●総合 86 点
点数はほかの人の点数との関連で毎日少しずつ変わります。
棒グラフは全作品の分布で、濃い部分は当作品の位置です。 ☆をクリックすると、最新のデータをもとに再計算されます。
【総評】 点数はそれぞれの級の合格ラインの目安です。 20080901 改訂
級 | 12級 | 11級 | 10級 | 9級 | 8級 | 7級 | 6級 | 5級 | 4級 | 3級 | 準2級 | 2級 | 準1級 | 1級 |
総合 | 52点~ | 59点~ | 62点~ | 64点~ | 69点~ | 72点~ | 74点~ | 78点~ | 81点~ | 86点~ | 88点~ | 90点~ | 91点~ | 92点~ |
相当学年 | 小1 | 小2 | 小3 | 小4 | 小5 | 小6 | 中1 | 中2 | 中3 | 高1 | 高2 | 高3 | 大社 | 大社 |
合格率 | 95% | 95% | 90% | 90% | 85% | 85% | 80% | 70% | 60% | 50% | 40% | 30% | 20% | 10% |
思考語彙 | 34点~ | 35点~ | 36点~ | 37点~ | 40点~ | 43点~ | 50点~ | 52点~ | 55点~ | 62点~ | 65点~ | 67点~ | 70点~ | 73点~ |
知識語彙 | 40点~ | 41点~ | 42点~ | 43点~ | 47点~ | 49点~ | 52点~ | 56点~ | 60点~ | 65点~ | 70点~ | 78点~ | 85点~ | 90点~ |
表現語彙 | 46点~ | 48点~ | 50点~ | 52点~ | 56点~ | 57点~ | 58点~ | 62点~ | 65点~ | 71点~ | 73点~ | 80点~ | 86点~ | 91点~ |
■思考語彙:意見や説明を書く力/■知識語彙:難しい言葉や漢字を使う力/■表現語彙:多様な実例や表現を書く力 |
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△上の三角形の高さは思考語彙
▽下の三角形の深さは知識語彙
三角形の横の長さは表現語彙
○円の大きさは字数
(円はひし型の後ろに隠れている場合があります)。
| 【文体】 ○文の流れが自然です。
○文章の中心がよくしぼられています。
△長い文と短い文が多く中間の文がやや少なめです。
△文の長さの平均がやや長めです。
百字を超える文1ヶ所(-1点):
▲134字 しかし、「進化といっても、人間が頭の中を、外に作っただけでしょ。」という名言のあるように、都市は人間の理想を創造したものであることを踏まえた上で、公園はその一端を担いながら、今日消えかけている共同体に代替する価値を秘めた、最後の酸素ポンプであ……
【語彙バランス】 説明に比べて、素材がやや多い文章です。(-0点)
△三角形の高さは思考語彙、▽逆三角形の深さは知識語彙、 △▽の底辺は表現語彙、○円の幅は字数。
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【文リズム】 点 (一文中の文節的語彙群の数)
■~6個 ■7~10個 ■11~14個 ■15~18個 ■19個~
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03 | 09 | 11 | 07 | 05 | 11 | 05 | 14 | 12 | 19 | 06 | 13 | 18 | 10 | 04 | 11 | 11 | 20 | 19 | 09 | 28 | 18 | 06 |
【文の長さのグラフ】 ■-20字短い文 ■21-40字やや短い文 ■41-50字中ぐらいの文 ■51-70字やや長い文 ■71字-長い文
15
ずだ。38
いる。37
ある。30
える。30
ある。37
いる。29
いる。61
った。61
思う。76
思う。35
うか。52
のだ。84
思う。49
ある。16
名だ。49
する。54
ろう。73
ない。72
思う。35
ある。134
しい。59
ある。26
える。
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134
◆84
◆76
◆73
◆72
◆61
◆61
◆59
◆54
◆52
◆49
◆49
◆38
◆37
◆37
◆35
◆35
◆30
◆30
◆29
◆26
◆16
◆15
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【最長の文】 (最長の文は、文章全体の特徴を表しています)
しかし、「進化といっても、人間が頭の中を、外に作っただけでしょ。」という名言のあるように、都市は人間の理想を創造したものであることを踏まえた上で、公園はその一端を担いながら、今日消えかけている共同体に代替する価値を秘めた、最後の酸素ポンプであることを忘れないでほしい。 (134字)
【本文】
庭は、公的な空間であるはずだ。しかし、日本では封建的かつ虚栄的なものと化し、公的な意味合いは失われている。庭の本来の意味を理解した上で、時代に呑まれず、観察し批評を行う必要がある。これを踏まえて私は、庭とは公共的な空間であるべきだと考える。
第一の方法としては、公園でのルーズさを許容することである。私は家の近くの公園に頻繁に行くが、そこには注意の看板が二つほど立っている。そこにはやってはいけないことや、注意事項が並べられている。また、昔はもっと大きな木や、隠れ家のような植え込みがあったのだが、近くにマンションが建設される際、全て突破われてしまった。小さい頃から親しんできた身としては、事件性や、危険性を徹底的に排除するあまり、公園がどんどん味気なくなっていくように思う。公園を利用する人も多様だろうが、個々のクレーム、いわゆるあらゆる負の可能性を排除しようとする意見を取り込めば、その場所は禿山になってしまう、と私は思う。そこで、ある程度は許容するルーズな感覚が欠かせないのではないだろうか。そもそも公園は、境なしに住民が利用し、互いに譲り合いながらも、色々な人を知って交流するための場所なのだ。少し怪我をしようとも、多少は危険でも、それよりも楽しめることが大切だ、という気負いを持つくらいが、子供にとっても、はたまた保護者となる大人にとっても、重要なことに思う。
第二の方法としては、公園という公共の庭を、もっと子供が利用するように社会で働きかけることである。現代の子供は忙しいことで有名だ。学校から、塾、習い事、小さい頃から社会の時間枠にピッタリと埋め込まれ、大人と同じように呼吸をする。ただ、果たしてそのように詰め込む教育の方が、公園で遊ぶ時間よりも大切なのかと問われれば、そうではないだろう。公園で遊ぶ子供が日々減っていく印象を受ける原因は、共働きの親の増加、少子化、子供の多忙化、娯楽の充実など、決して政治や経済と無関係なものではない。学校での課題を廃止してしまうとか(子供としては万々歳だが)、子供を持つ親は早めに帰る日を持つなど、社会全体での配慮が、閑散とした公園を前のように戻す仕掛け人になると思う。
確かに、公園は個人意識が強い現代において、多少逸脱した存在ではある。しかし、「進化といっても、人間が頭の中を、外に作っただけでしょ。」という名言のあるように、都市は人間の理想を創造したものであることを踏まえた上で、公園はその一端を担いながら、今日消えかけている共同体に代替する価値を秘めた、最後の酸素ポンプであることを忘れないでほしい。人為的な空間の狭間に身を置き、希薄な関係で繋がれる拙い世界で、公園は人を受け入れ、時に逃がし、時に癒す、砦なのである。だから私は、庭とは公共的な空間であるべきだと考える。
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原文
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森リン ベスト5