父の会社が 読解検定長文 中1 夏 1番
父の会社が二度目の 不渡りを出したあと、父は家族にも行方を告げずにどこかへ姿をくらましてしまい、残された家族は散り散りに居を移した。成人してすでに勤めていた兄と姉は、それぞれ独立してやがて 結婚した。が、まだ高校に入学したばかりだった英明は母と 一緒に小さなアパートを借りることになった。
ふたりきりの住まいには 充分な部屋ではあったが、どうにも処置に困ったのは以前の大きな家にあったもろもろの家財道具だった。
父の会社もいっときは勢いの良かったころがあったから、大きなベッドや大量の衣類、さまざまな調度品、母の 趣味で 蒐めていた高価な絵、あらかたは処分したつもりだったのに、まだまだたくさんの物が英明たちの手もとに残されていた。けれど住まいが 狭くなると、家具類はおろかレコードや本の類までもが、 邪魔で 厄介なものに感じられるのだった。英明ははじめて、家という「いれもの」がなければいくら高価な物でも何の役にも立たないということを知った。
幸い知人の厚意を 享けることができて、母は空き倉庫を安く借りてきた。英明と母はその倉庫のそばのアパートを借り、もろもろの物を倉庫に収めさせてもらった。そうしておいてもどうなるものでもないが、母にしてみればいつかまた役立つときが来るかも知れないという、 儚い願いのような気持ちがあったから、残った家財道具を始末せずに保存しておく気になったのだろう。
その倉庫から火が出たのは、英明が高校一年の年の冬だった。
家事の原因は、近所の子どもたちが割れた窓から倉庫にしのびこみ、中で火遊びをしたことらしかった。火は もの凄い勢いで燃えさかり、倉庫は全焼した。
未だに英明はその晩のことを思い出すと、 頬を 焦がす火の熱気をそのまま感じるような気がする。消防車のサイレンに気付いて何気なく表を見たとき、頭の中は 驚きのあまり真っ白になって、英明は 一瞬考える能力を失った。
母とふたりですぐに 駆けつけたが、すでにもうなす術はなかった。英明と母はだらりと 顎を下げて、かつて自分たちの身近にあっ∵たさまざまのものを火が焼き 尽くすのを見ていた。
――あらあ……。
そのとき、 隣りに立っていた母はぼんやりと 呟いた。まるで他人ごとのような口ぶりだった。
振り返った英明が見た母の横顔は 炎に照らされてオレンジ色に染まり、見開いた 瞳にもやはりオレンジ色の 炎しか映っていなかった。たぶん母は、そのとき何も考えていなかったろうと英明は思う。
そのときの母子は、 泣き叫んで 喚き散らしてもいい立場だった。しかし英明も母も、 魂を 抜かれたように 呆然と突っ立ったまま、何もせず何も言わずただただ燃える火を見ていた。
あのときほど母が自分に近いところにいたことは、後にも先にもなかった。母も英明も、その一年足らずのあいだにとても安らかとはいえぬ時間を過ごして来ていて、そうしてひどく 疲れていた。自分たちには手の負えない勢いで燃えさかる 炎に対して、 怒ったり悲しんだりする気力さえなかったのかも知れない。
( 鷺沢萠『 朽ちる町』)
〔「わたし」はサワンという 読解検定長文 中1 夏 2番
〔「わたし」はサワンというがんを飼っている。ある夜、サワンは屋根に登り、空を飛ぶ三羽のがんと鳴きかわしていた。〕
わたしはサワンが 逃げ出すのを心配して、かれの鳴き声に言葉をさしはさみました。
「サワン! 屋根から降りてこい!」
サワンの態度はいつもとちがい、かれはわたしの言いつけを無視して、三羽のがんに鳴きすがるばかりです。わたしは口笛を 吹いて呼んでみたり、両手で手招きしたりしていましたが、ついにたまらなくなって、棒ぎれで庭木の枝をたたいてどならなければならなくなりました。
「サワン! おまえはそんな高いところへ登って、危険だよ。早く降りてこい。こら、おまえどうしても降りてこないのか!」
けれどサワンは、三羽の 僚友たちの姿と鳴き声がまったく消え去ってしまうまで、屋根の頂上から降りようとはしなかったのです。もしこのときのサワンのありさまをながめた人があったならば、おそらく次のような場面を心に 描くことができるでしょう。
――遠い 離れ島に 漂流した老人の 哲学者が、十年ぶりにようやく 沖を通りすがった船を見つけたときの有様――を人々は屋根の上のサワンの姿に見ることができたでしょう。
