●総合 88 点 

字  数 1401 字 思考語彙 59 点  (18 個)
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-0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0-
00-02-04-06-08-10-12-14-16-18-20-22-24-26-28-30-
知識語彙 97 点  (107 種)
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-0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--0--1--1--1--1--1-
00-09-18-27-36-45-54-63-72-81-90-99-08-17-26-35-44-
 表現語彙 95 点  (170 種)
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-0--0--0--0--0--0--0--1--1--1--1--1--1--1--2--2--2--2-
00-15-30-45-60-75-90-05-20-35-50-65-80-95-10-25-40-55-

点数はほかの人の点数との関連で毎日少しずつ変わります。
棒グラフは全作品の分布で、濃い部分は当作品の位置です。 をクリックすると、最新のデータをもとに再計算されます。

【総評】 点数はそれぞれの級の合格ラインの目安です。 20080901 改訂
12級11級10級9級8級7級6級5級4級3級準2級2級準1級1級
総合52点~59点~62点~64点~69点~72点~74点~78点~81点~86点~88点~90点~91点~92点~
相当学年小1小2小3小4小5小6中1中2中3高1高2高3大社大社
合格率95%95%90%90%85%85%80%70%60%50%40%30%20%10%
思考語彙34点~35点~36点~37点~40点~43点~50点~52点~55点~62点~65点~67点~70点~73点~
知識語彙40点~41点~42点~43点~47点~49点~52点~56点~60点~65点~70点~78点~85点~90点~
表現語彙46点~48点~50点~52点~56点~57点~58点~62点~65点~71点~73点~80点~86点~91点~
思考語彙:意見や説明を書く力/知識語彙:難しい言葉や漢字を使う力/表現語彙:多様な実例や表現を書く力
 
  
思考語彙59


































































95
知識語彙97
△上の三角形の高さは思考語彙
▽下の三角形の深さは知識語彙
三角形の横の長さは表現語彙
○円の大きさは字数
(円はひし型の後ろに隠れている場合があります)。
【文体】
 ○文の流れが自然です。
 ○文章の中心がよくしぼられています。
【語彙バランス】
 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-0点)

△三角形の高さは思考語彙、▽逆三角形の深さは知識語彙、
△▽の底辺は表現語彙、○円の幅は字数。

【文リズム】  (一文中の文節的語彙群の数) ~6個 7~10個 11~14個 15~18個 19個~

101002080508101211191310081811080306090716101315060717071507060706


【文の長さのグラフ】 -20字短い文 21-40字やや短い文 41-50字中ぐらいの文 51-70字やや長い文 71字-長い文
51 った。
44 いる。
11 こと。
35 える。
24 れる。
30 える。
53 ある。
54 いた。
54 った。
67 った。
64 りだ。
40 ある。
37 いる。
71 ろう。
54 ある。
37 物だ。
16 ある。
32 ない。
43 ろう。
27 ばだ。
79 いく。
41 ある。
52 える。
57 語る。
29 ない。
28 ない。
77 のだ。
30 いい。
68 ある。
25 える。
22 ろう。
21 あれ。
23 」と。
79
77
71
68
67
64
57
54
54
54
53
52
51
44
43
41
40
37
37
35
32
30
30
29
28
27
25
24
23
22
21
16
11

【最長の文】 (最長の文は、文章全体の特徴を表しています)
親子間の関係性は他者が介入しにくいからこそ、親から子供への行為が、自身の立場と満足に由来したものであればあるほど、それは解決しにくく、歪んだものとなっていく。 (79字)
 

【本文】
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とは、長期間の視点を持った時に大きな意味を持ってくることを認識することである。私は、小学生の頃かなりのお転婆さんだったので、登下校中の電車内での態度が悪く、頻繁に小学校に通報されていた。小学生の私としては、友達と遊んで話をしていただけだったから、叱られる意味がわからず、理不尽な気持ちになった。しかし、高校生になって変わらず電車登校をしている今、私は通勤電車での小学生の行為が周りに与える印象を、大人目線で認識するようになった。エスカレーターの入り口に立ってしまったり、席を立ったり座ったりと、確かに迷惑行為なのだが、どれも昔の私がやっていたことばかりだ。私は当時叱っていた大人の気持ちを、いくらかの時空を経てようやく理解したのである。今は、子供に対しても公共の礼儀を求めて叱ってくれた大人たちに感謝している。最終的には、叱られる小学生の気持ちも、迷惑に思う大人の心情も推し量れる両者の中間地点に立っていられる私は、幼少期の体験の賜物ともいえるだろう。
 第二の方法としては、叱るという行為が、権威と自己満足に由来したものでないか、社会が常に精査することである。怒りと叱りは別物でありながら、誠に履き違えやすく、盲目になりやすい代物だ。わかりやすいのは親子関係である。子供にとって親は、生まれた時から絶対的な権威であり、逆らえない。一方の親にとって、子供は愛しい存在でありながら、どこか自分の影を持つようなものだろう。そこに自己満足、過去の自分を投影することもしばしばだ。親子間の関係性は他者が介入しにくいからこそ、親から子供への行為が、自身の立場と満足に由来したものであればあるほど、それは解決しにくく、歪んだものとなっていく。そこで強者こそが、弱者との公平さを意識した上で、対等な関係性を意識する必要がある。大きな視点で言えば、上司や教師、また経済での優位国が弱国に制裁を加えることに関しても、同じことが言える。それは叱りでありながら、時として理不尽な側面を持つことは、第二次世界大戦後に各地で起こる、大国の代替戦争が物語る。 
 確かに、叱るということは、人に幸福を与えるものではない。しかし、「人から何も言われないやつは天才なんかじゃない。よっぽど頭がおかしいか、孤独かのどっちかだ。」という名言のあるように、叱るということは、人同士の摩擦であり、多少熱が生じようとも、避けては通れないものだ。叱られた分だけ、自分は周りから愛されていると解釈すればいい。大切なのは、叱ることの真価を理解した上で、それを素直に自分の中に取り込み、いかにうまく消化して未来の自分に投資するか、ということである。だから、私は時と場合に応じて、叱るべきだと考える。小学生の私に、高校生の私は笑っていうだろう。「許しを乞う前に、相手を心配する人であれ。その意味が今は少しわかるかもしれないよ。」と。

原文   森リン ベスト5