生き残る方言のもうひとつは、方言だとわかってはいるが、使わないではいられないといったものである。それらは、文末詞や、感情語彙、程度副詞、挨拶ことばなどの中に多い。例えば、仙台の文末詞なら「行くっチャ」の「チャ」がよく使われる。これは共通語に直せば「行くさ、行くとも」であり、「当然だろ、何でそんなこと聞くんだ」といったニュアンスを表す。また、「行くべ、行くべ」は、「行こう、行こう」という意味で、相手を誘うときによく使う。こういった「チャ」や「べ」は今でも元気である。
感情語彙では、「メンコイ」や「イズイ」が生き残っている。「イズイ」は、体表面のなんとも言えぬ不快感を表すもので、襟元に毛が入って「イズクてたまらない」とか、セーターを洗ったら縮んでしまって「イズクてしょうがない」、といったふうに使われる。こういう方言は、今でも老若を問わず根強い人気があって、かなり使われている。気づきにくい方言と違い、これらこそ地元の人々の支持を得た、正真正銘生き残る方言と言える。
これらの「真正」生き残る方言に共通するのは、いずれも相手の感情に訴えかける性質をもつという点である。右で見た文末詞や感情語彙はもちろん、程度副詞「関西のメチャ、名古屋のデラなど」や挨拶ことば「東北のオバンデス」も、同様に理解してよいだろう。これらの感情的要素は相手の心に響くものだけに、会話の雰囲気を気取らない、打ち解けたものにする効果が抜群である。すなわち、こうした方言を使うことで、「私はあなたと心を割って、親しく話したいんだ」とか、「肩肘張らないで、リラックスして話しましょうよ」といった意思表示を行うことができる。共通語の使用が相手との間に壁を築くのに対し、これらの方言は逆にそのような垣根を取り払い、お互いの心的距離を縮める役目を果たす。現代人は無意識のうちに、こうした方言の機能を会話のストラテジーとして利用しているように見える。
「方言」と一口に言っても、もはやそれはシステムではなくスタイルに変質してしまった。それならば、方言スタイルという確固とした文体が存在するのかといえば、若者たちの方言の実態は、共通語が主体でそこに右に見たような要素をわずかに加えた程度のものにすぎない。会話の雰囲気作りのために共通語に散りばめられる要
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