さっきの女の子は 読解検定長文 小6 夏 1番
さっきの女の子はまだ 描いていた。それも、もうそろそろ 彩色が終わってもいいところなのに、画用紙を 裏返して、また初めから 描いているのだ。あいかわらずたどたどしい線でまだ建物の 輪郭もとれていなかった。あと半時間たらずで仕上げなければならないというのに、そのようすでは夜になっても出来上がりそうになかった。
洋が近づくと、女の子はおびえた目つきになった。洋はできるだけ 優しい声でたずねてやった。
―どうしてさっきのに 塗っていかへンかったンや。
女の子はふりむいて 唇をかんだ。なにかを 懸命にこらえている顔だった。
―きみの好きないろで自由にぬっていってたら、もう仕上げられたのに……。
洋が言っても女の子は口をきかなかった。さっきよりもっと強く 唇をかんだ。両目に 涙があふれたまった。こぼれ落ちるのをなんとかこらえていたが、一 粒ぽろんと落ちたのをきっかけに、画用紙の上に 涙の小雨がふった。洋はあわてた。そのときになって、自分がでしゃばりすぎたことをしたのにようやく気がついたのだ。この子はこの子のテンポとやりかたで 描いていた。それを洋はぶちこわしてしまったのだ。女の子は、小さな、けれどきつい声で、さっきの絵は先生の絵だで――わたしやっぱり自分の絵を 描きたかったで……と、言ったのだ。洋は 胸をつかれ、 困惑した。いったいどうすればよいのか。もうしばらくすると、自分は学校へもどり、全校生徒集合のあと、本日の写生大会の 終了を 宣言しなければならなかった。しかし、この子の絵はそのときまでにとてもとても仕上がるはずがなかった。女の子はそんな洋を 無視して、また線を引いては消しゴムを使う――作業をくり返していた。洋は男の子になって立ちすくんでいた。
すると、さっきみたいに、また 背中をちゃんとつつく者がいた。ふりむくと、根元少年がすぐ後ろにきていた。
―まだ仕上がらん生徒がふたりおるで、先生がおしまいまで見とる――と、学校まで言いにいったるでよ。∵
(そうや、 終了宣言なんか 誰かにかわってもらえばええわ。それよりこの子や。この子とおしまいまでつきあうことの方がだいじや)
―たのむわ。
と、言ってから、ふたり――いうたら 誰のことや、もうひとりは?ときいた。根元少年はにっと笑って自分の顔を指さし、すぐもどるで……。言い残してもうかけだしていた。
(負うた子に教えられ――か)
心の中ではぼやきながら、洋は女の子にていねいにあやまった。仕上がるまでここにおるさかい、ゆっくり 描き。さっきの子もまだやから、ふたりでゆっくり 描いたらええ……。
女の子は 頬からかたい線がすっと消え、安心したのか、手の動きが少し早くなった。
( 今江祥智 「牧歌」)
私は、小学校の頃 読解検定長文 小6 夏 2番
「お母さん、ごめんね。 僕丈夫になるよ。そして大きくなったら、きっと幸せにしてあげるからね」
という、ちょっと泣かせるような言葉で結んだ。題名は『母との約束』とした。
一 ヶ月ぐらいたった後、 私は職員室に 呼ばれた。当時の学校の先生というのは、 謹厳実直、 聖人君子であり、先生の言うことは、絶対に 間違いなかった。 私の 担任は、 若い男の先生だったが、ニコニコしながら、
「関口君、君が書いた『母との約束』という作文ね……、あれ、 横浜市の作文コンクールで入賞したよ。君、うまいんだね、作文が。これからも 頑張りな……それから、これ賞品」
と言って、先生がちょっと変わった事をする時の 癖である、メガネをひょいと持ちあげて、「賞」と入った大学ノートを 渡してくれた。
「ただね、この作文はこれから県の大会とか、いろんな所に回すんだ。だから、この事はご両親にも、 誰にもいっちゃいけないよ。先生と君だけの 秘密だ」
と言われた。 私はちょっとおかしいなと思ったが、「賞」と入ったノートがうれしくて、
