ウィリアム・ジェイムズのことばで 読解検定長文 高2 夏 1番
ウィリアム・ジェイムズのことばで「楽しかった思い出ほどわびしいものはない。苦しかった思い出ほど楽しいものはない」というのがあります。このことばは、感情について非常にみごとな 洞察を示しています。
ぼくたちは楽しかったときの情景は思い出すことができます。しかし、それはすでに対象化されてしまっていて、そのとき自分の中に起きる感情は、過去に自分が楽しかったという事実をかえりみている現在の自分の感じでしかないんです。過去が楽しかっただけに、思い出している現在のわびしさは 色濃くなるのは当然です。
苦しかった思い出も同じですね。軍隊生活をした人間が、あのころはひどい目にあった、 靴の裏までなめさせられたよ、アハハハハなんて、しあわせそうに 喋っているけれども、それは思い出だから楽しいのであって、軍隊生活が楽しかったなどと思われたら大変な 迷惑なんです。
一見、再生できるかに思われる感情は、 恥の感じです。しかし、考えてみると、こういうことがわかります。あなたの家に昔出入りしていた老人がいて、「りっぱな女性におなりになった。でも、あんたは私の 膝をよく 濡らしたもんですよ」と言われても、あなたは別に 恥ずかしいとは感じないでしょう。けれども、高校時代などに言わなくてもいいことを言ってしまったことを思い出したりすると、ひとりでいても、赤面したり、 貧乏ゆすりをしたりしてしまう。それでは過去の感情を再生産することができたのかといえば、 違うんです。その当時自分の心を傷つけた事実が、現在の自分をも傷つけているということであって、再生ではありません。思い出すたびに、現在の自我が 恥じ入っているんです。
そういう点で、感情がそのままよみがえったと思われる場合というのは、現在の自我がそのころの自我に連続している場合にかぎります。
こういう言い方は、しかし、ぼくたち自身にはね返ってきます。ぼくたちが戦地の思い出とか軍隊生活を軽い気持で笑えるというのは、一体なぜなのだろうか。軍隊時代に犯した自分の 恥ずべき 行為をなぜニヤニヤしながら思い出せるのかといえば、それは当時の体験が現在の自我とつながってないからだということになります。∵
いわば仮装行列のつもりで悪いことをしてきた。こういうふうに、仮装をした自分ならば悪いこともできるという自我構造が、しいて言えば、日本人の精神構造の 特徴ではないでしょうか。ほかの民族に共通性があるかないかは別として、私たちが注目しなければならない 特徴だと思うのです。
それはおそらく「場所 柄教育」のせいではないかとも思います。「今は酒の席だから」とか「おばあちゃまがいらっしゃる前で何ですか……」とか「あのときは先生がおいでになったから申し上げませんでしたけど」というように、その場その場でふさわしい切り札を出す。そのいずれの場においても 乾孝であり続けようとするのは、我が強すぎる、自我に 拘泥しているというので、身分社会では悪だったのです。それが、戦後四十年たった日本の家庭教育はまだそういう段階なんじゃないでしょうか。
それが自我の 一貫性を育てない。むしろ、 一貫性を欠いてその場その場にふさわしい切り札を使い分けられる子が、「しつけのいいお子さんだ」と言われてきたということが問題なのです。
でっち上げ事件(フレームアップ)は世界中にありますが、その容疑者が取調べ官の言うなりに答えてしまう率は、日本人が非常に多いそうです。これは日本の 拷問の技術が進んでいるからとか、白人のように心の中にキリストを持っていないからだという言い方は 間違いだと思います。そうではなくて、いろいろな人間関係の中で自分自身であり続けることが認められてきた社会と、自分自身であり続けることが非難される社会、その自我構造の 違いだと思うんです。
( 乾孝『 信頼の構造』より)
論文「忠誠と反逆」(一九六〇年二月)の 読解検定長文 高2 夏 2番
論文「忠誠と反逆」(一九六〇年二月)のころから丸山 眞男は、理想の姿としての「主体」よりも、あるがままの個人としての「自我」に視線を定めて、議論を展開するようになってゆく。そして、その自我は内部に 亀裂を 抱え、不安定に 揺れ動いている。安東仁兵衛との対談「梅本 克己の思い出」(一九七九年)で丸山は、みずからが 立脚する「 西欧的な個人主義」が、実は深い困難にぶつかることを告白するのである。
伝統的個人主義をいわゆる原子的な個人主義として見れば、全ての人間に備わっている理性というようなものによってくくられてしまう。ですから、 啓蒙の個人主義をつきつめていくと類的人間になるんですよ。そういう 普遍的理性によってくくられない個、ギリギリの、世界に同じ人間は二人といないという個性の自由は、むしろ、 啓蒙的個人主義に 抵抗したロマン主義が 依拠した「個」です。この 西欧的な個人主義に内在する 矛盾の問題はぼく自身も解決がつかない。
(中略)
いまや、政治体制の側も、それに対する批判者の側も、みずからの正当性を支える確固とした「原理」をもたず、それぞれに 曖昧な一体感のうちにただよっている。それは、人々の自我が、(内なる 相剋の意識)を失い、 陰影を欠く平板なものになった結果でもあろう。丸山は、明治後期からの日本のこの 状況に対して、むしろ内部の 分裂こそが、自我に 輪郭と活動力を 与えていた、武士たちの精神を想起する。そうした歴史の 描きなおしを通じて、現代人が直面している難問を、新たに照らしだした。
