村の伝兵衛さんの家に、 読解検定長文 小4 夏 1番
村の 伝兵衛さんの家に、子ねこが六ぴきうまれました。そのうち五ひきは、ほうぼうにもらわれていきましたが、親によくにためすねこだけは、もらい手がなくて家にのこりました。そして、一年ほどもたつと、どれが親だか子だか、家の人でも、ちょっとわからぬほど大きくなりました。
ある夜、村のわかい 衆が、酒もりをしようと、 伝兵衛さんの家にあつまりました。ところが町へ酒買いにいくことになると、だれもじぶんがというものがありません。すると、ちえじまんの 伍一というわかものが、この親子ねこを見て、
「おい、みんないいことがある。 彦一をよんできて、このねこの親と子を見わけさせようじゃないか。いかに 彦一でも、ひと目でこれがわかるはずはない。しかし、まけん気の 彦一は、けっしてわからぬとはいわぬから、まちがったら町へつかいにやろうじゃないか。」
といいました。それはおもしろいというので、むかえにやると、すぐ 彦一がやってきました。 伍一は親子のねこをまえにおいて、
「おい 彦一、このねこはどっちが親で、どっちが子が見わけがつくか。もしうまく見わけたら、ここにあるおかしをみんなおまえにやろう。そのかわりまちがったら、おまえは町まで酒買いにいくんだ。」
というと、 彦一は、へいきで、
「いいとも。」
と、こたえ、いろりのそばにあったさかなのほねを、二ひきのねこのあいだになげてやりました。二ひきのねこはいちどにとびかかって、そのほねをおさえましたが、一ぴきのねこが、うまそうにたべるのをじっと見つめています。
彦一はこのありさまを見て、
「さかなのほねをたべているほうが子どもで、見ているほうが親ねこだ。 伝兵衛さん、そうであろうが。」
といいました。ほんとうにそうだったので、 伝兵衛さんがかんしんしてうなずくと、 彦一は、ことばをついで、
「なあ 伍一どん、ねこだって親は子から先にたべさせる。親というものは、ねこだって子どもをこんなにかわいがる。ああ、ありがた∵いのは親だ。おれははやくかえって、このかしをおかあさんにあげよう。」
こういうと、まえにあったおかしをもって、どんどんかえってしまいました。
(小山 勝清「 彦一とんちばなし」)
むかし、からからにかわいた砂漠で、 読解検定長文 小4 夏 2番
むかし、からからにかわいた 砂漠で、ある男が、十頭のラクダを水飲み場につれていこうとしていました。
しばらくあるいたところで、男は一頭のラクダの 背にのり、あとなん頭いるか、かぞえてみました。ラクダは九頭しかいませんでした。男はあわててラクダの 背からおりると、いなくなった一頭をさがしに、いまきた道をてくてくあるいてもどりました。
けれども、どこにも 姿が見えません。きっといなくなってしまったんだ。男は、そう思ってさがすのをやめ、大急ぎでラクダたちのところへもどりました。
がっかりして、もどってきてみると、これは、またどうしたことでしょう。ラクダはちゃんと十頭いるではありませんか。大よろこびで、男は、そのうちの一頭の 背なかにのりました。
ところが、しばらくすると、もういちど、数をかぞえてみたくなりました。九頭しかいない!男は、とほうにくれて、ラクダの 背からおりると、またいなくなった一頭をさがしにいきました。どこにもいません。
男は、 群れのところにとんでかえって、数をかぞえてみました。すると、おどろいたことに、十頭ぜんぶそこにいて、ぶらぶらあたりをあるきまわっています。
男は、これは 砂漠の暑さのせいだと、もんくをいいながら、こんどは、いちばんうしろのラクダにのりました。そして、三度めの正直とばかりに、もういちど、のこりのラクダをかぞえました。さっぱりわけがわからない。また一頭たりなくなっている! 男は、 悪魔をののしりながら、ラクダからとびおりました。そして、のろのろと 群れのあいだをあるきながら、一頭ずつかぞえていきました。ちゃあんと十頭います。
「わかったよ、わかったよ、この 根性まがりの 悪魔め。」
と、男は 吐きすてるようにいいました。
「のって一頭をなくすくらいなら、十頭つれてあるくほうがましさ!」
(ユネスコ文化センター 編「アジアの 笑いばなし」)
∵
国家 試験を目前にひかえた三人の 受験生が、 結果をうらなってもらいに、ある 占師のところへいきました。
すると、 占師は、なにもいわず、ただだまって指を一本立ててみせました。
結果が発表されてみると、三人のうちひとりだけが 合格しており、おかげで、この 占師の 評判はぐんとあがりました。
占師のわかい弟子は、どうしてそれがわかったのか知りたがりました。
「 成功の 秘訣は、ものをいわぬことじゃ。」
と、 占師はいいました。そして、それをきいた弟子がぽかんとしているのを見て、こうつけくわえました。
