味覚を感じる場所 読解検定長文 小3 夏 1番
私たちが 味を 感じることができるのは、 舌や口の中にある 味蕾の中の 細胞が 味を 感じ、それを電気 信号に 変えて、 神経を通じて 脳に 送るからです。 味の 感じ方は 年齢だけではなく、 性別や 人種によっても 違いますし、 個人差もあります。また、 味覚は、 気候や風土などの 環境にも左右されます。日本人は白人に 比べて 味蕾の数が多いので、日本 料理のように 繊細な 味の 料理が 発達したのだという 説があります。また、日本人の 男性は 女性よりも 味蕾の数が多いので、 甘いものを 甘く感じすぎて 苦手であるという 説もあります。 実際、 苦味で 測定する、「 味盲」と 呼ばれる 味を 感じにくい人の 割合は、日本人では十人に一人くらいですが、白人ではその三 倍近くいるそうです。
この、 味を 感じる味蕾の数は、年が 若いほど多いのです。つまり、赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいるときがいちばん多く、年をとるとともに 減って、 老人になると赤ちゃんのときの半分から三分の一になります。
赤ちゃんは生まれる前、お母さんのおなかの中の 羊水という水を 飲んでいます。この水はわずかに 甘く、お母さんのお 乳に 似ている 味だそうです。 味蕾の中の 細胞が 感じる味は、お母さんの食べる 食事によってもわずかずつ 変わってくると言われています 。味蕾をたくさん 持っている赤ちゃんが生まれてきたときには、すでに「わが家の 味」になじんでいるのかもしれません。
老人では 味蕾の数だけではなく、 唾液の 分泌も 減ってくるので、 食べ物がうまく 唾液に 溶けずに、 味蕾に 届きにくくなるのも、 味を 感じづらくなるひとつの 原因です。ですから、 老人になると、 味を 感じるまでに時間がかかったり、どちらかというと 味が 濃い食べ物を 好むようになります。
ところで、 現代では、 若い人たちの間にも 味覚障害の人が 増えて 問題になっています。 味覚障害といってもいろいろなタイプが∵あり、まったく 味を 感じないものから、本来の 味と 違う味を 感じるもの、 特定の 食べ物の 味だけを 感じないものまで、さまざまです。これらは 味蕾に 異常があるために 起こるのですが、その 原因で 最も多いのが、 亜鉛が足りないために 起こる味覚障害です。
亜鉛というのは 金属の 一種で、 私たちの体にはなくてはならないミネラル分です。どうしてなくてはならないかというと、 私たちの体の 細胞が新しく作りかえられるとき、 亜鉛が 必要になるからです。 味蕾の中の 細胞は、 寿命が十日ほどしかありません。つまり、十日ごとに新しく 生まれ変わらなければなりません。そのとき、 亜鉛の 助けが 必要になるのです。しかも、 亜鉛は、体の中では作り出せないので、外から 取り込まなくてはなりません。 亜鉛は、小麦の 胚芽や生ガキ、カタクチイワシ、カボチャ、ココア、 抹茶などに多く 含まれています。
病気のせいで、あるいは 他の 薬のせいでこの 亜鉛の 取り込みができなくなると、 亜鉛不足が 起こります。また、 現代の食生活で 問題になるのは、 加工食品やインスタント 食品に 含まれる 食品添加物です。これらの中には、 亜鉛を 取り込みにくくするものがあります。さらに、 無理なダイエットや、 好きなものばかり食べる 偏食によっても、 亜鉛不足が 起こります。ですから、 若い人たちにも、 味覚障害が 増えているのです。
やはり、食生活には気をつけていないと、「おいしい 味に出アエン」ということになりそうです。 味蕾を 発達させて、おいしいミライの食生活を楽しんでいきましょう。
言葉の森 長文作成委員会(τ)
羽の構造 読解検定長文 小3 夏 2番
羽には、 様々な 用途があります。あるときには 婦人の 帽子を 飾り、 女性の 美しさを 際立たせます。 別のときにはペンになり、ラブレターをつづるかもしれません。またあるときにはコートの 中綿になり、 私たちを 温かく包んでくれます。
