古くから森林は人間に 読解検定長文 中2 春 1番
古くから森林は人間に木材を供給し続けてきた。特に雨の多いわが国にあっては、森林はつねに身の回りに存在し、それからの産物としての木材は建造物から日常の道具まで、ありとあらゆるものに使用されてきた。
数々の 遺跡発掘は、先史時代のわれわれの祖先が木材を使いこなしていたことを教えてくれる。何千年も昔、すでに祖先たちは単に木材を使うだけでなく、 用途に応じて樹木を使い分けることを知っていた。たとえば、弓には 弾力性のあるカシやトネリコの類を、板には割りやすいスギをという具合に、木材の材質を知り、適材を適所に用いていたという。
『古事記』や『日本書紀』には、二七科四〇属、五三種の樹木が現れるという。そして、『日本書紀』の 記載によれば、 素盞鳴尊がひげやまゆの毛を 抜いて散らしてヒノキ、スギ、クスノキ、マキの樹木を生やし、ヒノキは 宮殿に、スギとクスノキは 舟に、マキは 棺に使えと教えたとある。
このように、日本人と木材のつきあいは古い。森林から採れる木材は、身近な物質資源であるだけでなく、工作が容易で性質も優れた好材料であった。日本文化は木の文化であるといわれるほど、木材はわが国の歴史を支えてきた。
燃料としての木材も広く使用されてきた。森林からの 柴、 薪、炭は、つい先ごろまでわが国の主力燃料であったといってよい。現在は石油燃料がとってかわり、山小屋のストーブも石油で燃える時代である。今や、わが国の燃料としての木材 需要量は、全木材 需要量の一パーセントにも満たない。しかし、全世界ではまだ四七パーセントが燃料材、わが国の現状からは想像もつかないであろう。
森林の落葉や下草が農業生産を支えてきたことも 見逃せない。落葉や下草は農地に入れられて有機肥料としての役割を果たしてきたのである。特に中世以降、落葉を 随時採取してきて積み重ね、 堆肥化してから農地に 施す技術が発達し、農村周辺の森林、いわゆる里山林は農地と切っても切れないきずなに結ばれてきた。そして、この里山からの肥料供給も、化学肥料が 普及するつい先ごろまで続けられていたのである。かつて落葉採取の利権をめぐって血を見る争いさえあったとは、いまだれが想像しえよう。∵
さて、森林が人間に 与える恩恵は、木材等の林産物、物質資源だけであろうか。じつは物質資源を供給してくれるのは、森林の 恩恵の一部分に過ぎず、そのほかにもいろいろの 恩恵を森林はわれわれ人間に 与えてくれているのである。ただ木材供給のような有形的な森林の働きは目立ちやすいが、森林が存在することによって生ずる人間生活 環境の保全といった無形的な働きは目立たない。人間は知らず知らずのうちにその無形的な働きの 恩恵をこうむってきていたのである。
森林に林産物供給という有形的効用と並んで、 環境保全という無形的効用を期待するのは、何も今日的問題ではない。明治時代の林学(森林や林業の学問)の教科書にも「森林というものは、ただ木材を産出するだけのものではない。気候条件をおだやかにしたり、水源を養うなど、間接的に国土保安、 人畜の生活を保護する効益は非常に大きなものである。」といった論説が見られ、また 為政者も森林所有者もこれを当然のことと受け取っていた。さらに時代をさかのぼれば、いわゆる治山治水ということが、林業という経済 行為と表裏一体のこととして 扱われてきたのは、林業史に明らかである。
しかしながら、昭和三十、四十年代の経済最優先の社会情勢は、 為政者も林業者も、そして場合によっては林学者をも木材生産という有形的な経済 行為にのみ熱中させてきた。その反動として森林の 環境保全的効用が見直され、社会的な話題として採り上げられるようになったのは、昭和四十年代もようやく後半になってからである。
森林の 環境保全的な効用、これに対する社会の期待は大きい。現在、もはや森林を木材資源としてのみ認めることは許されない。そして、今後は森林を、人間生活を保全するもの、すなわち森林を生活 環境そのものとみる見方はますます色を 濃くするであろう。森林は 環境を供給する役目を負うという考え方からいけば、森林は物質資源であるばかりでなく、 環境資源でもある。