サワンがふたたび屋根などに飛び上がらないようにするためには、かれの足をひもで結んで、ひもの 一端を柱にくくりつけておかなければならないはずでした。けれどわたしはそういう 手荒なことを 遠慮しました。かれに対する私の愛着を裏切って、かれが遠いところに 逃げ去ろうとはまるで信じられなかったからです。わたしはかれの 翼の羽を、それ以上に短くすれば傷つくほど短く切っていたのです。あまりかれを 苛酷に 取り扱うことをわたしは好みませんでした。
ただわたしは翌日になってから、サワンをしかりつけただけでした。
「サワン! おまえ、 逃げたりなんかしないだろうね。そんな 薄情なことはよしてくれ」
わたしはサワンに、かれが三日かかっても食べきれないほどの多量のえさを 与えました。∵
サワンは、屋根に登って必ずかんだかい声で鳴く習慣を覚えました。それは月の明るい夜にかぎられていました。そういうとき、わたしは机にひじをついたまま、または夜ふけの 寝床の中で、サワンの鳴き声に答えるところの夜空を行くがんの声に耳を 傾けるのでありました。その声というのは、よほど注意しなければ聞くことができないほど、そんなにかすかながんの遠音です。それは聞きようによっては、夜ふけそれ自体が 孤独のためにうち負かされてもらす 嘆息かとも思われ、もしそうだとすればサワンは夜ふけの 嘆息と話をしていたわけでありましょう。
その夜は、サワンがいつもよりさらにかんだかく鳴きました。ほとんど号泣に近かったくらいです。けれどわたしは、かれが屋根に登ったときにかぎってわたしのいいつけを守らないことを知っていたので、外に出てみようとはしませんでした。机の前にすわってみたり、早くかれの鳴き声がやんでくれればいいと願ったり、あすからはかれの羽を切らないことにして、出発の自由を 与えてやらなくてはなるまいなどと考えたりしていたのです。そうしてわたしは 寝床にはいってからも、たとえばものすごい風雨の音を聞くまいとする幼児が 眠るときのように、ふとんを額のところまでかぶって 眠ろうと努力しました。それゆえ、サワンの号泣はもはや聞こえなくなりましたが、サワンが屋根の頂上に立って空を 仰いで鳴いている姿は、わたしの心の中から消え去ろうとはしませんでした。そこでわたしの想像の中に現れたサワンもかんだかく 泣き叫んで、実際にわたしを困らせてしまったのでありました。
( 井伏鱒二『屋根の上のサワン』)
この数年、おりおりに 読解検定長文 中1 夏 3番
この数年、おりおりに森を歩いている。
日本列島で森といえば山のことだが、私のは登山ではなくて森あるきだ。頂上をめざしてひたすら登るという 年齢ではなく、そんな体力もないのだが、山のすそや中腹の森をゆっくり歩いていると気が休まり心が満ちてくる。
谷川の石河原で 寝そべってみたら若葉のざわめきと水の音と鳥の声につつまれている心地よさに、半日を過ごしてしまい、日暮れどきになってそのまま帰って来たこともある。紅葉のブナの森を歩いていたら、その前から立ち去りがたい大きな木があちらにもこちらにもあって、そのときも気がつくと半日が過ぎていた。その日予定していた別の森には行かずじまいだった。なにも数多くの森をせっせと歩きまわることはない。訪ねた森の数や歩いた 距離をだれかと競うわけではないのだから、森の豊かな時間のなかに身を置いて、森の大きないのちの 鼓動を静かに 聴きつづける。時を忘れさせる森では足はおのずとゆっくりになり、しばしば立ちどまってしまう。
そういう森で見かけるのが、 倒木だ。三人 抱え四人 抱えという大きな木が 倒れている。何百年かを生きてきて、半ば 朽ちて立っていた木が、ある日強い風に 倒されたのだろう。太い幹の 途中から折れて上部が地上に横たわっている。 倒れたときの 衝撃でいくつかに分かれて縦に並んでいる 倒木もある。
古くなった 倒木には 苔が生えている。 倒木の割れ目にたまった土に若木が育っていたりする。 倒れた木そのものがもう半ば土のようになって、そこに育った木が 倒木同様に太くなり、 倒木をかかえて天にそびえているものも見かける。森はそういう生と死をはらんで大きないのちを生きつづけている。
