授業の渚 nnza-05-1


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 さあ、ザクロの5.1週を説明するよ。
 第一段落は、状況実例と意見。第二段落はその対策。第三段落は対策2。第四段落は反対理解とまとめだよ。
 最初の意見の予測問題というのは、今の社会の問題だけでなくて、状況が進展していったら将来起こるであろう問題を予測していくことだよ。だから、今の問題がもっと激しくなるという問題でもいいし、今の問題に対する解決策が行き過ぎて逆の問題が出てくるという問題でもいい。
 例えば、物事に没頭せずに評論家的に分析するような人ばかりが増えている問題でもいいし、客観的な努力や分析をしないで自分の心を奪うようなものばかりを求める人が増えているという問題でもいい。社会問題というのは、結局自分自身の問題でもあるから、自分の持っている問題と重ねあわせて考えてみるのが大事だよ。他人事みたいに書かないことね。
(1)
 さて、劇と言ったら「ロミオとジュリエット」だね。「ロミオ様、あなたはどうしてロミオなの」「ジュリエット、君はなんでジュリエットなんだ」。いい場面だね。でも、家の束縛のない現代では、こんな会話はピンと来ないでしょう。「ゾウさん、あなたはどうしてゾウさんなの」「キリンちゃん、君はなんでキリンなんだ」。なんだか間抜けな話になっちゃうね。
 さて、この劇を見るときに大事な心の姿勢は、分析することではなくて、没頭することだ。劇は、その中に入り込んで感動する見方で見るということだね。
(2)
 没頭できない人が増えているという問題だったら、その対策は、第一に、自分の心に正直に生きることを是認する社会ということになるかなあ。うれしいときはうれしいと言い、悲しいときは悲しいと言うことを認める社会ということだね。日本には、「武士は食わねど高楊枝」という倫理観があるので、つい我慢をすることがよいことだと考えてしまうのかもしれないね。
 さて、話は変わるけど、心がその世界に入り込むということは、宗教的秘儀と同じだ。パオ君たちも、よくお互いに鼻のホースでシャワーを掛け合ったりしているけど、あれは宗教的秘儀じゃない。ステンドグラスのきらめく中で、静かなパイプオルガンが鳴り響き、ゴーンという除夜の鐘が聴こえると、だれでも心を奪われるよね。それが宗教的秘儀ということだよ。
(3)
 第二の対策は、心を柔軟にするための教育ということかなあ。これまでの教育は、知的なことばかりしていたけど、これからの教育は柔軟な心を持つというようなところにまで発展していく必要がある。しかし、それは単に道徳的に教え込むということではない。たぶん、未来の社会では、心の自由自在さが血圧測定のように、自分で測定できるようになるのではないかとパオ君は思うんだ。でも、それはちょっと空想的な話だけどね。
 さて、また話は変わって。路傍の花に心を奪われるのも、劇や宗教的秘儀の経験と同じということだね。現代人は忙しいから、こんなのんきなことをしていられないだろうけど、本当はこのように、足元のタンポポにうっとりという時間があったらいいよね。
(4)
 最後は、反対理解とまとめ。「確かに、分析的な批評は大切である」と書いて、「しかし、心を奪われるというような経験が私たちにはもっと必要なのではないか」。もちろん、最初から反対の意見で書いてまとめていってもいいんだよ。
 さて、筆者はここで、「階級闘争や戦争反対も逃避である」と言っている。宗教でもそうだけど、自分が絶対に正しいと思ってうっとりしているときは、やはりあまり深く考えていないことが多い。つまり、難しい考えから逃避して、心がそこに奪われてしまうということだね。
(5)
 さて、ここで面白い話をしてあげよう。昔、徳川家光が虎を座敷に放し、柳生宗矩と沢庵和尚を虎と対決させた。宗矩は、虎をにらみつけて勝ったが、沢庵和尚は虎を猫のように手なずけて勝った。このときの沢庵和尚の心は、虎と一体化していたんだろうね。この沢庵和尚の心の状態がもしかすると、人間の理想の状態なのかもしれないなあとパオ君は思うんだ。