a 読解マラソン集 1番 玄関のドアが ma3
 玄関げんかんのドアが内側と外側とどっちに向いて開くか、そういうことを多くの日本人は意識しない。
 しかし、事実は、この向きが日本とイギリスとでは反対になっているのである。日本の玄関げんかんドアは外に向かって開く。これはほとんどどの家でも例外がない。しかるに、イギリスの家屋では玄関げんかんのドアは決まって内側に向かって開くのである。
 これがどっち向きに開くかということは、じっさい客人を迎え入れるむか い  上では極めて重要な意味を持っている。というのは、こういうことである。
 まず日本式に外に向かって戸が開く場合、客が戸のまん前に立っていたら、ドアにぶつかってしまって、まともに開くことができないだろう。だから、客は、一歩退いて戸の開くのを待つか、または少し横に避けさ て待機しなければならない。しかも、主人の側ではドアを向こう側に押しやるお   わけだから、それは心理的な方向としては「向こうへ放つ」という傾向けいこうがあって、「迎え入れるむか い  」という形にはなりにくい。そしてもし、主人がドアのノブを丁寧ていねい握っにぎ たまま向こう側に向けて戸を開くとすれば、客が入ってこようとするその動線上に、かれの進入を妨げるさまた  ようなあんばいに立ちはだかることになるわけである。これは言ってみれば、主人、客人ともに、ドアの「内側」でぶつかってしまうかっこうになる。こうして、日本の家は、その玄関げんかんドアのわきで客を迎えるむか  のにはまことに都合の悪いシステムにできている。(中略)
 さて、こういう事実の裏には、むろん、そうでなければならない文化的背景または歴史的理由があるにちがいない。ただ漫然とまんぜん そう決まったわけではあるまい。
 まず第一に、日本では家の内外は「露地ろじ」と「ゆかの上」という区別があった。だれでもくつ下駄げた脱いぬ で家に「上がる」のである。その接点が「玄関げんかん」なのである。そこは内外の交錯こうさくするところ、すなわち空間的には屋根の中(=内)であって、しかも、機能的には土間(=外)なのだ。客は、玄関げんかんまで入っただけではいまだその家に「上がった」ことにはならない。むしろ心理的には玄関げんかん先で「追い返した」ことになるであろう。くつ脱いぬ で、かまちから床上ゆかうえに上がったとき、初めて客人として迎え入れむか い られたことになる。
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 したがって、客を迎えるむか  ときにもっとも正式のスタイルでは、主人はゆかの上に正座して、いわゆる三つ指ついて頭を下げるという形になる。ドアを開けて人をその内側に入れるだけでは、それは客を迎え入れるむか い  儀礼ぎれいとしていまだ経過点に過ぎず、正式に迎え入れるむか い  儀式ぎしき完了かんりょうしたとはみなされない。
 しかし、イギリスで客を迎えるむか  というのは、まさにこの「ドアを通過した時」をもって完了かんりょうしたとみなされるのであって、そこには「ゆかの上下」というような垂直方向の高低差は存在せず、もっぱら、ドアの「うちそと」という水平方向の境界があるに過ぎない。(中略)
 基本的には、玄関げんかんのドアの開く方向のちがいには、こういう文化的な意識の相違そういが内在していると私は考える。(中略)
 もう一つの大きな理由は、「雨じまい」にある。日本はイギリスとちがって、きわめて「水っぽい」国である。雨の降り方はむしろ熱帯的で、パラパラとしか雨が落ちてこないイギリスなどとは大きなちがいである。しかも、春は菜種梅雨、夏に梅雨、夕立、秋には台風、冬に時雨、……と一年中雨が家々をせめたてる。どうやって家に雨が入らぬようにするか、ということは日本の家屋にとって重大な問題にほかならなかった。(中略)
 ところが、イギリスの家屋では雨じまいなどはあまり重要には考えられていない。せんだってもふた月ほど住んでいたロンドンの住宅では、ちょっと強く雨が降ると、ほとんどジャブジャブという感じで窓から雨が流れ込んなが こ できて、まことに閉口したものだった。
 この感覚からすると、ドアが内側に向かって開くことなども全然問題にならない。しかし、日本人のように家に雨を入れないという見地からみれば、ドアが内側に開くのはこれまた充分じゅうぶんに不都合なのであったろう。なぜといって、ドアの外わくと戸の関係上、ドアに降りかかった雨滴うてきがどこへ落ちていくか、ということを考えてみればよい。内開きの場合、それはどうしても、内側すなわち玄関げんかんの中が水浸しみずびた になることを意味するからである。

