ハラは、単なるムラを取り囲む 読解検定長文 高3 春 1番
ハラは、単なるムラを取り囲む、 漠然とした自然 環境のひろがり、あるいはムラに居住する 縄文人が目にする単なる景観ではない。定住的なムラ生活の日常的な行動 圏、生活 圏として自ずから限定された空間である。世界各地の自然民族の事例によれば、半径約五〜一〇キロメートルの面積という見当である。ムラの定住生活以前の六〇〇万年以上の長きにわたる遊動的生活の 広範な行動 圏と比べれば、ごく 狭く限定され、固定的である。いわばムラを出て、日帰りか、長びいてもせいぜい一、二 泊でイエに帰ることができる程度ということになる。
つまり、ハラはムラの周囲の、限定的な 狭い空間で、しかも固定的であるが故に、ムラの住人との関係はより強く定着する。
ハラこそは、活動エネルギー源としての食料庫であり、必要とする道具のさまざまな資材庫である。 狭く限定されたハラの資源を効果的に使用するために、工夫を 凝らし、 知恵を働かせながら関係を深めてゆく。こうして多種多様な食料資源の開発を推進する「 縄文姿勢」を可能として、食料事情を安定に導いた。 幾度ともなく、ハラの中を動き回りながら、 石鏃や 石斧などの石器作り用の石材を発見したり、弓矢や 石斧の 柄や木製容器用の、より適当な樹種を選び出したりして、大いに効果を 促進した。
縄文人による、ハラが内包する自然資源の開発は、生態学的な調和を 崩すことなく、あくまで共存共栄の 趣旨に沿うものであった。食物の味わい一つとっても、我々現代人と同様に 好き嫌いがあったに 相違ないのに、多種多様な利用を 旨としたのは、グルメの舌が命ずる少数の種類に集中して 枯渇を招く事態を 回避する戦略に適うものであった。これは 高邁な自然保護的思想に基づく思いやりというのではない。好みの食物を 絶滅に 追い込むことなく 連鎖によって次々と他の種類に 波及して、やがて食料だけでなく、ひいては自然を危うくするという事態を 避けることにつながる。多種多様な利∵用によって、 巧まずしてこのことが 哲学に 昇華して、カミの 与えてくれた自然の 恵みを有り難く 頂戴させていただくという「 縄文姿勢方針」の思想的 根拠になったとみてよい。ハラそのものを食料庫とする 縄文人の 知恵であり、アメリカ大陸の先住民の語り口にも同様な事情を 窺い知ることができる。
同じ人類史第二段階でも、西アジア文明に連なるヨーロッパにおいて、ハラの主体性を認めず、農地拡大の対象と見なす思想とは対立的である。つまりこのことも、一万年以上に 及ぶ長期にわたる 縄文の歴史に根差す日本的心における自然との共存共生の思想に対して、土地を利用し、ひいては自然を 征服するというような思想に根差すヨーロッパ近代以降の合理主義の発達との、際立った対照につながってくるのではなかろうか。
ハラを 舞台として、 縄文人と自然とが共存共生の 絆を強めてゆくのは、自然資源利用の戦略のレベルにとどまるのではない。利用したり、利用されたりという現実的な関係を 超えて、思想の次元にまで 止揚されたのである。一万五〇〇〇年前に始まり、一万年以上を 超える縄文の長い歴史を通じて 培われ、現代日本人の自然観を形成する 中核となった。
(小林 達雄の文章による)
カウンセリングにおいて 読解検定長文 高3 春 2番
カウンセリングにおいてなにより 肝要だとされるのは、相手の言葉をなんの留保もなしに受けとること、まちがっていると思っても反論せずにいったんは言葉をそれとして受けとめることである。そのために多くのカウンセラーは、相手の言葉を確かめるように一言一句 反芻する、そのような訓練を受ける。 傾聴ボランティアのトレーニングでは、言葉がぱったり 途絶え、事態が 塞いできたときには、「いま、何考えていました?」と 訊き返せばよいと教えられる。がもし、カウンセリングや 傾聴がこのように進められるのだとすれば、それは 逸らし、でしかない。ここでは、問題が、つまり自他のあいだで生じている 齟齬が、それをわたしがどう受けとめるかという、わたしの側の問題に密かに転位されるからだ。問題を生じさせているまさにその原因である事態について問うべきことが、その事態をどう受けとめるかという当事者の「内面」への問いに すり替えられるのである。
カウンセリングや 傾聴もまた「待つ」を事とする。言葉を 迎えにゆくのではない。言葉が、不意にしたたり落ちるのを、ひたすら待つのである。