「はい」
と答え、自分の席に 戻った。
私はそのノートの 隠し場所に苦労した。両親にも言ってはいけないという。そのためあれこれ考えたすえ、結局、 自宅の自分の 机のいちばん 奥にしまっておく事にした。余程、母だけには言おうと思ったが、先生の言うことは絶対だと思い 黙っていた。
ただ、毎日のように、 私はそのノートに 触り、 感触を楽しんだ。不思議なことに、そのノートにふれると文章がうまく書けるようなきがした。そのため 誰もいない時だしてみると、しょっちゅう 触るため、一行も書かれていないノートではあるが、表紙だけは真っ黒になっていた。
そのノートは少なくとも小学校を卒業するまではあった。が、家の 引っ越しのドサクサかなにかに 紛れたのか、いつのまにかなく∵なってしまった。
しかし、この作文の「入賞」は、何も 取り柄がなかった 私にとって大きな自信になったし、また先生との 秘密を守れたということが、いつも 私の心の支えとなっていた。
中学に入る 頃から、 私は 丈夫になり、体も大きくなって運動も 人並みに出来るようになった。また、すべてに積極的になり、受験 勉強などしているうちに、書く時間もなくなり、いつの間にか書くという特技はなくなってしまった。
しかし、この 頃になると、例の作文の「入賞」はおかしいなと思うようになった。 表彰状もないし、第一あのノートも、「賞」とは記してあるものの、運動会か何かの賞品の残り物のように思えてならなかった。しかし、それはそれでよいと 割り切っていた。
先生との 秘密の約束はいつになっても 私の心の支えであり、今の自分があるのは先生の お陰だと感謝していた。そして、先生とお会い出来る機会でもあったら、その時にでも事実をお聞きしようと軽く考えていた。
あるパーティの席で、 私は例の先生にお会いするチャンスに 恵まれた。
先生は六十をとうに 超えられていたが、 私のことは覚えておられた。 私は今日こそ、例の件を確かめる絶好の機会だと思ったが、先生の方から声をかけられた。
「 噂で聞いたよ、銀行の支店長になったんだってね。……いや 立派、 立派。そういえば、君は 子供の 頃から、人の言うことを信じて 疑わない素直なところがあったな……。良かった、良かった。まあ 一杯どうだ」
私は、
「有り 難うございます」
と、深々と頭を下げ、それから一気に 飲み干した。
目頭が熱くなるような、ツーンとするビールだった。
(関口清「先生」)
バスにのっても 読解検定長文 小6 夏 3番
バスにのっても、ぼくはずっとバス代のことを考えていた。おかげで 吐き気を感じる 暇がなかったけど、気分は 吐き気をもよおすのとおなじくらいすっきりしなかった。病院のバス停に 到着するまでに、なんとかもっともらしい 嘘をでっちあげた。
病院のあるバス停についたのは、夕焼けも色あせた、夜も間近の 遅い時間になってからだった。ぼくと弟がバスをおりると、びっくりしたことに、母がバス停にいて 出迎えてくれた。母は 寝間着の上に綿入りの羽織を着て、いつものやさしい笑顔でぼくたちに笑いかけた。弟が母に飛びついていった。どうして母がバス停にいるのだろう? 不思議に思いながらも、それでも母がバス停でまっていてくれたのはうれしかった。
「まあまあ、二人ともよくきたわねえ」
「うん。 伸二のやつが、どうしても母ちゃんにあいたいってきかなくて。そしたら、ぼくも母ちゃんにあいたくなって」
「そう、よくきたわねえ、二人だけで。さあ、病院にいきましょう。家に電話して二人が 到着したことを 報せなくちゃ。心配しているよ、 爺ちゃんと 婆ちゃん。母ちゃん、二人があいにきてくれてとってもうれしいけど、 爺ちゃんと 婆ちゃんにだまってくるのはもうだめだよ」