しかし、羽のありがたみをいちばん 感じているのは、何といっても鳥たちでしょう。羽がなければ 飛ぶことができません。 更に、 美しい羽は、つがいの 相手となるパートナーをひきつけるのにも 役立ちます。また、鳥を 寒さから 守る役目も 果たします。これらの点では、鳥たちも人間とあまり 変わりません。もっとも、羽をペンの 代わりにする鳥はいないようですが。
鳥類が羽を 持っていることは広く知られていますが、その作りをじっくり 眺めたことのある人はあまり多くないかもしれません。羽は 実に見事にデザインされています。
風切羽の中心には羽を 支える軸が走っています。よく見るとその 裏側には一本の 溝が 刻まれています。このちょっとした 工夫のおかげで 軸の 強度は高まり、 曲がったりよじれたりしても 折れにくくなっています。
鳥類はまた、 普通の羽の間に、糸のような細長い羽を 持っています。この羽の 根元にある 一種の 感覚器は、羽の 乱れを鳥に知らせます。羽が 乱れてきたという 信号が出ると、鳥は 翼を休め、くちばしで 羽づくろいをして羽を 整えます。この 感覚器はまた、 飛んでいる 速度を鳥が 判断するのに 役立っているのではないかとも言われています。
表面から見える羽の下には、ダウンと 呼ばれる 綿羽がぎっしりと生えています。カモの場合、その 厚さはニセンチ近くにもなります。 綿羽の 断熱性は 優れており、冬の 身を切られるような 寒さも、ダウンのコートがあれば 平気です。∵
羽のおかげで、鳥も人間もファッションを楽しむことができ、さらには 寒さをしのぐこともできます。鳥の羽は、まさに「一石 三鳥」あるいはそれ 以上の 働きをしています。しかし、生まれつきそういう羽を 持っているカモたちにとっては、当たり前のことなのカモしれません。
言葉の森 長文作成委員会(τ)
アリの結婚式 読解検定長文 小3 夏 3番
初夏のある日の午後、 巣穴のまわりに多数のアリが 忙しそうに 群がっています。クロオオアリです。みんな 大変興奮しています。よく見ると、その中に羽のある大きなアリがまじっています。さらに気をつけてみると、この羽のあるアリには大小二つの 型があるようです。やがて羽のあるアリは、 次々に大空へ 飛びたっていきます。大多数のアリには羽がないのに、大空へ 飛びたった羽のあるアリたちはいったい 何者なのでしょうか。
この羽のあるアリは 羽アリとよばれ、大きいほうがメス、小さいほうがオスです。そして、大空へ 飛びたっていったのは、メスの羽アリにとってはおむこさん 探し、オスの羽アリはおよめさん 探しの 出発なのです。このような羽アリの 旅を 結婚飛行と言います。
この 結婚飛行の 時期は、アリの 種類によって 決まっていて、そのときには同じ 地域のたくさんの 巣からいっせいに羽アリが 飛び出していきます。たとえば日本の 中部では、クロナガアリが四月 下旬、クロヤマアリが五月 中旬、キイロシリアゲアリが九月です。
大空に 飛び出した羽アリたちはオスメス入りみだれて 飛びつづけます。やがて、メスアリは、地上におりて自分で自分の羽を 落とします。これは母親になる 準備です。そして、 巣となる 場所を 求めて歩きまわり、 適当な 場所が見つかると、そこに 産卵のための 穴を 掘ります。やがて 巣が 完成すると入り口を 内側からしっかり 閉めて中にこもります。
オスアリたちも地上にまいおりますが、 結婚飛行でつかれ、じきに鳥や虫のエサとなってしまいます。
巣の中にこもったメスは、やがて毎日ほぼ一 個ずつ 卵を 産みます。 卵はメスアリに 抱きかかえられるように 大事に 守られ、やがて 幼虫になります。 幼虫は、母アリから口うつしでえさをもらって大きくなり、何日かたつと、おしりの先から 絹を出して、自分の体をつつむようにしてまゆをつくります。そして、まゆの中で 脱皮∵をしてさなぎになります。さなぎは、もうアリの形をしています。