( 只木良也「人間生活を守る森林」)
旧校舎のあとには 読解検定長文 中2 春 2番
旧校舎のあとには、ながいこと、土台石がそのままに残されていて、その白ちゃけた 膚を、雑草の中からのぞかせていた。 次郎はそれを見ると、泣きたいような 懐かしさを覚えた。 彼は、学校の帰りなどに、仲間たちの目を 忍んでは、よく一人でそこに出かけて行った。
ある日 彼が、例のとおり、土台石の一つに 腰をおろして、お 鶴から来た年賀状を雑のうから取り出し、じっとそれに見入っていると、いつの間にか、仲間たちが 彼の背後に 忍びよって来た。
「 次郎ちゃん、何してんだい。」
次郎は、だしぬけに声をかけられて、どぎまぎした。そして、なにか悪いものでも 隠すように急いで絵葉書を雑のうの中に 押しこみながら、 彼らのほうにふり向いた。
「ほんとに何してんだい。」
仲間の一人が、いやにまじめな顔をして、もう一度たずねた。
「この石が動かせるかい。」
次郎はまごつきながらも、とっさにそんな照れかくしを言うことができた。そして、言ってしまうと、不思議に 彼のいつものおうちゃくさがよみがえってきた。
「何だい、こんな石ぐらい。」
仲間の一人がそう言って、すぐ石に手をかけた。石は、しかし、容易に動かなかった。するとみんながいっしょになって、えいえいと声をかけながら、それをゆすぶり始めた。間もなく、石の周囲にわずかばかりのすき間ができて、もつれた絹糸を水にひたしてたたきつけたような草の根が、まっ白に光って見えだした。
次郎は、大事なものを 壊されるような気がして、いらいらしながら、それを見ていたが、
「ばか! みんなでやるんなら、動くの、あたりまえだい。」
と、いきなり 彼らをどなりつけた。
「なあんだい、一人でやるんかい。」
みんなは手を放した。
「あたりまえだい。 僕だって一人でやってみたんだい。」
「何くそっ。」
最初に石に手をかけた仲間が、また一人でゆすぶり始めた。が、∵一人ではどうしても動かなかった。
「よせやい。動くもんか。」
次郎はそう言って雑のうを 肩にかけると、さっさと一人で帰りかけた。
「ばかにしてらあ。」
仲間たちは、不平そうな顔をして、しばらくそこに立っていたが、 次郎がふり向いても見ないので、 彼らもしかたなしに、ぞろぞろと動きだした。
だが、土台石も、夏が近まるとすっかり 取り払われて、 敷地は間もなく水田に変わった。そして今では、どこいらに校舎があったのかさえ、見当がつかなくなってしまっている。
(下村湖人「 次郎物語」)
正三はまたひとかどおとなのような 読解検定長文 中2 春 3番
正三はまたひとかどおとなのような口ぶりで、
「だいじょうぶさ。ぼくがついて行くんだから。まあ、心配しないでください。」などというのだ。
それを聞いていると、矢牧はふと昔のことを思い出した。 彼がちょうど今の正三の年に中学二年生の兄と二人で、夏休みに父の郷里の四国へ行ったのだ。
天保山という 桟橋から小松島行きの船に乗ったのが夜であった。父といちばん上の兄が見送りに来てくれた。(このとき、長兄はたぶん、中学五年生であった。どうしていっしょに行かなかったのか、それは覚えていない。)
矢牧は、夜のことを覚えている。船の出発は朝とか昼間で、それも晴れた日には気持ちのいいもので、そんなときはいかにも 出帆という広々した感じがするものだ。
ところが、夜の船着場というのは、昼間とはすっかり 違った空気が 漂っている。それはとてもわびしい感じのするものだ。そのときは中学二年生の兄が矢牧の保護者であった。そして矢牧は兄と二人でする旅行を心細くもなんとも思ってはいなかった。
兄のほうは家を出るときまではゆうゆうとしていたのだが、いよいよ船に乗って 出帆の時刻が間近になると、変になってきた。
父がアイスクリームを買ってきて
「ほい、これ。」
