母親に死なれた「私」は 読解検定長文 中1 春 1番
(母親に死なれた「私」は、近くの魚屋によく遊びに行っていた。ある時、魚屋の青年にコジッケという鳥を 捕りに行こうと 誘われた。行ってみると、そこにはコジュケイという鳥の親鳥とひながいた。青年はさっそくコジュケイを 捕りにかかった。)
彼(魚屋の青年)は親鳥を追いまわしているさいちゅうである。
ところがどうしたことだろう。その親鳥はけがをしているらしく、つばさをバタバタとあおぎながら地面をのたうっている。
それも、手をのばせばつかまりそうなところをあやうくはばたきながら、坂道へ坂道へと 逃げてゆく。
そのあわれな姿にひきかえ、ゴム長ぐつをブカブカ鳴らしながら、 へっぴり腰で追いすがってゆく青年の姿はこっけいだった。私は『ジャックと豆の木』にでてくる大男が、雲の上を 逃げるジャックを追いかけてゆくあの姿を思いうかべた。
が、やがて一人と一羽が坂道のまぎわまできたとき、思いがけないことが起こった。
バサバサバサッ。はげしい羽音がしたかと思うと、ひん死の鳥が勢いよく地面から飛びたったのである。
そして、あっけにとられている若者の頭上をちょんぎって、それきり小ぐらい 屋敷のしげみに消えてしまった。
それは鳥が敵をひなから遠ざけるためによく使う「疑傷」という手段だった。童話のとおり、ジャックはつばさという、「おの」で、みごとに大男との世界をたち切ってしまったのである。
魚屋はキツネにつままれたようにあんぐりと口をあけて立ちすくんでいる。
が、しばらくするとくるりとこちらにむきなおり、もう気がぬけたように、私のことも、石の下のひなのこともほったらかしてさっさと帰ってしまった。
私は胸をなでおろした。
だがそれは、小さなものに対する人間らしい思いやりなどというものとも、すこしちがっていた。
私はただ、鳥の母子が自分たちの手でちりぢりにされてしまうのを見ていられなかったのだ。
私の母の命をうばっていったものが、どんな世界のどんな力だったのか私にはわからない。だが、すくなくとも自分がその運命の手のようなものになってほかの生命をおびやかしたり、家庭をこわしたりすることだけはできなかった。∵
これは、カエルのおなかをパンクさせてよろこんでいたあの子どもにとって、思いがけない発見だった。
ともかくコジュケイの家族は無事に 悪魔の手からのがれることができた。
彼らはふたたびなにごともなかったように自分たちの巣へぞろぞろ帰っていったにちがいない。そう、なにごともなく――これは家庭にとってたいせつなことだ。
だが、すでになにごとかが起こってしまったときはどうだろう。もしあんちゃんがまんまと母鳥をつかまえていたなら、このつぎからひなたちはどうやって身をまもるのだろう。
茶の間でぼんやりと祖母の帰りを待ちながら私は考えた。答えはひとつしかなかった。
それは保護色にたよって石のまねをすることでも、巣にうずくまったきり外へでないことでもない。「一日も早くひなでなくなってつばさを持つ」ことであった。
( 舟崎克彦『雨の動物園』)
児童図書館員という職業につき 読解検定長文 中1 春 2番
児童図書館員という職業につき、本を読む子どもたちとつきあうようになって、かれこれ十年たつ。本を選ぶこと、本を楽しむこと、本から実質的な益を得ることにかけては、立派な読書家といえる子どもが多いのだが、この小さい読者たちは、ときに思わぬ言動を見せて、わたしたちを 驚かす。
たとえば、「この本はとてもいい本だけど、ぼくは○○ページだけは、絶対に読まないからね」と宣言する子。(問題のページでは、主人公の愛犬が死ぬのである。)あるいは、二巻に書かれた本の下を借りてゆき、「この本、下と書いてあるのに、とてもむつかしかった」と不満げに返しにくる子。わたしの著した本をもってとんできて、「ねえ、ねえ、これ先生が書いたの?」ときく子がある。そうだと答えると、かの女は、目をまんまるくして 驚嘆する。「きれいな字ねえ!」
しかし、小さな読者のことばは、いつもわたしたちをほほえませるとは限らない。ときとして、思いがけぬ考えの深みに、わたしたちを 誘うことがある。『ナルニア国ものがたり』を読んだある子がいった。「東京にアスランの喜ぶもの、何かあるかなあ……」
『ナルニア国ものがたり』は、『 悪魔の手紙』などの神学的著作で知られるイギリスの文学者C・S・ルイスが、子どものために書いた全七巻からなる 壮大なファンタジーで、アスランというのは、その中に登場するキリストを 象徴するライオンである。
「……東京タワーじゃ喜ばないねえ。でも、アスランは、ほんとうにいいものは残るっていったんでしょ……」
( 松岡亨子『小さい読者』)
ほんとうの友達は 読解検定長文 中1 春 3番
ほんとうの友達は、多くの場合、若いときからの年来の友人、学校時代あるいは二十 歳前後のいわゆる青春時代からの友人です。大人になってから、ことに三十 歳を過ぎてから、心からの親友を見いだすことは、ないことはないでしょうが、なかなか困難なことです。志賀 直哉氏と武者小路氏にしても学生時代からの友人でしたし、わたしの場合でも、親友の大部分は学生時代からの友人です。だから学生時代に、あるいは二十 歳前後の若いときによい友人を発見することはきわめて大事なことですが、なぜ若いときの友人が一生の友人になることが多く、それに比べて大人になってからでは親友はできにくいか、このことを考えてみると友情とは何かがはっきりしてくると思います。
