それは、映像を制作する側から見れば、一瞬のなかに有名なワンシーンを当てはめるだけなので簡単だが、見る側や、そのものの原作者からみれば、本当のそれらが伝えたい部分が伝わらなかったり、観る人にも、何を言いたかったのかが分からないこともあるだろう。 (121字)
大きなひとまとまりの作品をコマーシャルや、演劇などで、一部分だけを流すということが最近は多い。テレビCMのBGMとして、歌のサビを一瞬だけ流したり、テレビの映像の参考のイメージとして、映画のワンシーンを一瞬だけ出したりということだ。それは、映像を制作する側から見れば、一瞬のなかに有名なワンシーンを当てはめるだけなので簡単だが、見る側や、そのものの原作者からみれば、本当のそれらが伝えたい部分が伝わらなかったり、観る人にも、何を言いたかったのかが分からないこともあるだろう。そもそも、歌や映像は、一部分を見ただけで内容が全て伝わるとは考えにくい。それらの周囲を最初から最後までしっかりと見たことによってはじめてそれらに秘められたメッセージが伝わるという事が多い。そんな付録のようなBGMやイメージ動画として使われるために作られたものは無いはずだし、聞き取る側もなかなか上手くその歌や動画の本当の意味を理解することも難しい。だから、僕は、クラッシク音楽が表現していたようなじっくりと傾聴する文化をもっと見直すべきだと思う。
そのための第一の方法として、ものごとの原点に目を向けるべきだ。例え、一部分がかなり誰にでも伝わり、皆から共感されるような素晴らしい部分でも、一部分は、あくまで一部分であり、それだけで、すべてを判断するという事はなかなか難しい。人に良い面と悪い面があるのと同じように、たった一か所が良かったからといって全てが完璧な内容というわけではない。しかし、原点まで遡って観てみれば、大まかな像が見えてくるだろう。僕は、本屋などでざっと本を見ている時に少しでも、表紙や中身の内容が良いと思った物は必ず確認するようにしている。やはり、たくさんあり、何を選べばよいか分からないという事もあるが、やはり、その表紙やあらすじだだけでなく、しっかりと中身が良いかという事を確認したいと思うからだ。たくさんある中には、外観と中身が大きく異なるものもあるだろうし、逆に、あまり良い印象ではない、あらすじや外見とは180度違ってかなり良いものという可能性もある。たった一部分で決めていたら自分が損をする可能性がある。何事においても一か所だけでなく、全体をしっかりと確認してみることが重要である。
また、第二の方法として、学校教育でも、じっくりと物事を考える時間を作ることだ。最近は科学も発達し、便利になった分、じっくりと考えるという事があまりなくなった。インターネットも発達し、会ったことも無く、本当にその相手の人格が現れているかさえ分からないようなSNSや出会い系アプリも、当たり前のように信じ込み、自分の情報をどんどん信じ込み、交際してしまう人さえいる。その結果、相手がインターネット上の偽りの人物だったという事も少なくない。ネット間の人の極僅かな一面だけを簡単に信じ込み、その相手の極僅かな一面しか知らずに本当の部分を知らなかったという事だ。そんな一部でどんどん信じ込んでしまうような人をこれから減らすためにも、学校教育でしっかりと育てることが大切だ。
確かに、一部分だけで、全体を理解できるという事もある。しかし、一部分はその物事の全体を表しているのではなく、漢字の通り、あくまで一部分である。自分にだって、その日の気分や体調などによって、機嫌が良い日もあれば、最悪な日もあるし、好きなもの、嫌いなものも、たくさんある。その一つでそれが自分だと決めるのはなかなか難しい。一部分をやるのではなく、全体をしっかり見せることが大事だ。
>>
後半1200字のみ表示にする