しつこく言うが、言葉を 迎えにゆくのではない。言葉を 迎えにゆくのは、「 聴く」のおそらくは最悪のかたちである。
I 三月ごろに人から「もう落ちつかれたでしょう」と言われたことがあったんですが、それになんとも言えないギャップを感じました。 震災から二 ヶ月後くらいですが、私にとっての時間と、その人にとっての時間は、また意味が 違うんですね。
K 日本人はあいさつのときにそういう言い方をする人が多いですね。それで「はい」と言われると、自分も安心できるから。そうすると、そう言われたほうもうるさいから、たいてい「はい」と答えるんですよ。
I 私も言いました。(笑)
K そこでギャップができて、あとの会話が続かないね。
I もうその人には話さんでおこうと思いました。
K そうでしょう? 心のケアとかなんとか言っている人にも、そういう失敗をする人がすごく多い。「どうですか、もうそろ∵そろ」なんて言われると、立ちなおらなければいかんみたいな格好になってくるから、よけいに苦しめる結果になるんです。
I さすがプロだなと思いましたが、なんにも言わずに聞いてくれた人がいましたね。なんにも言わずに聞いてくれることがこんなに大事なのかと、身にしみて感じましたから。
K へたに 慰めたりもしない。はじめから元気づけられたってどうしようもないもの。
(河合 隼雄『心理 療法の現場から(上)』、石川敬子との対談の章より)
聴くということがだれかの言葉を受けとめることであるとするならば、 聴くというのは待つことである。話す側からすればそれは、何を言っても受け容れてもらえる、留保をつけずに言葉を受けとめてくれる、そういう、じぶんがそのままで受け容れてもらえるという 感触のことである。とすれば、「 聴く」とは、どういうかたちで言葉がこぼれ落ちてくるのか予測不可能な「他」の訪れを待つということであろう。
( 鷲田清一『「待つ」ということ』)
子どものころ、私は 読解検定長文 高3 春 3番
子どものころ、私は八月六日を息をひそめてすごしていた。一日がすぎるのを、ただじっと部屋の 片隅にすわって待っていた。広島の八月六日は、朝八時からの平和記念式典に始まり、八時十五分の 黙祷、そして夜の 灯籠流しで終わる。広島市の中心、平和公園と 原爆ドームの間に元安川という川がある。その川面に、水を求めて亡くなった 犠牲者を 弔う灯籠が流されるのだ。
私はその 灯籠流しが好きだった。当時は元安川近くの社宅アパートに住んでいたので、夜はよく一人で 灯籠を見に行っていた。 慰霊のためではない。橋の上から、ゆらゆら海へ流れでていく光をながめながら、私は 安堵のため息をついていたのだ。これでやっと今年も八月六日が終わる、と。
私は八月六日がいやだった。 吐き気がするほどいやだった。「ヒロシマの声を全世界に!」「広島は 喪に服しています」と連呼する、したり顔の識者や記者やアナウンサーたちがいやだった。――その「ヒロシマ」っていったい 誰のことなんだよ?
子どもだから、明確に言葉にできていたわけではない。けれども、そう 叫びたくなる息苦しさは、八月六日がくるたびに、私の身体のなかを通り過ぎていった。
おかげで、平和教育には完全に落ちこぼれてしまった。
教師うけの話ではない。教師うけなら、ばっちりにはほど遠いが、そこそこの評価は得ていたと思う。小学生も五、六年になれば、一応の手練手管は身についている。平和教育のために作文を書かされたりするが、それももうほとんどマニュアル化されていた。おとうさんやおばあさんや近所のおばさんからきいた「八月六日の話」をならべて、その後に「 原爆はほんとに 悲惨だと思います。戦争は絶対にしてはいけないと思いました」と、つけくわえればOKだ。
あとは「話」がどれだけリアルかで、教師うけの良し悪しは決まる。リアルであればあるほど、よい作文にされる。あえていえば、実話である必要すらない。
(中略)
私の経験がすべてだというつもりは毛頭ない。もっと真面目な平和教育、もっと 真剣な小学生もたくさんいただろう。けれども、私∵の経験もまた平和教育の一つの姿である。「 原爆はほんとに 悲惨だと思います。戦争は絶対にしてはいけないと思いました」という結論以外は許されなかった。そのなかで自由をもとめるとすれば、息苦しさを 逃れるとすれば、オーバーな作り話にして全体を茶化すしかないだろう。
検閲は笑い話を生む。旧ソ連 圏の社会主義国でもそうであったし、戦後の広島市でもそうであった。