その人の存在だけでこちらが 慰められ 励まされるような友達、 生涯続いて変らない美しい友情、こういったものが若いときにつくられることが多いということは、そういう時代には各自がすなおに人生に直面しており、したがってすなおな自己をさらけだして生きているので、心と心がすなおに 触れ合うことが多いからでしょう。言いかえれば、青春の時代にあっては、打算的功利的な考えで人と交際することが、大人の社会に比べて少ないからでしょう。
一口に友人といっても、その種類や程度はさまざまだとまえに申しましたが、世間には単に利害関係だけで結ばれている友人関係や、利害関係だけでなくてもごく表面的な関係だけで交際している人を友人と呼んでいる場合がたいへん多いのです。利害関係だけで結ばれているならば、その利害関係の変化によって、今まで親友のように交際していた人どうしがたちまちかたきのようになってしまうこともあるでしょう。それはけっして友達とは言えません。また単に表面的なこと、たとえばクラスが同じだとか、 趣味が似ているとか、職場が一つだとかいうことで友人になっている場合があっても、それはそれでよいでしょうが、これだけでは 生涯の友にはなれません。なぜなら、ほんとうの友情とは心と心の 触れ合いですから、表面的なことだけでは成立せず、 互いの真実をぶつけ合うすなおな気持ちが必要だからです。
大人になってからは親友ができにくく、若いときにこそ真の友情を見つけることができるのは、自己の真実を 裸のままで示すすなおな気持ちを若い人は持っているのに、大人になるといろいろなか∵らができてしまって、自己を開き示すことが少なくなるからでしょう。友情の成立に必要なのは、必ずしも若さということではなくて、人生にたいする真実な気持ちを聞き示し、また他人のそのような気持ちを受け入れる心のすなおさです。言いかえれば、人生に対する真実な気持ち、自分自身に対する誠実さ、これなくしては友情は得られず、逆にまた、これさえあれば若くても若くなくても真の友情をうることができるに 違いありません。友情における 相互の 信頼というものは、人生に立ち向かうこの真実さを 相互に認め合うことですから、性格や意見がどのように 違っても、外的な 環境や身分がどのように 違っても、そういった 相違をこえて成立するものですし、これは 相互の生き方の最も深いところでの 信頼ですから、 生涯変ることなく続くのです。
こういう 信頼は、当然、相手に対する尊敬を 伴います。人生に対する真実 真剣な態度ほど尊敬すべきものはないのですから、 信頼が尊敬を生むのは当然です。 信頼をもって人に接すれば、わたしたちはそこに自分の持っていないさまざまな長所を発見し、それを尊敬し、そこから学び、それによって 励まされます。逆にまた、そのような 信頼を友人から寄せられるならば、それにまさる大きな 慰めと 励ましはないでしょう。なぜなら人生への真実という点での 信頼は心の最も深いところでの 信頼であり、他の何ものによっても動かされることのないものだからです。人がなんと言おうとも、世間がどんなに自分を誤解しようとも、友人だけはわかってくれていると思うことができるのは、なんというありがたいことでしょうか。
(矢内原 伊作『友情について』)
近頃、いろいろな分野で 読解検定長文 中1 春 4番
近頃、いろいろな分野で「二世」が目立つ。スポーツ界をはじめ、芸能界や政界にまで、二世の 活躍する場は 及んでいる。人間のさまざまな能力について、「遺伝」と「 環境」のどちらが 影響を 与えるのかというテーマは、古くから議論されてきたものである。二世の 活躍などを見ると、人間の容姿や才能、性格などを決めるのに、やはり遺伝のほうが育った 環境より重要と言っていいのだろうか。
いや、必ずしもそうとはいえない。ここでは、生まれてすぐに人間の手を 離れて育った「野生児」の例を取り上げてみよう。一九二〇年にインドの森で見つかり、カマラ(八 歳半)とアマラ(一 歳半)と後に名付けられた二人の少女は、オオカミに育てられた子供として知られている。発見当時、二人ともオオカミの住んでいる穴から出てきて、オオカミと同じように行動した。
もしくは、四足歩行をおこない、舌を垂らしたままで何度もくり返し 吠えるのである。また、光を 怖がる一方で、夜は活動的になり、毎日四時間ほどしか 眠らなかった。飲み物はペチャペチャなめ、食べ物は肉食に 偏っていて、うずくまった姿勢で食べた。行動ばかりか、体の形にまで野生生活の 影響が現れていた。手のひらや 肘、 膝、足の裏の 皮膚が、厚く 硬いかたまりになっていたのである。
二人は見つかってから 孤児院で育てられたが、二足歩行するまでに六年もかかるなど、ゆっくりとしか個性は現れなかった。
この野生児の例をみると、容姿には遺伝が深く関わっているが、行動や性格の発達に関しては、生後まもなくからの、子供の置かれた 環境がきわめて重要なことがわかる。
(大石正道『遺伝子 組み換えとクローン』)
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