(林望「リンボウ先生イギリスへ帰る」)
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a 読解マラソン集 2番 バスは混んでいた ma3
 バスはんでいた。
 二十年も前の話だから、乗り物の数も少なく、おまけに乗る人間も冬は厚着であった。家の中も街も今よりずっと寒く、人は暗い色の冬支度に着ぶくれて、殺気立って朝晩のラッシュに揺らゆ れていた。
 その朝も、私は吊革つりかわにもブラ下がれず、車の真ん中で左右から人に押さお れながら、週刊誌を読んでいた。
 押しお あいへしあいの中で、二つ折りにした週刊誌のページをめくろうとすると、
「あ」
 という声がする。
 声の主は、黒い学童服を着た小学校低学年らしい男の子で、私の胸のところに押しつけお   られている。その子は、ちょっと口をあき、訴えるうった  ような目で私を見た。週刊誌の向こう側には、漫画まんが載っの ていた。かれは、漫画まんがを読み終わらないうちにページをめくられたのだった。
 私は漫画まんがを少年に見せるようにしてまたしばらく揺らゆ れていた。少年の目が漫画まんが吹き出しふ だ のセリフの部分をゆっくりと追い、声を出して読んでいる。おしまいまで読み終えたところで、少年は目をあげてまた私を見た。
 バスが少しいてきて、少年は次の停留所で降りる気配があった。ところが定期券を忘れたらしい。ポケットを探って困っている。
 私が、
「忘れたの? 」
 とたずねると、怒っおこ たような顔をしてうなずいた。私は小銭入れからバス代を出し(十円か十五円であったかおぼえていない)少年の手に握らにぎ せた。少年は、小銭を握っにぎ たまましばらく外を向いて揺らゆ れていたが、降りぎわに胸のポケットから赤鉛筆えんぴつ抜いぬ 黙っだま て私に突き出しつ だ た。ボール紙をむくとしんの出てくる、当時としては珍しいめずら  もので、父親か(だれかに(もらったのであろう、十センチほどの使いかけであった。
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向田邦子(むこうだくにこ『あ』)
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a 読解マラソン集 3番 台所から出てきた母が ma3
 台所から出てきた母が、「なにをぼんやりしとるのけ。」ときいた。
私が「(すずめ」とこたえると、私に近づいてきて、箱の中をのぞいた。
「おとっつぁんがいま怒っおこ とったのは、このすずめのことかや。」
「うん。」
「どれ、かわいい子だね、どこにおったや。」
 そして母は、白い手で、もはや眠っねむ ているらしい子すずめをにぎった。
いつも、父といっしょになって「殺生(せっしょう」を許さない母が、いつになくやさしく、この子すずめに愛情を示してくれたので、私は、自分のことのように(うれしく感じるとともに、多少奇異きいな気持ちにとらわれて、母の顔をまじまじと見あげねばおれなかった。
 母はまだ若く美しかった。しかし、三月ほど前、母のたったひとりの子ども、そして私には異母弟にあたる宇吉(うきちが、むしを起こしてぽっくり死んでしまってから、愛の中心を失って、生気のないその日その日をおくっていた。顔なども、青白くやつれていた。
「柱時計のうしろに、ぎす(かごがあったな。」と言いながら、母は家の中にはいった。私は、しめた、と思って母を追い越しお こ 、すぐ柱時計のうしろから、ほこりにまみれたバッタのかごをとり出してきた。母は、その中に綿を敷いし て、その上に子すずめをおいた。子すずめはやわらかいまっ白な綿にくるまって、いまは暖かそうに(を閉じた。母と私は、(ほおがすりあうほど顔を近づけあって、のぞいていた。愛されることの少なく、そして愛されることをひと一倍欲していた私は、子すずめが母に愛されるのを、自分が愛されるのと同様に感じて、心はかぎりなくおびただしいよろこびに酔いしれよ   ていた。
 まもなく、「殺生」を犯している母と私を発見した父は、母とひともんちゃく起こさねばおかなかった。
「そんなものは、子どものおもちゃじゃないか。」と父はにがにがしげに言った。
「子どものおもちゃでもええ。」と母はだだをこねるように言った。
