語彙
▽下の三角形の深さは知識語彙
三角形の横の長さは表現語彙
○円の大きさは字数
(円はひし型の後ろに隠れている場合があります)。
【文体】
 ◎文の流れがリズミカルです。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
【語彙バランス】
 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-0点)

△三角形の高さは思考語彙、▽逆三角形の深さは知識語彙、
△▽の底辺は表現語彙、○円の幅は字数。

【文リズム】  (一文中の文節的語彙群の数) ~6個 7~10個 11~14個 15~18個 19個~

080606110712110610111216101808151216110810080320100207


【文の長さのグラフ】 -20字短い文 21-40字やや短い文 41-50字中ぐらいの文 51-70字やや長い文 71字-長い文
21 ない。
22 めた。
35 った。
46 える。
37 ある。
41 ある。
44 いる。
23 んだ。
38 いた。
51 ある。
47 とだ。
73 ある。
44 ない。
83 ある。
46 ある。
59 いた。
55 した。
63 なる。
56 ある。
29 ある。
37 しい。
41 する。
18 ない。
96 うか。
42 える。
8 術だ。
26 いる。
96
83
73
63
59
56
55
51
47
46
46
44
44
42
41
41
38
37
37
35
29
26
23
22
21
18
8

【最長の文】 (最長の文は、文章全体の特徴を表しています)
しかし、現実とは、虚構を認識して初めて実存するものだ、という名言のあるように、目を向けるべきなのは目の前の字面や額面通りの言葉ではなく、人間の空白として自由に動き回る言葉なのではないだろうか。 (96字)
 

【本文】
 え、私語彙力ないから、ヤバいしか言えない。クラスメイトの言葉を聞いて、私は眉を顰めた。言葉が語彙という高尚な枠に入れられて、息苦しそうな気がしたからだった。これを踏まえて私は、言葉をうまく使いこなせないまま、言葉に振り回される現代が問題だと考える。
 第一の原因としては、言葉が単体で用いられることが少なくなったからである。アニメを見ても、絵本を見ても、言葉の横には常に色彩豊かで明瞭なグラフィックがある。ただ、果たしてそれが人間の表現として単純に発達したといえるのか、私は懐疑的に捉えている。前に、芥川龍之介の「偸盗」という作品を読んだ。軽い心持ちで読み始めたのに、私はいつのまにか、女の死体にたかる蝿を見ていた。言葉が言葉以上に現実味を帯びるとは、こういうことを言うのだ、と付き纏う不気味さと共に考えた覚えがある。またここで興味深いのは、私はその文章を、どんなアニメの実写よりも五感を総動員して読んだことだ。つまり、言葉をうまく使う能力というのは、語彙はもちろんのこと、その余白に人々が想像をする隙間が絶妙にあることを指すのではないか、と考えたのである。現代のイラストやアニメーションと共に使われる機会が多い言葉を否定するわけでは決してない。しかし、字面や台詞単体としての言葉ではなく、人間の表現としての言語を使えてはじめて、私たちは言語を文字通りではなく、それを超えた次元で読み合わせられると思うのである。
 第二の原因としては、言葉と個人が完全一致なものとして結び付けられるようになったからである。日本では、嘘も方便、終わりよければすべてよし、と言った場当たり的な表現があるように、その場の雰囲気が重要視されていた。しかし、西欧からの文化を輸入したことによって、発言はその個人の人格と結び付けられ、責任を伴うものへと変化した。民主主義はまさに、言葉によって他者からの信頼を獲得する制度ともいえ、その公約や発言を反故にすれば、嘘つきだ、ということになる。結果的に生み出したのは、同調的な空気は残したまま、発言に責任を持たなければならないという、日本の歪な世界である。炎上を恐れて発言できない、なんていうのはかくたる例である。一度自然に目を向ければ、これだけ意識に肉体が支配されている生き物は珍しい。責任を追い求めて自分を消すくらいなら、時には「嘘つき」になることも大切な気もする。
 確かに、言葉は現実のものではない。しかし、現実とは、虚構を認識して初めて実存するものだ、という名言のあるように、目を向けるべきなのは目の前の字面や額面通りの言葉ではなく、人間の空白として自由に動き回る言葉なのではないだろうか。だから私は、言葉をうまく使いこなせないまま、言葉に振り回される現代が問題だと考える。言葉は錬金術だ。別に実態がなくとも、それでいいのだと私は思っている。

原文   森リン ベスト5