授業の渚 nnga-05-1


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 さあ、ガジュマロの5.1週の課題の説明だよ。
 まず、第一段落は、状況実例と社会問題の主題。第二段落は、その原因。第三段落は、原因その2。最後の第四段落は、反対理解とまとめだね。
(1)
 固有名詞は、普通名詞と違って、そのものが独自性を持つという主張だね。昔の合戦では、こういう言い方をした。「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは、○○高校2年1組の○山○男なるぞ」。サッカーの試合中に、お互いにこんなこと言い合ったら面白いだろうね。たぶん言っている間にボールを奪われちゃうと思うけど。
 でも、せっかく自分の名前を言っているのに、「あ、そう。だからどうしたの」などと言われたらがっかりするでしょ。そう、固有名詞は、自分の誇りとしっかり結びついているということだね。
 社会問題というのは、難しいけど、固有名詞のプライバシー問題で書いてもいいし、固有名詞を持たない匿名性の問題で書いてもいい。あるいは、管理社会の進展の中で固有名詞で呼ばれなくなっている問題などと考えてもいいよ。「私は、人間が固有名詞で呼ばれない顔のない社会になっていることが問題だと思う」のように、問題を書いていこう。
(2)
 固有名詞で呼ばれない原因は、やはり個人を尊重しない社会の風土というものがある。言い換えれば、相手に対する人間性の軽視ということもあるかもしれない。みんなも、一年生のときに先輩から「おい、そこの一年坊主」などという呼ばれ方をされたことがあるかもしれないね。
 さて、固有名詞は、政治的な緊張も作り出す。よく、みんなも悪いことをしたときに、「学校と名前は」なんて聞かれたことあるでしょ。パオ君は、そういうとき、「地球に住んでいるゾウです」と言うことにしているんだ。そうすると、たいていの相手は言うよ。「はあ、ぞうですか」「はい、ぞうです」。固有名詞を使うということは、そこに所属とか責任とかいうものが含まれてくるということだね。だから、だから、固有名詞を使いたくないときももちろんある。
(3)
 固有名詞で呼ばれない原因の第二は、やはり日本の社会のこれまでの歴史の中にある。これまでの工業化社会は、ベルトコンベアシステムに見られるように、標準化ということが生産の能率を上げるために必要だった。そこでは、マニュアル文化に見られるように、その人らしい個性よりも、標準化された作業が必要だった。
 さて、話は変わるけど、固有名詞は、政治的な主張でもあるんだよ。例えば、世界でいちばん高い山。富士山じゃないよね。そう、エレベスト山。あれ? まあ、いいや。そのエレベストを、イギリス人は、まちがってエベレストと呼ぶ。何でも、そういう名前の人がいたかららしい。ところが、ネパールでは、サガルマータと呼ぶ。何だか、ちょっと言いにくいことばだね。また、チベットでは、チョモランマと言う。大地の母という意味なんだ。
(4)
 最後の段落は、まとめ。「確かに、これまでの社会では、固有名詞を考えない方が能率がよかったという面もある」ということだね。しかし、これからは、だいぶ違った社会になる。例えば、みんなもスーパーに行くと最近、「山田さんちのホウレンソウ」とか「宮崎さんが作ったニンジン」とかいう袋を見ることがあるでしょう。世の中はだんだん、お互いの固有名詞を尊重するような社会になっているんだね。
 だから、番号をつけてわかりやすくすることは必要だけど、いつも「はい、1番さんが終ったら、次2番さん」などと言われたら嫌になっちゃうものね。
(5)
 ところで、名詞というのは人間だけが使っていると思うだろうけど、実は違うんだ。ぼくたちゾウも、よく「めいし」を使っている。例えば、みんなで草を食べているときによく言うよ。「こっちの草もうめいし、あっちの草もうめいし、どっちから食べようかなあ」