さらにその相手は、年齢が一歳差というだけでなく、身長もとても小さかったために、相手をなめてしまい、整列の時に同じチームの人たちとふざけたり、試合が始まっても適当な気持ちでやってしまい、気付くと大佐が開いていた。 (105字)
昔話というと、桃太郎、ウサギとカメ、かさじぞうなど、様々で、皆、何かを一度は読んだことがある。地域によっては、その地域ごとの特別な昔話があることもある。昔話というと、幼少期のころ、母親に夜寝る前によく読んでもらったという記憶がある人が少なくないだろう。つまり、昔話というと幼少期を思い浮かべるという人が少なくないだろう。しかし、どんな昔話にも必ず何か教訓が含まれている。例えば桃太郎には、一人では成すことができないことでも、みなで協力頑張れば成し遂げることができるというメッセージがあるだろう。このことは学生になり、部活動を始めた時からも生きていた。団体戦でチームとしてとても強豪なチームに立ち向かとったり、個人戦では苦しい仲間に応援席から声をかけた。このような協力するということは、大人になり社会人となって世の中で働くようになってからも同僚との間や難関にぶつかった時などで生きるだろう。ウサギとカメでも、いくら油断しないこと、かさじぞうでも、思いやりのなどのことを学べる。だから、昔話は、大人になっても読むべきだと思う。
そのための第一の方法として、昔話だからと言って幼稚なものとおもはずに、そこから人生においての教訓を学ぶことだ。昔話とは、人生の教訓や大切なことを子供でも簡単に理解できるようにするために物語形式になっているが、きちんとした単行本型のもある。大人が絵本を読んでいるのがおかしいと思えば本の形を変えれば良い。さらに、昔話には、きちんとした良い教訓が含まれているためそれを学ぶために読むと思えば抵抗はないだろう。僕は昔読んだウサギとカメの昔話がとても心に残っている。どんなに楽勝な相手でも、どんなに自分よりも圧倒的に自分よりレベルが低い相手でも決して手を抜いてはいけないことがここには書かれている。僕は、前、部活動の大会で、バドミントンの団体戦に出場した。その時の相手のチームは自分たちと同じ学年の選手がいないために、一つ学年が下の人たちが出ていた。さらにその相手は、年齢が一歳差というだけでなく、身長もとても小さかったために、相手をなめてしまい、整列の時に同じチームの人たちとふざけたり、試合が始まっても適当な気持ちでやってしまい、気付くと大佐が開いていた。当然、その相手も練習しているために、そこから巻き返すことは難しく、団体戦なのでシングルがギリギリ勝っただけでダブルスは全て負け、チームとしても負けてしっまった。きちんとやればかなりの差で勝てるはずの相手だったが油断してしまったために負けてしまい、ウサギとカメを改めて思い出した。
第二の方法としては、昔の文化をしっかりと保存しておくことだ。昔話とは、全て本当のことかは分からないが、昔から存在していることは間違いない。つまり、昔の人はきちんと今でも役立つ知識を持っていたのだ。2011年3月11日の東日本大震災では、津波でたくさんの人が死んでしまった。死んでしまった人のいた場所の分布は、ある石像から海側へ行くと急激に増え、内陸側へ行くとほとんどいなかったそうだ。その石像は、昔の人が建てたもので、ここより下には家を建ててはいけないということが書かれていたそうだ。実際、流された建物はその石像より海側だったそうで、昔からの教えを守った人の家は流されなかった。このように、昔の人は今のようにコンピューターなどない時代に必死に情報を集めこのような話を作り後世の人に残そうと何らかの形で残そうとしてきた。だから守っていかなくてはならない。エジソンも、たくさん本を読んだというが、その中には昔話の入っているものがあってそこから知識を得て発明をしたのかもしれない。
確かに現代の知識や技術をいかすことは大切だ。しかし、「悪書を読まないことは、良書を読むための最初の条件である。」という名言があるように、昔話から学ぶことは最新の技術から学ぶことの一歩目だ。
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