「うん。 爺ちゃんと 婆ちゃん、いくっていえば、だめだっていうから……。どうしてぼくと 伸二がくるって知っていたの?」
母は笑って答えなかった。ぼくの 肩を 抱いて病院に向かって歩き出した。弟のやつは母の手をしっかりと 握っている。
「二人がどこにもいないので、きっと母ちゃんのところにいったと思って、それで父ちゃんが中央停留所にいってきいたら、キップ売場の人が二人のことをおぼえていたの。父ちゃんね、いまごろバスにのってこっちに向かってるよ。 お腹すいたでしょう? ラーメン出前してもらおうね」
弟が 歓声をあげた。ぼくもラーメンが食べられるのはうれしかったけれど、このあとがどういう 展開になるのか不安で、弟のように素直に喜べなかった。母は家に電話してぼくたちが 到着したことを告げた。それからぼくたちは母の病室で話をした。弟のやつがは∵しゃいで一人でしゃべりつづけた。ぼくはバス代のことが気になっていつもよりは無口になっていた。母はバス代のことについてひとことも問いたださなかった。ラーメンがふたつ、病室に運ばれてきた。母は、ぼくと弟がラーメンを食べるのを笑顔でみていた。ラーメンを食べ終わり、またしばらく三人で話をしてから母が笑いながらきいた。
「バス代、どうしたの?」
「借りてきたんだ、古田の 婆さんに……」ぼくは母から目をそむけてしまった。まっすぐにみることができなかった。
「だから、返さないといけないんだ」
そういえば母も 納得して、それ以上のことは問いつめないだろうとぼくは 踏んでいた。小学三年生の 知恵なんてその程度のものだった。お金を 盗んだことの、考えうる最高のいいわけだと思ったけど、そうは 簡単にことが運ぶわけはなかった。
(川上健一「 翼はいつまでも」)
「そう。古田の婆さん 読解検定長文 小6 夏 4番
「そう。古田の 婆さん、なんていったの?」
「……なんにも……」
「貸してくださいっていったんでしょう?」
「……うん……」
「でもだまってたの?」
「……うん……」
そのあと母がなにもいわないので、ぼくは母を上目づかいにみた。母はやさしく笑ってぼくをみているだけだった。でも、母は泣いていた。ぼくに笑いかけながら、 涙が 頬をつたっていた。ぼくは母をなかせてしまったとせつなくなった。本当のことをいわなければ。ぼくは重い口を開いた。
「貸してって、心の中で、いったんだ……。口にだしていわなかった……」
「そう」
母はぼくの手をとった。細くて、あたたかくて、白くて、きれいな手だった。あのぬくもりはいまでもぼくの手に残っている。
「久志は自分がどういうことをしたか、わかっているわよね」
「……うん……」
「これからは絶対にそんなことをしちゃだめよ」
母はやさしくぼくを 諭した。
「約束してくれる?」
「……うん……」
「父ちゃんに、ちゃんとお金を返してもらおうね」
「うん」
「約束だよ。久志がやったことは人間としてやってはいけないことなの。でも、本当のことをいってくれて、母ちゃん、久志のこと、安心したよ。本当のことをいうのは、勇気がいるよね。でも母ちゃんは、久志はほんとうのことをいってくれるとしんじていたよ」
そういうと、母は 突然ベッドの上で息を 詰まらせたように泣き出した。ぼくの手をにぎり、ぼくをみつめたまま、ポロポロと 涙をこぼした。
「ごめんなさいね。母ちゃん……本当にごめんなさいね」そういって母は 震えだした。
なぜ母がぼくに謝らなければならないのだろう? ぼくはとまどい、どうしていいのかわからず、だまって母をみつめることしかできなかった。
「ごめんなさいね。本当にごめんなさいね」∵
母は声を 震わせていつまでもぼくに謝るのだった。いつまでも……。
(川上健一「 翼はいつまでも」)
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