授業の渚 nnga-05-2


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nnga5.2 魏志倭人伝によると

(0)
 ぼくは、バオ君。よろしくね。では、ガジュマロの5.2週の説明をするよ。
 第一段落は、状況実例。第二段落は、その原因1。第三段落は、原因2。第四段落は、まとめだよ。
(1)
 さて、今日の話は、現代人が考えるような時間だけが時間のすべてではない。時間の中には、ただの座標のような時間ではなく、その時間自体に触れることができるような物としての時間がある。なぜ、現代社会は、そういう時間を忘れてしまったのか、ということだ。
 みんなは、ミヒャエル・エンデの「モモ」という本を読んだかな。そこに登場する灰色の男たちは、みんなの時間を節約して時間銀行に貯蓄するようにすすめて回るんだ。そういう灰色の男たちにとっては、時間を味わうなどという行為は無駄以外の何物でもない。
 でも、みんなにもあるんじゃないかなあ。今この時間が永遠だと思うような時がね。たとえば、彼女にふられたときとか。あ、間違い。彼女に初めて心をうちあけられたときとかね。
 社会問題は、能率ばかり考えている現代社会の時間観というところかな。
(2)
 昔の人は、航海するとき、へさきに人をしばりつけておいて、無事に目的地につく時間をこの人が保証していると思っていたらしい。こういう役も大変だよね。
 また、浦島太郎では、玉手箱から煙がもくもくと出てくる。この煙は、たぶん太郎が竜宮城で過ごした長い時間でもあるのだろうね。
 こういう時間の感覚を現代人が失ったのは、このような時間の感覚では、能率がよくなかったからだろうね。みんなも、毎日の生活は、朝6時に起きて、7時にご飯を食べて、9時に学校でまた早弁を食べて、12時にしっかりお昼ごはんを食べて、午後は授業を聞きながら昼寝、というスケジュールに追われた毎日でしょう。これがもし、起きたいときに起きて、食べたいときに食べて、寝たいときに寝るという生活だったら、社会生活がうまく送れないものね。
(3)
 さて、第二の原因は、そういう時間管理が、社会生活のすみずみにまでいきわたっているということだ。
 みんなは回転寿司を食べたことがあるでしょう。どのお皿も同じ速度で回ってくる。あれが、珍しいおいしいものだけはすごい勢いで回り、まずくて人気がないものはゆっくり回っていく、そしてときどき人の前で止まる、なんていうのだったら変化があって面白いんだけど、そんなことはない。
 人間の生活も同じ。「僕は、高校2年生をもうあと数年間やっていたいんですけど」なんて言うのは許されない。みんな同じように4月に入学して3月に卒業する。お互いに、そういう約束の中で生きているからだね。
(4)
 しかし、人間が本当に人間らしく生きるには、味わう時間が大切なのではないか。カレンダーや時計の中にある時間ではなく、自分がずっとだっこしていたくなるような時間のことだね。 先ほどの「モモ」に登場する、モモの友達のお掃除のおじさんは、時間銀行に時間を貯蓄してから、ものすごい勢いで仕事を済ませるようになった。それまでは、掃除の仕事をすることを楽しんでいたのが、いらいらしながら勢いよく掃除を済ませ、その分の空いた時間でまた能率のよい仕事をしようとするんだ。でも、能率を上げれば上げるほど、このおじさんは、幸せから遠ざかっていったような気がするなあ。
(5)
 石川啄木の歌に、こんなのがあるよ。「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」。15歳だから中学3年生のころだね。授業を抜け出して、近くの不来方というお城の城跡に行き、のんびり空を眺めていたということだね。授業をさぼるのはよくないけど、こういう気持ちって、みんなわかるよね。え、いつもしてるって? おいおい。