私の知るかぎり、時を忘れさせるほどに豊かな森は、 倒木のある森だ。人工林には 倒木がない。 伐採されて 搬出を待っている木が 寝かされているだけで、自然の 倒木が次の世代の木を育てているということはない。日本庭園にも 倒木を見かけることはまれである。自然の森を模してあり、半ばは自然の森になっている庭園もあるのだが、ほんとうの森とちがうのはそこに 倒木のないことだ。若木を∵育てたり虫たちが巣くっている 倒木がない。まして、公園には 倒木がない。台風で 倒れることもあるだろうが、何日かしたらクレーン車などがやって来て取り除いてゆくだろう。人工林にも日本庭園にも公園にも、自然の森に流れているあの豊かな時間はない。
ある森で、三人 抱えでは足りないほどの大きなブナの木が、上半分が折れ 倒れて、下半分ばかりが立ち 枯れているのに出会った。立っている幹は大きく割れていた。近づいてみると割れ目の上下に黒く 焦げた線が走っていた。 落雷でやられたのだろう。 巨木のこういう死もあるのだなと思いながら太い幹の裏にまわってみると、おどろいたことに一本の太枝が張り出して豊かな葉を 茂らせていた。
生と死がさまざまなかたちを見せているのが、森というものだ。生と死を 精妙に織りなして、森という大きないのちが息づいている。
(高田 宏の文章より)
その少年はまるまると 読解検定長文 中1 夏 4番
その少年はまるまると太っていて、いつも 腕白であった。クラスの中でもとりわけ貧しい家の子供で、給食費などは期限どおりに納めたことは一度もなかった。あるとき、私は少年に、
「おまえ、なんでそないに太ってるねん?」
と 訊いた。小さい 頃から「青びょうたん」とあだ名をつけられていた 痩せっぽちの私は、なんとか人並に太りたいと子供心に念じつづけていた。雪深い富山から、兵庫県の 尼崎に 引っ越してきて一カ月ばかりたった 頃、私が小学校五年生のときである。
「 寝る前に、たこ焼きを食べるんや」
少年はそう教えてくれた。毎晩、夕刊を売って歩き、その 稼ぎでたこ焼きを買うのだと、 誰にも 内緒にしていた秘密まで打ち明けてくれたのだった。酒乱の父と、どんな仕事をしているのか判らないが、めったに家に帰ってこない母を待つその少年が、いたしかたなく自力で金を 稼ぎ出し、毎夜毎夜、たこ焼きばかりを食べつづけていたことなど私は知る由もなかった。
「 僕も夕刊を売って、たこ焼きを買うんや」
私がそう言うと、母は血相を変えて反対した。父は笑って、
「ぎょうさん 儲けて、お父ちゃんにもおごってや」
と許してくれた。
当時、 阪神電車の 尼崎駅周辺には、小さい屋台や小料理店が 軒を並べ、ならず者たちが 凍てつく露地のあちこちにたむろしていた。私は少年とつれだって、夕刊の束を 小脇に、飲み屋のノレンをくぐっていった。
誰も夕刊を買ってはくれなかった。しつこく売りつけようとして 酔っぱらいに 突き飛ばされたり、 尻を 蹴られたりもした。寒風の 吹きすさぶ大通りから、 裸電球のともる 薄暗い露地に もぐり込み、 一軒一軒新聞を売り歩いているうちに、私はだんだん情けなくなり、家に帰りたくなってきた。だが、断られても断られても夕刊売りをやめようとしない少年に引きずられて、 夜更けまで場末の飲み屋街を歩きつづけたのだった。∵
「きょうは調子が悪いなァ……」
と少年が立ち停まった。
「…… 僕、もう帰らんと 怒られる」
その言葉で、少年は私から新聞の束を受け取り、
「 僕はもうちょっとねばってみるさかい」
と言い残して、再び暗い 露地へと消えて行った。私は体中が 凍えていた。夜道を 震えながら帰った。家に入ろうとしたとき、 誰かの歩いて来る音が聞こえた。父であった。父は「おかえり」と言って私の耳を 掌で包んでくれた。その夜、銭湯からの帰り道、父がさとすように 呟いた。
「おまえのたこ焼きと、あの子のたこ焼きとは、味が 違うんやでェ」
それからちょうど十年後に父は死んだ。父の死後、何かの折に、夕刊を売り歩いた一夜の思い出を母に語った。そしてそのとき母から、あの夜、 尼崎の 歓楽街で新聞を売り歩く私のあとを、父が最初から最後までずっと 尾けていてくれたことを聞いたのであった。
いまでもときおり、場末の 歓楽街を歩いているときなど、 露地のくらがりからまるまると太ったあの少年が、夕刊の束をかかえて走り出てくる 幻想にかられる。そんなとき、オーバーで身を包んだ父が、 物陰からじっと私を見ているような気もするのである。
(宮本 輝『夕刊とたこ焼』)
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