さらに、現代の情報 洪水の中で、目に見えない画一化の作用にさらされながら、みずからの「個」としての独自性を保ち、しかも欲望に 押し流されずに、適切な「政治的判断」を働かせることは、いかにすれば可能になるのだろうか。そこで丸山がぎりぎりの期待を∵かけるのは、「他者感覚」にほかならない。一九六一年の論文「現代における人間と政治」では、チャールズ・チャップリンの映画『独裁者』(一九四〇年)にある、飛行機にのり雲海の中をゆく主人公が、機体が上下さかさまになっているのに気づかない場面をとりあげて、実は人間がこうした「逆さの世界」に住んでいるのがいまや常態であり、現代とは「人間と社会との関係そのものが根本的に 倒錯している時代」にほかならないと述べている。つまり、国家やさまざまな組織の「内側」に属し、その内部だけに 浸透するイデオロギーや「常識」によって、世界を見る目がはじめから一定の「イメージ」の眼鏡をかぶせられているのである。
では、そのイメージによる境界線をこえ、「外側」の住人の声にも耳を 傾けられるようになるには、どうすればいいのか。だれもが自分の属する世界の外に出て、人類全体の共通空間で語り合えるという理想論は、すでに「逆さの世界」に生きていることを前提とする丸山のとるところではない。人間に残されている道は、あくまでも「内側」にとどまっていることを自覚しながら、外との「境界」の上に立ちつづけることである。――「境界に住むことの意味は、内側の住人と「実感」を 頒ち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己 累積による固定化をたえず積極的につきくずすことにある」。
こうして、「他者をあくまで他者としながら、しかも他者をその他在において理解する」ことを、丸山は呼びかける。現にある自分から理想の「主体」へと 飛翔するのではなく、「内側」に身をおきながら、少しでも「外」へと視線をのばし、コミュニケーションを続けていくこと。この現実の自我による、「他者」にむけた水平次元での営みが、重要な 鍵になる。
( 苅部直『丸山 眞男−リベラリストの 肖像』による)
こう考えると、人類にとって 読解検定長文 高2 夏 3番
こう考えると、人類にとって平等は実現できないばかりか、あるいは不必要な価値ではないかという疑いも芽生えてくる。もちろん 極端な貧困者を生まないために、一定の所得再配分は不可欠だし、不正な 蓄財を防止すべきこともいうまでもない。だがそのうえで必要なのは、じつは格差のない社会ではなく、人が不平等を痛感しない社会であり、自己 蔑視や他人への 嫉妬に 苛まれない社会ではないだろうか。そしてもしそうだとすれば、われわれは二つの予想によって、未来に多少の希望を 抱くことができるかもしれない。
第一の予想は、二十一世紀の 富裕層が従来にまして不安定であり、はかない 偶然に支配されるということである。 先端を切る知識産業は、内容が投機であれ 企画や発明であれ、人知では計れない運命に左右される。固定資産と 巨大組織に 基礎をおいて、成功すれば果実を 維持しやすい工業社会の 富裕層とは 違うのである。
ベンチャーは文字通りの 冒険であり、情報の創造は芸術制作と同じように成功の持続を保証しない。しかも工業の大 企業のなかでも今後は能力主義が強まるとすれば、今日の勝者が明日の敗者になる危険は明らかに高まる。このことは将来の 富裕層を 謙虚にしないまでも、少なくとも、 彼らを見る世間の 嫉妬の目をやわらげることを予想させるだろう。
第二の予想は、現在のサービス産業がさらに多様化し、とくに消費者に 触れる対人職業が 隆盛を見せるだろうということである。流通や 娯楽、 医療や教育の現業部門、製造業なら商品の修理や保全を行う部門、伝統的な職人仕事と呼ばれる職業がこれにあたる。 拙著『大 分裂の時代』に 詳しく書いたが、市場の世界化、 巨大化が進むほど、不安な消費者は信用を求めて身近な小市場に 頼ることが考えられる。物資消費から時間消費へ移る昨今の 嗜好の 趨勢も、対人サービスの 需要を増大するだろう。さらに 環境、資源保護の点から見ても、商品の修理や保全、リサイクルへの要求は強まるだろ∵うし、それに応えるには個別的なきめ細かなサービスが必要になる。
こうした対人職業の特色は、それが顔の見える人間関係をつくり、そこで消費者の評判を感じ、他人の「認知」に 励まされて働く職業だという点である。仕事によって小共同体を組織し、 情緒的にも帰属感を覚えやすい職業だということである。本来、人間はたんに所得によってではなく、他人の認知によって生きがいを覚える動物であった。 嫉妬や自己 蔑視の原因は、しばしば富の格差よりも、何者かとして他人に認められないことに根ざしていた。
これに対して、二十世紀の大衆社会は万人を見知らぬ存在に変え、具体的な 相互認知を感じにくい社会を生んだ。 隣人の見えにくい社会では、遠い派手な存在が目立つことになり、これが人の目を「 富裕層」や「特権階級」にひきつける結果を招いた。ジャーナリズムの 煽情も手伝って、 嫉妬の対象がたえず再生産される構造が生まれたのである。
