子どもというものは 読解検定長文 高3 春 1番
子どもというものは、なにやら得体の知れぬようなところがある。そのなすことのひとつひとつに、どのような意味があるのか、おとなは 解釈した意味をつけて理解しようとはするのだが、 彼らの世界がはたしてその 解釈された意味で理解できるものかどうか、はなはだ覚束ない。
それでも、そこに子どもの世界がある。それはおとなになってしまった目から、もはや見ることのかなわぬものかもしれぬ。そしてやがて、子どもはおとなになって、 解釈され理解される姿になってしまう。
学校へ行くようになると、 解釈され理解されることがらを学ぶようになる。それは 避けられないことだ。
しかし、たいていのおとなが、学校で 記憶した知識、学校で 獲得した技能を、学校を卒業するとともに忘れている。これも考えようによっては 奇妙なことである。学校では、暗記や訓練が強制され、その結果を点検されるのだが、そのほとんどは忘れられ失われてしまう。まるで、失うために学校に行ったみたいだ。
それでは、学校は無意味であったか。失われたあとに残るものがあったはずである。それはおそらく、 彼の心のなかの世界が、深く耕されたことであろう。一時的に 獲得した知識や技能より以上に、その 彼の心の世界こそが、 彼にとっての本物かもしれない。
こうした知識の体系を科学と呼び、技能の体系を技術と名づけるなら、人間の文化が科学と技術なしに成立しないことは確実である。しかしながら、実際にそうした科学や技術の体系に身をよせて暮らしていてさえ、これらの知識や技能はむなしい、そんな気のすることがある。
科学者や技術者は、しばしば自分の知識や技術をこえねばならぬ局面に出あうものだ。自分の知識や技術を捨てて、自分の心のなかの世界だけにたよるしかない、そうした場面が訪れる。創造はそこにしかない。
念のために言うと、ここで知識や技能が無価値であったわけではない。 理屈の上では、知識は書物に書きとめておけばよく、技能は方法として 与えられるだけですむ。しかし人間は、すべての知識が頭の外部にあり、すべての方法が体の外部にあったのでは、それを心にとけこますことができない。一時的であろうとも、知識を頭に∵とどめ、技能を体に通すことによってだけ、心のなかの世界は活性を持つ。
ただし、本来のものは、知識や技能よりは、その心のなかの世界だろう。この点では、暗記を強制し技能を訓練することが、学校では、あるいは人間の成長のためには、過大なような気がする。学校の教師も、家庭の親でさえも、暗記と訓練をしたがるが、考えてみればこれは、教育の文化的性格から遠い。そこでは、 叱咤激励する以上のことはない。そして、暗記したらおぼえるとか、訓練すればミスが少なく早くできるとか、当面の効果だけは目に見える。目に見えることはテストになじみやすいので、それがテストの点数になったりもする。
しかし、本来の身につくものは、そうした知識を忘れて技能が失われたあとでも、なお残っているものだろう。それは、生活者としての立場であっても、科学者や技術者としての立場であってもそうだ。
(森 毅『おかあさんの部屋 ?』より)
わたしのところに、ときどき 読解検定長文 高3 春 2番
わたしのところに、ときどき外国人の建築家がたずねてくる。
そのおり「せっかく京都にきたのだから」と、どこかに案内しなければならないことがしばしばおきるが、そういうときは、桜のころなら夜の平安神宮に、紅葉のころなら夕暮の円通寺に案内することにしている。
平安神宮の西 神苑の 白虎池や東 神苑の 栖鳳池のまわりの桜がさくときは、それらが池にうつりこんでそれこそ圧巻だ。たいていの外国人は 肝をつぶす。
いっぽう京都の北、 幡枝にある秋の円通寺は紅葉がうつくしい。しかしそのボリュームは平安神宮の桜の何百分の一にもおよばない。
ところがここには、もう一つべつのものがある。 比叡山だ。円通寺の東をむいた 客殿の 縁にすわると、庭の真正面の深紅の紅葉のあいだから 比叡山が 聳然と姿をあらわす。とりわけ秋の夕暮は西日にはえていっそう美しい。それをみたほとんどの外国人建築家は、 呆然として声もでない。
円通寺の庭は「借景庭園」としてしられる。
けっして大きい庭ではないが、庭一面が 苔、石でおおわれ、紅葉の木立があり、 生垣のむこうには竹 藪や 灌木がおいしげっていて、さらにそのさきに 比叡山がみえる。つまり庭の景物だけでなしに外部世界の風物をもとりいれて一場の 眺めとしている。
もちろんヨーロッパにだって 客殿からのすばらしい 眺めなどはいっぱいある。しかしそれらはたいてい一望千里のパノラミックな景観だ。円通寺のように 生垣や紅葉をはじめとする木立に切りとられて絵のようにみせる、というようなものをほとんどしらない。