「いいかね、おまえは、わしが指を一本だしたのを見ておったろう。それは、三人のうちひとりだけが 合格するという意味にも取れる。事実、そうなった。だが、もし、ふたり 合格しておったとしても、わしの見立ては、やっぱりただしい。指一本は、ひとりおちるという意味にとれるからな。三人ともとおっていたとしても、指一本は、三人そろっていちどに 合格という意味にとれる。その反対もおなじこと。どんなばあいも、わしはただしいんじゃ。」
(ユネスコ文化センター 編「アジアの 笑いばなし」)
一九七七年。 読解検定長文 小4 夏 3番
一九七七年。 初めてケニアのマサイ・マラ動物 保護区をおとずれたとき、とてもふしぎに思う 光景にぶつかった。
車を走らせていると、シマウマとトピがいっしょになって草を食べているかと思うと、シマウマとトムソンガゼルがいっしょになっているときもある。
わたしは、「せまい草原ならいざしらず、ここはかぎりなく広がる草原である。なにも同じ場所でいっしょになることもあるまい。べつべつにわかれて、のんびり食べればいいのに」
と、思った。いっしょにいれば、同じ草をめぐって、うばいあいが起こるのではないかと考えたからだ。
ところが、草食の 哺乳類たちは草をめぐってのあらそいを起こしていない。同じ場所で、それぞれの 種がゆうゆうと草を食べていた。
それ 以来、それぞれの 種が草をどのように食べているのか、注意深く 観察をするようになった。草の食べ方が、それぞれの 種によってちがっていると思ったからだ。
同じく、マサイ・マラ動物 保護区のサバンナを車で走っていると、三〇頭ほどのヌーと、二〇頭ほどのシマウマがまじりあうようにして草を食べていた。車を止め、わたしは両者の食べ方をくらべてみた。
シマウマのほうは、まだ 穂のついている草むらの中にはいりこんで食べているのに対し、ヌーのほうは、草や 茎がすでに半分 以上も食いつくされたところにたって、シマウマの食い 残しの部分をしきりに食べているのだ。すぐかたわらに、まだぜんぜん食べていない草があるというのに、どのヌーも、それには口をつけようともしない。 背たけがみじかくなった草ばかりをしつこく食べつづけていた。
わたしは、ヌーの口のかたちに注意をした。横に広がり、いかにも、みじかい草を食べるのに 適している。
そのうえ、ヌーの門歯は上あごにはなく、下あごだけにはえている。この門歯のつくりも、みじかい草を 刈りとるのに 適している。事実、ヌーはみじかい草をじつにたくみに 刈りとって食べているのだ。∵
シマウマのほうは、 穂のついた草も 刈りとって食べている。シマウマのこの門歯は、ヌーとちがって、上あごにも下あごにもはえている。 背たけの高い草も、シマウマには食べやすくなっているのだ。
シマウマとヌーは、同じ場所にいっしょにいても草をめぐってあらそいを起こすどころか、草をじょうずに食いわけていたのだ。 自然は、いろいろな動物が、同じ場所で食べてくらしていけるようにつくりだしているのだ。
(黒田 弘行「サバンナをつくる生きものたち」)
アフリカ・オーストラリア・南アメリカの 読解検定長文 小4 夏 4番
アフリカ・オーストラリア・南アメリカの三 大陸には、 肺魚というさかながいて、真水の中に住んでいます。 肺魚という名まえからもわかるように、うきぶくろが、たいへん 肺によく 似ています。
肺魚も、ふだんは、えらで 呼吸をしていますが、雨のない 季節に水が 干あがってくると、 肺、すなわち、うきぶくろで、 呼吸をするようになります。
南アメリカの 肺魚は、自分の住んでいるぬまがかわいてくると、まず土にあなをほってはいりこみ、からだが水から出るにしたがって、うきぶくろで 呼吸を始めます。土がすっかりかわいてしまいますと、からだがからからにかわかないように、ねばっこい 液でからだをくるんで、ふたたび、雨の 季節になるまで、じっとしています。
このように 肺で 呼吸することのできるさかなが、だんだん水から 陸に上がってきて、やがて、すっかり 陸上動物になってしまうことが、 想像されないでしょうか。 実際に三 億年ぐらいのむかしに、空気を 呼吸するさかなが、 陸上と水中と両方で生活するようになって、 両生類のなかまが生まれ出ました。
動物が 陸上で生活するためには、 陸上に植物がはえている 必要があります。たとえ肉食の動物でも、そのえじきになる動物は、植物を食べているのだし、すみかや、かくれがとしても、植物が 必要だから、植物がはえていなければ、動物は生活できません。
だから、どう考えても、 陸上生物が生まれる前に、 陸上植物が生まれているはずなのです。動物は、植物のあとをついて、水中から 陸上に上がりました。
陸地に植物が大いにしげって、動物が住めるようになったときに、さかなから 両生類が生まれたばかりでなく、それと前後して、サソリやこん虫、そのほかいろいろの 陸上動物ができました。それが、今から三 億年ぐらい前のことなのです。∵
( 八杉龍一「進化の道しるべ」)
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