「平和教育は 虚妄だった」といいたいわけではない。この種の裏話をもってきて、戦後の思想を 貶める言説には私自身あきあきしている。戦後の思想が 抑圧なら、一個の裏話をもってきて、戦後の思想を根こそぎひっくり返そうとするのも 抑圧にほかならない。戦後批判の言説の多くは、救いがたいくらい戦後的である。
原爆は 悲惨だ。どうしようもないくらい 悲惨だ。広島で育った人間ならその記録は必ず目にするし、記録できた出来事は最も 悲惨な出来事ではない。それを忘れたつもりはない。私がいいたいのはただ一つ。その絶対的な 悲惨をもってしても、戦争と平和の意味のすべてを 覆いつくすことはできない、ということだけだ。
( 佐藤俊樹『〇〇年代の格差ゲーム』)
「私が結婚相手に望む経済力は 読解検定長文 高3 春 4番
「私が 結婚相手に望む経済力は、そんなに大きなものではありません。ただ私と子ども二人が安心して暮らせる程度でいいのです。子どもには小さいときから習い事をさせてやりたいです。お金がないからといって子どもにみじめな思いをさせるのだけは絶対にいやです。そして、子ども二人を私立大学に行かせてやれるくらいの給料は求めます(だって、私もそうしてもらったので当然だと思います)。月に一回は外食し(もちろん 廻るお 寿司ではなく、 お洒落なイタリアンとかです)、年に一回は海外旅行に行く。そういう程度の経済力です。私には 玉の輿願望はありません。私の両親が夫の両親に対し、 肩身の 狭い思いをするのはいやなので、軽い 玉の輿程度で十分です。もちろん夫は真面目に働く人でないと困ります。ちょっといやなことがあると会社を辞めるとかされたりすると、とても困ります。それから、土曜日には子どもを連れて公園でサッカーしたり、川の 堤防の下でキャッチボールしたりするのを、私は 堤防の草むらに 坐って 眺めるのが夢です。それから、 煙草を吸う人は絶対にお断りです。本人よりも周りにいる私や子どもたちの受動 喫煙が 怖いからです。家族(子どもと私の両親)を大事にして、 結婚記念日とかは絶対に覚えていてくれないといやです。あとDVとかして、暴力を 振るう人ももちろんお断りです。まだ、他にもありますが、先生が三つまでと言われたので、このくらいにしておきます」
言っておくが、これは学生の書いたものを合成したり、特定の個人のものを意図的に 抽出したりしたものではない。みんなみんな、こう書いてくるのである。なんでここまで同じなのか、私が聞きたいくらいである。この女子学生の 結婚願望を男子学生に 紹介すると、教室中に「冬虫夏草」みたいな 菌糸状のものが 浮遊する。 漠然とした 怒りと不安めいたものだ。
こういう、学生の書いたものを何年も多数読んできて、私はこの国の 晩婚化は止まらないと思ったのである。今は、まだ 晩婚化で済んでいるが、これから非 婚率の 上昇も必至である。就職難と 結婚難が、 双子になってやってくる。
男の子は、正社員として就職できずにフリーターになれば 結婚で∵きない。 結婚できないで家庭を持てないから、就労意欲が低下し、ますます 離職が 促進される。女の子は、正社員で就労意欲の高い、ついでに給料も高い男性目指して、「 容貌偏差値」を上げるのに余念がない。しかし、「実用 偏差値」はきわめて低い。料理を作ったことがない。ご飯を 炊いたことがないという女子は多い。なぜなら、女子学生の母親は「女は、 結婚するといやでも家事をしなければいけないから、家にいるうちはそんな苦労をさせたくない」と、 娘に家事をさせないからである。むしろ、男子学生の母親の方に「将来、息子が 結婚したら、 奥さんも働いている可能性が高いので、男も家事ができなければならないので、今から教えている」と語るケースが多かった。だから、男の子の方が、基本的な 炊事はできるのである。現在、大学生はとても 忙しい。授業以外に専門学校に行き、アルバイトもしている。
「バイトで深夜の十二時にアパートに帰り、カップ 麺を食べていると 侘しくなり、就職してもこういう生活かと思うと、家に帰ったときにはやはり 誰か人の気配があってほしいなと思います」
こういうことを女子学生が書いてきたケースは一回もない。男子学生にのみ見られる。こういう生活実感から来る 結婚への 憧れは、だからこそディテールに 凝った具体的なものになるのであろう。
(小倉千加子『 結婚の条件』)
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