といって 渡しても、心はアイスクリームになく、ただ受け取るばかりで、あとは父と兄がなんといっても、ただ「うん、うん。」といっていた。
そのことは、後になって父がよく思い出して笑いながら話したので、兄弟の間では有名になってしまったのだ。
矢牧はそのとき、兄が心細い様子をしていて、父の眼には今にも 涙ぐみそうに見えたということは、ちっとも気がつかなかった。たぶん、安心しきっていたのだろう。
兄にしてみれば、生まれて初めてのひとり旅であり、それに小さい弟を連れているので、なおのこと責任が重く、船がまだ港を 離れないうちに、(これはたいへんなことになったぞ。)という気持ちでいっぱいであったにちがいない。
四国の山の 奥にある父の郷里には、祖父と 叔父がいる。そこまで行くのには、この船があくる朝、小松島に着いて、それから汽車に∵乗りかえて徳島まで行き、そこからまたバスに乗っておおかた一日かかるのだ。
その道順を思っただけで、出発の日まで兄の心をみたしていた、親から 離れて単独旅行をする 愉快さは、たちまちどこかへ消え去ってしまったのだろう。
何をいわれても「うん、うん。」とだけしか返事しなかった 頼りなげな兄のすがたは、初めて子供二人だけ旅行に送り出す父の心に深く印象に残ったのだ。
その夏休みからもう二十何年もたって、いまは矢牧がそのときの父の立場にいなっているのであった。
( 庄野潤三「ザボンの花」)
春になると、隣家の庭の 読解検定長文 中2 春 4番
春になると、 隣家の庭の 白木蓮が 一斉に花を開く。その姿は 薄闇の中で 眺めるのがいちばん美しい。しかし、いま書きたいのは 隣家の木ではない。身近な花の美しさによって呼び出されたような、もう一本の木のことである。
ある日の午後、階下の西向きの窓からぼんやり外を見ていた。そのころまだわが家の西側に建物はなく、空き地ぞいの道を 隔ててかなり遠くまでの景色が楽しめた。ふと気がつくと、道の向こうの家の庭木の間から一本の白い樹木が立ち上がっている。いや、満身に白い花を 飾った 丈高い木が目に飛びこんできたのだ。その家の庭にある木ではない。 更に遠くに立っているものが庭木ごしに望まれたのだ。おそらく、木は以前からそこにあったのだろう。ただ純白の花をまとうまで、こちらが気づかなかっただけに 違いない。 白木蓮にしては、 丈が少し高すぎる。しかし 辛夷にしては、あまりに花が大ぶりで木の全体を包みすぎている。家の者に 尋ねても、その木を見るのは初めてであり、どのあたりに生えているのか見当がつかぬという。まるで 突然に出現したかのような、白く燃える美しい木だった。
次の日も、次の次の日も、木は同じように立っていた。というより、 更に白い 輝きをまして西の窓外に目を 誘った。ついにたまらなくなって家を出た。駅とは反対の方角なので、平素はあまり足を運ばないあたりである。歩き出すとすぐに相手は見えなくなった。道からでは近くの家の庭木がじゃまをするからだ。はじめは駅へと向かい、次に右折を二度重ねてもう一本先の道へと曲ってみた。わが家からの見え方からすれば、その道の左右いずれかにあるはずだ。最初の日、とうとう発見することはできなかった。帰って西側の窓辺に立つと、木はくっきりと 曇り空を背景にたたずんでいるのだった。
翌日、二度目の 探索におもむいた。そして前日と同じ道の右側に、二階家の 壁に 隠れるようにして花を 咲かせている大きな 白木蓮を見つけ出した。そしてひどくがっかりした。近くにそれらしい木はないので 間違いないと思われるのに、見る角度が異なるためか、相手は窓から 眺めたときのような気高い美しさをたたえてはいなか∵った。こんなことならさがし出さなければよかった、といたく 後悔した。
それから間もなく、空き地に家が建てられて西向きの窓からの 眺めを 奪った。遠い 白木蓮はわが家の視界から失われた。その木はいま、ぼくの中だけに一年中白い花を 咲かせてひっそりと立っている。
( 黒井千次「五十代の落書き」)
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