こう考えれば今、急がれるのは社会の「視線」の 転換であり、他人の注目を受ける人間の分散であることがわかる。 普通の人間が求める認知は名声ではなく、無限大の世界での認知ではない。むしろ人は自らが価値を認め、敬愛する少数の相手に認められてこそ幸福を覚える。必要なのは、それを可能にする場を確保することである。
そしてそういう場の可能性も見え始めている現在、残るは社会の価値観の一層の 転換であろう。サービス産業の中で高度情報技術だけが注目される世論を改め、多様な対人職業のイメージを高めることである。すでにそれは料理人のような職業では見られることであるから、さまざまな教育手段によってこの 転換を助けることは夢ではないはずである。
( 山崎正和『世紀を読む』による)
俗に言う重箱のすみを 読解検定長文 高2 夏 4番
俗に言う重箱のすみを 突っつくたぐいの学術論文は別にして、歴史書を書くほどの人は学者でも、ということは世界的に有名な大学の教授の地位にある研究者でも、その人たちの歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁句ではないということがわかる。
もちろん 彼らでも、カエサルがブルータスらに殺されずにあと十年生きていたら、ローマはどうなっていたか、とは書かない。しかし、カエサルの暗殺以後のローマの 分析は、「イフ」的な思考を経ないかぎり 到達不可能な 分析になっている。ということは、書かなくても頭の中では考えていたということである。
では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭の中だけにしてももてあそぶのか。
それは、歴史を学んだり楽しんだりする知的 行為の意義の半ばが、「イフ」的思考にあるからである。ちなみに残りの半ばは、知識を増やすことにある。「 誰が」、「いつ」、「どこで」、「何を」、「いかに」、行ったか、だけを書くならば、今や流行りのインターネットでも 駆使して、世界中の大学や研究所からデータを集めまくれば簡単に書ける。ところが史書が簡単に書けないのは、これらに加えて「なぜ」に 肉迫しなければならないからである。
ギボンは、『 ローマ帝国衰亡史』の最後を、東 ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの 陥落で終えた。だが、五十余日にわたった 攻防戦を日々刻々記録したある ヴェネツィアの医師が残した史料は、ギボンの死んだ後で発見されたのである。それを基にして今世紀、現在では世界的 権威とされているランシマン著の『コンスタンティノープルの 陥落』が書かれたのだった。
この二書を読み比べてみると、たしかにランシマンの著作のほうが、五十余日の移り変わりが明確になっている。だが、本質的にはまったく差はない。ギボンの 鋭く深い史観は、一級史料なしでも歴史の本質への 肉迫を可能にしたのである。つまり、「なぜ」の考察に関しては、データの量はおろか質でさえも、決定要因にはならないということだ。歴史書の良否を決するのは、「なぜ」にどれほど∵ 肉迫できたか、につきると私は確信している。
そして、史書の良否に加えて史書の 魅力の面でも、「なぜ」は大変に重要だ。 誰が、いつ、どこで、何を、いかに、まではデータに属するが、それゆえに著者から読者への一方通行にならざるをえないが、「なぜ」になってはじめて、読者も参加してくるからである。その理由は、「なぜ」のみが書く側の全知力を投入しての判断、つまり、勝負であるために、読む側も全知力を投入して、考えるという知的作業に参加することになるからだ。書物の 魅力は、絶対に著者からの一方通行では生れない。読者も、感動とか知的 刺激を受けるとかで、「参加」するからこそ生れるのである。
そこで、「なぜ」という著者・読者 双方にとっての知的作業には、必然的に「イフ」的な思考法が必要になってくる。
私の言いたいのは、なぜ信長は本能寺で死なねばならなかったのか、の「なぜ」ではなく、生前の信長はなぜ、これこれしかじかの政策を考え実行したのか、に 肉迫する「なぜ」である。
それには、信長の立場に立って考えることが必要だ。 彼だって、本能寺で死ぬとは予想していなかったのだから。ゆえに、もしも信長があそこで死なずに十年生きていたら、と考えることではじめて、生きていた 頃の信長の意図に 肉迫できるようになる。反対に「イフ」的思考を 排除すると、話は本能寺で終ってしまい、日本史上空前の政策家信長の真意も、連続する線上で 捕えることが困難になってしまうのだ。
われわれは大学から給料をもらっている身でもないし、それゆえに学術論文を書く義務もない。 彼らが禁句にしているからといって、われわれまでが 恐縮して従う必要はないのである。歴史を、著者・読者 双方ともが生きる現代に活かすのにも、「イフ」的思考は有効である。
(塩野七生「『イフ』的思考のすすめ」)
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