まずレンゲを一株だけ、根ごと掘りとってみる。力まかせに抜くのではなく、棒切れか竹べらか、あるいはナイフを土に突き立てて、なるべくそっと掘り上げる。指でつまんで土を丁寧にもみほぐすようにして落とすと、根があらわれる。付近の用水溝の水で洗ってみると、いっそう根の様子がよくわかる。一本の太い根と、枝分かれしたたくさんの白っぽい根がある。そのヒゲ根のあちこちに、米粒形の長さ三〜五ミリほどの粒がたくさんくっついているだろう。少し赤みがかっている。
この粒が曲者だ。これはじつはチッソ工場なのである。この中に根瘤バクテリアという特別な細菌が住んでいて、根のまわりやすき間などの空気の中のチッソ化合物に変える働きをしている。稲刈りをした後の田んぼにレンゲの種子をまいておくと、翌年の田植えまでの間にレンゲが生長し、根に粒ができて多くの水溶性のチッソ化合物が生産され、レンゲはこれを栄養にしてますます生長する。これをスキで掘り起こし、くだき、土と混ぜる。つまり肥料にするわけで、緑の草の肥料という意味で「緑肥」と呼ぶ。現金収入の乏しかった農家が、科学肥料を買わずとも田んぼの土を富ませられる手段だったわけである。
この方法は昭和十年代が最盛で、二十年代には半分に減った。最近では人手不足の代わりに現金収入のふえた農家が、手間の簡単な「金肥」――化学肥料をどしどし使うので、田園全域が赤い花に敷きつめられるという風景は少なくなった。レンゲはもともと日本には生えていなかった、と考えられる。中国大陸の原産で漢名を紫雲英または翹揺と言い、「緑肥」として栽培がさかんに行われ出したのは明治中葉と言われている。
レンゲの花が終わり、野を占めるものの主役が虫媒花からイネ科の風媒花に変わるころ、田園の風景はにわかに色どりを失う。小学校の図画の時間、私も、級友たちも、いっせいに緑の絵の具が欠乏したものだ。赤やピンクや紫など、派手な色を使いたいのはやまやまなのだが、見渡してみても、空は青、山は緑、屋根は草ぶきで
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