しかし、その人は第一志望の高校に落ちてしまい、こちら側の私も初めての経験であり、最初どう話しかければ良いのか分からず、自分は同じ状況の時に特に誰とも話そうとは思えなないだろうと思い、何も話しかけずにいた。 (102字)
自分は自分、他人は他人ということによって、自分の本当の心の中なんて誰にも理解できないと考える人も多いだろう。装いはとても良かったとしても、実際にはその人が考えていることは見た目とは真逆かもしれないし、見かけ通り本当に装いと同じことを考えている可能性もある。しかし、あくまで私たちは皆同じ人間であり、考えることの多くも大体似ているのではないだろうか。基を言えば、楽しい、嬉しい、悔しい、辛い、など、皆考え方は同じであり、同じ状況下にあるのに、楽しいと思う人、辛いと思う人がいるという事はあまりないのではないか。つまり、周囲に目を向けると、案外自分と同じような考え方を持っているのではないか。人間は自分のことを多大評価し、人のことを過小評価しがちである。しかし、そのことも皆同じことであり、「誰にも分からない状況」などはあまり無いのだ。こうして皆自分と同じような深い内面があると考えれば、私たちの認識を一歩前進させられるそうだ。だから私は相手もまた自分と同じという考え方を持ちたい。
そのための第一の方法として、相手の立場に対する想像力を持つことだ。相手が自分と似ている考え方を持っているのならば、相手の状況から考え方や思いを考えることも可能である。私は中学校の頃にとても仲の良い友達がいた。その友達は中学3年の頃、公立高校の受験をした。私は推薦で高校に入学したため、同じ時期はもう無事高校も決まり、ほっとしていた。一方、その人は、これからという時で毎週模試や過去問を解いていた。その時の大変さはやはり見ていれば分かり、受験が終わった後のことをその人とよく話していた。しかし、その人は第一志望の高校に落ちてしまい、こちら側の私も初めての経験であり、最初どう話しかければ良いのか分からず、自分は同じ状況の時に特に誰とも話そうとは思えなないだろうと思い、何も話しかけずにいた。すると、しばらくして、立ち直った後、向こうから話しかけてきてくれ、また今まで通りに遊んだり、話したりできるようになった。もし、不合格になった時に相手の気持ちを考えずに安易に話しかけたら、余計嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。
また、第二の方法として、自分たちだけの狭い世界に安住しないことだ。幅広い分野や世代の幅広い人たちとたくさん関わっておけば、様々な感覚を得ることができ、その分自分の考え方も広くなるだろう。私は高校生になり、バドミントンのクラブチームに入った。これまでの部活動とは違い、クラブチームには、自分と同じ世代の人から、もう定年を迎えた人まで幅広い世代がいるため、クラブチームに入ってから知った新しいことはかなり多い。また、逆に私にとっては当たり前でも、私と異なる世代の人たちから見ればそれが必ずしもあたりまえとも限らない。このように普段から多くの人とと関わっておけば得るものも大きいのである。日本は江戸時代に鎖国を行っていた。つまり、外国で起こったことや情報も少なかった。結果その時代の世界のことについて何も分からず、戦争になってしまったのだと思う、様々な人と考えが似ている前提として、まずは多くの人との関わりを持たなくてはならない。
確かに、人は唯一無二であり、全く同じ人など存在しない。しかし、考え方や感情は、自分だけにしか分からないものではなく、他人でも理解することは可能だ。私の高校は運動が盛んであり、全国的にもかなり有名であり、入学当初とても自分の学校の名前に対して誇りを持っていた。3年生にはプロ野球選手になることが決まった生徒もいて毎日プロ野球選手を見かけることや、自分のクラスに全国大会選手が何人もいるというのはかなりすごいと思っていて、自慢だった。しかし、別の高校に進学した中学校の人にその高校についての話を聞くと、やはり良い面が多くあった。つまり、私は自分の学校はあまり他にないすごい学校と誇りに思っていたが、多くの人が私と同様自分の学校に対して誇りはあった。自分だけが持っている考え方は無いのだ。
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