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 そしていつまでも、かごの中を澄んす だひとみでのぞいていた。私の眼には母が少女のように見え、父がおにのように映った。父と母のせりあいの結果が、かわいい子すずめの運命、ひいては私の生活の希望を左右するのであったから、私は小さい心の中に、ひそかに両手を合わせて、母の言い分が通るように、父の我が折れるように、といのっていた。私の願いはききとどけられたのか、母の我が通って、やがて、「そんなものはあ、今夜のうちに死んでしまわあ。」と父は負け惜しみま お  を言いながら、その場を去っていった。私たちは、安堵(あんどした。
 父が去ってしまうと、父の負け惜しみま お  に言いすてていった言葉が、いまは一羽の小さな生物によって結び合った私と母の心に、なにか暗い不安のかげを投じた。子すずめは、少なくとも午後中、一滴いってきの水もひとつぶの米も、口にしていなかったのである。ほんとうに父の言葉のとおり、今夜のうちに冷たくならないとは、だれが保証できよう。そこで母は、遅いおそ 夕飯がすんだ後、おひつの底に残った米つぶをさかずきに入れてかごの中にさし入れてやったり、私はすずめにはみみずがよいようだから、(やぶでみみずを捕ろと うといって、自らちょうちんを持ち、私がおぼつかない手もとに、満身の力をこめて打ちこむ(くわの先を、照らしたりした。そんな母がけんめいになり、私もまた、かつてしらない希望と幸福に夢中になって、われを忘れて奔走ほんそうしたのに、やわらかい米つぶをさしつけても、うまそうなみみずを鼻の先に持っていっても、子すずめはそれをたべようとはせず、かごをゆすられるたびに、うすい透明とうめいなまぶたをぱっとあけたが、すこし羽をごそごそさせると、再び居心地よさそうにまぶたを閉じ、重い眠りねむ におちてしまうのであった。私の眼ももう眠いねむ 時間であった。私はとこにはいって眼を閉じる前に、もう一度、父と母がつぎの間で、子すずめについて言い争っているのを耳にした。

新美南吉(にいみなんきち『すずめ』)
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a 読解マラソン集 4番 妹が隆に、あんなのほしかったなあ……と ma3
 妹が(たかしに、あんなのほしかったなあ……と、小さな声で言ったのは、夏も終わりのころのことであった。となりの屋根でのんびり寝そべっね   ている野良猫のらねこを見てのことばである。「母さんのねこ嫌いぎら は知ってんだろ」。「ううん、違うちが の。お祭りのときお店で見かけた招き猫まね ねこなの」。「どの店だよ? 」。「七味とうがらしの出店」。「……そりゃ、今さら無理だよ」。「だからもういいの」。これだから困るのである。たかし招き猫まね ねこ探しにでかけることにした。
 招き猫まね ねこ飾っかざ てある店は見かけても、売っている店はたいそう少なかった。土産物店で見つけても、いやに小さくて貧相なのである。やっぱり秋祭りまで待つしかないか・・・・・と、たかしは思った。しかし、珍しくめずら  妹がほしがったことを考えると、たかしは何とか早いとこ見つけて持ち帰り、妹を驚かおどろ せてやりたかった。自分も気に入り、妹も一目で気にいるやつを早いとこ見つけたかった。
 それが、ないのである。招き猫まね ねこにも、実にいろんな人相(?)のものがあることに、たかしは初めて気がついた。大きさ、姿、表情、色……と四拍子しびょうしそろって、一目ぼれできる招き猫まね ねことなると、売り物どころか、見かけるのだってむずかしいことに、たかしはやっと気がついた。
 思いあぐねて(あきらのやつに相談することにした。話を聞いた明は、たかしの顔をまじまじと見つめた。「招き猫まね ねこだなんてお前、どういう趣味しゅみなんだ。おれの親友だとは思えん。ほしがるにこと欠いて、そんなおじんくさいもの、目をつけやがるなんて」。「すまん、じつはほしがっているのは妹なんだ」。そう打ち明けると、明の態度はがらりと変わった。
 妹の趣味しゅみまで何か言われそうだとかまえていたたかしかたすかしをくらった感じだった。同時にもう一つの何かも感じていた。「いっしょに探してやるよ」。明のやつは急に親切になった。

今江祥智いまえよしとも『今日もねこ日和』)
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