というのも、ヨーロッパ人はいっぱんに樹木にたいする関心がうすいからだろう。明治に日本にきて、古きよき日本文化を再発見したラフカディオ・ハーンも日本の木立の美しさを絶賛し「それは日本人が木々を愛しているからだ」という(『神々の国の首都』)。
たしかに 欧米人の植物にたいする関心のほとんどは花である。樹木のたたずまいや 生垣・ 刈込のデザインなどといったものにはあまり興味をしめさない。∵
さらにヨーロッパには山というものがすくないから、山もあまり関心をひかない。
したがって「庭内の樹林と庭外の山などをあわせて 一幅の絵にする」というような発想はなかなかおきてこないのである。
その結果、ここに庭の構成要素のなかの「 垣」というものにたいする東西の認識の差があらわれてくる。
というのは、ヨーロッパの庭の 垣や 塀は、たいてい外の世界と内の世界とを断絶する「 壁」でしかない。 垣のなかには 鉄柵というものもあるが、それらはよういにのりこえられないように高くしてあるか、あるいはしばしば 鋭い剣先が天をむいて見る人をドキリとさせる。
ところが日本では、しばしば 灌木で 生垣をつくるだけでなく、 塀なども板 塀やブロック 塀などでなく築地 塀のようにりっぱにしている。とくに借景庭園のばあいには庭の内と外の景観をつないで一つの風景にする、という大切な役割をもたせ、それによって庭の 狭さなどの解消にも役だたせている。つまり「借景 垣」だ。
したがって 垣や 塀は日本の庭づくりにおいては景観の一部を構成するもので、たいへん重要なものである。 江戸後期の俳人の小林一茶(一七六三〜一八二七)もそういう美を 見逃さなかった。
冬枯れや 垣に結ひこむ 筑波山
(上田 篤『庭と日本人』)
周知のようにギリシア・ローマ神話では 読解検定長文 高3 春 3番
周知のようにギリシア・ローマ神話では、ゼウスもヘラも、またアポロやアフロディテ、そしてキューピッドも、それぞれ 年齢に応じた肉体をもち、顔をもっている。すなわち女神(ヘラ)、老年神(ゼウス)、青年神(アポロ)、童子神(キューピッド)といったように、かれらは性差や肉体の 特徴に 即して行動し、その個性的な表情が 彫刻や絵画で表現された。それのみではない。それらの想像上の神々は天空に 輝く星の群にさえ 投影されたのである。同じことは、ヒンドゥー教の神々の場合でもいえるだろう。ヒンドゥー・パンテオンの三大主神といわれる ヴィシュヌ神・ シヴァ神・ブラフマ神はいうまでもない。かれらの 配偶女神や 眷属神を 含めて 多彩な神像群が創造され、そのいずれもが変化に富む個性と表情をそなえているのである。
かれらはいずれも肉体を 付与されているがゆえに、受肉の神々ということができるだろう。受肉(インカーネーション)というのは人間の姿をとってあらわれること、すなわち化身・権化のことをいう。キリスト教では、イエス・キリストが神の子として 顕現したことを指す。同じようにヒンドゥー教でも、さきの ヴィシュヌ神が人間や動物に姿を変えてあらわれるという、化身( アヴァターラ)の考え方があった。ギリシア神話もヒンドゥー教神話も、その多神教の 基礎に神々の受肉=インカーネーションという観念がはたらいていた点で、同血の神話体系を構成していたということができるのである。
ところがこれにたいして、わが国の神々の形成には、このインカーネーションの 契機がはじめから欠けていた。そもそも、神々の姿を人間の身体によって表現しようとする論理を育てることをしなかった。というのも神はまず第一義的には 神霊としてとらえられ、空間を 浮遊・移動して、森や山や樹木に 憑着するものと信じられたからである。古い起源を有する神々の 名称に、飛鳥に 坐す神とか 熊野に 坐す神といった例が多くでてくるが、これは神が姿を 隠して特定の土地や場所に 憑着し 憑依している状態をあらわしているのである。
神は目に見えない 神霊としてとらえられているから、その行動は∵自在である。すなわち 神霊は無限に分割されて空間を移動し、各地に 鎮座することができる。たとえば全国の 津々浦々に分布する 八幡神は、もとはといえば大分県の総本家である 宇佐八幡の 神霊が分割され、空間を移動して、それぞれ 憑着したものであった。それを 鎮座といったのである。このような日本の神々の性格は、さきのギリシアやインドにおける場合が受肉=インカーネーションであるとするならば、 憑依=ポゼッションの機能として 特徴づけることができると思う。ポゼッションとは、神が 依り憑くという意味である。それは、目に見えない 神霊の行動様式をあらわしている。