やがて、まゆからアリがかえります。このアリは 働きアリといい、羽はありません。体は小さく母アリの半分 以下ですが、元気よく 働くようになります。 働きアリが十 匹くらいになると、母アリは 働きアリからエサをもらうようになり、それ 以降生まれた 卵は、 働きアリに 世話をされるようになります。
母アリは、 働きアリが 巣の外に出て 取ってきたえさを食べて、どんどん 卵を 産んでいきます。ふつう、 卵をうむのは 集団の中で母アリ 一匹だけなので、これを女王アリとよんでいます。女王アリの 寿命は長く、 条件がよければ十年 以上も生きるといわれています。
巣がまだ小さいうちに生まれた子どもたちは、大きくなってからも 働きアリにしかなりませんが、 ある程度以上巣が大きくなると、羽アリが 適当な 季節に生まれるようになり、アリの 結婚飛行が 再びはじまるのです。
「 働きアリのほかには、どんなアリがいるんですか。」
「 壁に耳アリとか、 障子に目アリとか。」
「それは、アリの 仲間ではアリません。」
言葉の森 長文作成委員会(Κ)
豊かな紙の国 読解検定長文 小3 夏 4番
文字は、 初め石などに 刻まれていました。しかし、それでは時間もかかるし、 重すぎて 持ち運ぶこともできません。人間が、カイコのまゆから 絹の 布を作ったり、 植物から 繊維をとり出して 布を作ったりすることができるようになると、その 布を作る 技術を 利用して、紙を 発明することができるようになりました。紙は、 安い上に、 軽くて、しかも 薄いので、何 枚も 重ねて 使うことができました。この紙の 発明で、文字が人間の社会に広がるようになったのです。
日本にも、一六〇〇年 以上前に、中国から紙を作る 方法が 伝わってきました。日本には紙にするのにとてもよい 植物があり、日本人は 工夫が 得意だったので、あっというまに、 厚い紙、 薄い紙、 硬い紙、 軟らかい紙、白い紙、色のついた紙、そして、金や 銀をちらした紙、よい 香りがする紙など、いろいろな紙が作り出されました。
その 時代に書かれた本には、「いろいろな紙をもらうと、この紙にあわせて、どんなふうに 工夫して字や絵をかこうかと考えてとても楽しい」とか、「いやなことがあっても、 真っ白で 上等な紙のたばをもらうと、 気持ちもはれて、ここに何を書こうかとうれしくなってくる」などという話が 載っています。今でも、きれいな 折り紙や 包み紙、 真っ白なノートなどをもらったときに、同じような 気持ちが 感じられるのではないでしょうか。
日本では、古い紙を もう一度すきかえして新しい紙にする 技術も 発明されました。そのリサイクルの紙は 真っ白でなくしっかりもしていませんでしたが、 普通の人も買うことができる 安い本になりました。
江戸時代になると、紙の本はたくさんの人が 持つことができるようになりました。そればかりか、子どものための、紙細工のおもちゃまでたくさん作られるようになりました。これを、おもちゃ絵と∵いいます。そこには 豆絵本のような、本のかわりになるものや、はさみで切ってくみたてて 遊ぶ紙おもちゃなどさまざまな 種類のおもちゃがありました。きせかえ人形や、おしばいごっこの立ち絵、紙ずもうやめんこ、そして組み立て絵というものができたのもこのころです。ほかにもすごろくやかるたなど、今の 時代にも 伝わるおもちゃがこの 時代に 発達しました。。
江戸時代の子どもたちも、今の子どもたちが、ゲームのカードをためたりマンガを買いそろえたりするのと同じことをやっていたのです。
破れやすく、火には 燃えてしまう紙と知ってはいても、それでも紙でできたものには、 集めて 愛さずにはいられない 魅力があるようです。
「紙 君って、えらいんだね。 今度から紙 様って 呼ぼうか。」
「いやあ、もっと気楽に読んでくれた方がいいよ。」
「じゃあ。ヘイ、カミーン。」
言葉の森 長文作成委員会(λ)
|