日本の神々は本来、その肉体性や個性を表立ってことあげしない存在として伝承されてきた。われわれは記紀神話において、イザナギ、イザナミや、アマテラス、スサノオをはじめとして、かれらがいかなる個性をもち肉体をそなえているかについての情報を、ほとんど 与えられてはいない。また、神社に 祀られている個々の祭神を呼ぶ場合、たとえば一宮、二宮、三宮……といって、その固有名詞をいわないですますことが多い。たとえば春日大社のように、きちんとした神々の 名称があるにもかかわらず、そこに 祀られている五柱の神々を一 殿、二 殿、三 殿、四 殿、五 殿といいならわしてきた。同様に 伏見稲荷の場合も上社、中社、下社といい、 伊勢神宮は内宮、外宮で用を足してきたのである。
このようなことが生じたのは、わが国の神々の世界には、もともとギリシアやインドの多神教のように、受肉の観念がなかったからであると私は思う。自然の背後に身を 隠して 鎮座する神々の生態は、目に見える多神教とは水準を異にする性格のものであった。あえていえばそこには、受肉を 拒否する 憑依の観念がはたらいていたといっていいのである。その 憑依の観念によって構造化されていたわが国の神々には、その肉体が 薄明の 彼方に 隠れていたように顔がなかった。表情が 喪われていたのである。
(山折 哲雄『日本人の顔 図像から文化を読む』より)
マインド・コントロール概念の導入は 読解検定長文 高3 春 4番
マインド・コントロール 概念の導入は、カルト問題の現場に大きな変化をもたらした。なぜ人がカルトに入信するかを説明する、明確な道具ができたからである。それまでは、これらは親子関係や教育問題などから 言及されていた。マインド・コントロール 概念はメンバーが自分に起きた出来事を理解する手立てとなり、家族が 状況を理解するためにも役立った。これを 臨床心理学の言葉に 置き換えれば、心理教育ということになるであろう。心理教育とは、 症状や行動がどのようなメカニズムで起きているか、それを 緩和させたり予防したりするにはどうしたらよいかを教育する 介入方法である。この機能は、今後も十分に役立つであろう。
反面、この説明がいつでも有効性を持つわけではないことも事実である。ありがちなのは「自分はマインド・コントロールされていたのではなく、自分で選んだのだ」という主張である。この場合、マインド・コントロール 概念は自身のプライドを傷つけるものとして語られる。ここには、自分には十分なコントロール能力があり、その結果、信じたのであって、他人の思うようにコントロールされていたわけではないという反発のニュアンスが 含まれる。実際、個々のケースにおいて、個人がどの程度マインド・コントロールと呼ばれるものの 影響下にあったかは、究極的には知る術がない。
HowモードとWhyモード
マインド・コントロールという社会心理学的説明で、すべてが解決されるわけでもない。なぜなら、社会心理学が担えるのは事象の説明や解明であり、当事者が自身の経験をどう受け止めるかという 臨床的側面は担っていないからである。「自分がマインド・コントロールされていたことは、よくわかった。でも、それが何になるのか」という言葉を当事者から聞くことは、しばしばある。これは、How(いかに)とWhy(なぜ)の 相違である。人の持つ知的欲求として「どうして」を知りたい場合と「なぜ」を知りたい場合とがある。これは対象となる事象によっても異なるであろうし、どちらを知ることが満足につながるかが個人のメンタリティによって異なることもある。カルトがもたらす信念は、元来Whyに重点を置くものである。例えば「なぜ社会には、こんなに悪がはびこっているのか」「なぜ私は、こんなに生き 辛いのか」などの疑問や∵ 苦悩に答えるところから、これらの信念は 魅力を 呈する。よって、これらの集団にはWhyに関心を引き寄せられやすい人が残ることになる。
Whyは 形而上的な問いであり、そもそも多くの人が納得する正答を用意する性質のものではない。カルト・メンバーに教義論争を 吹き掛けて、出口の見えない 堂々巡りに 陥るのは、このためである。信じるか信じないかの基準しかないものに、客観的な正当性を求めるのはナンセンスである。したがって、カルト的思考を持った個人が別の視点を見出すのは、 刑而上的な問いの前提に自ら疑問を持つときか、思考の方向性がHowのモードに 切り替わったときのいずれかであろう。そこで個人がHowを理解すれば、それだけで事足りる場合もある。だが、そもそもWhyに関心を持っていた 彼らは、原点に 戻る場合も少なくない。それは、 哲学的・宗教的問いに対する絶対的な答えを失い、 呆然と立ちすくむWhyであることも、過去の個人的経験に対するWhyであることもあるであろう。
(戸田京子「カルト問題における心理学――社会心理学から見えるもの・ 臨床心理学から見えるもの」による)
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