人間というものには 読解検定長文 中2 春 1番
人間というものには、 年齢上のどの時代にも、昔は好かったなあ、という 追憶の 溜息が 従いてくるようです。
私の最初の 記憶は、お手伝いさんに背負われていた私です。
四つか五つの 頃まで、私は、生まれ故郷の山の中の小さい温泉場に育ちましたが、それから町に出て、わたしが小学校へ通った 頃には、もう私には、町に住むようになって今の自分より、山の中の温泉場にいた幼い私の方が幸福だったと思う心が生まれていました。この心持ちをごく簡単に説明すれば、現実を 厭う心の道草と言って好いかもしれません。
私にとっては、 追憶は人生の 清涼剤です。
こんな 傾向を持つ私は、よく過去の私に 遁れました。そして過ぎ去った私は、いつも、今の私よりどこか幸福だった気がします。
追憶によって生まれた昔の幸福は今の自分を幸福にしてくれるほど著しい力を持ったものではありません。けれどそこから 幾分の 慰めは来るようです。 追憶は人間を 幾分でも 慰めるために、あの消極的な一種なつかしい 慰めを置いて行くために、時々やって来るのだ。 追憶という心のはたらきは、人生の 避難所の一つとして人間に 与えられた宝玉だ。――私はいつとなくそう考えるようになりました。
( 尾崎翠「花束」)(文章の一部を編集した)
冬が近づくと、昆虫の変身は 読解検定長文 中2 春 2番
冬が近づくと、 昆虫の変身は、一時ストップをかけられる。それは、きわめて合理的だ。木の葉もないときに毛虫がかえっても、しようがない。花のない季節にチョウが生まれても、死を待つだけである。虫たちは、冬は 休眠に入る。
休眠に入った虫は、ある意味で仮死状態にある。ひどいときには完全に 凍ってしまっている。呼吸もほとんどおこなわない。物質交代は、ほとんど止まっており、典型的な場合は運動もしない。
生物は動いているときに生物なのだが、それをほとんど止めてしまうのだから、そこには何か特別なしかけがいる。本来、前へ前へと進んでゆくべき変身のシナリオを、一時がっちりと止めてしまうしかけである。このしかけがどんなものか、くわしいことはまだわかっていない。とにかく、日本のように季節変化のはげしい温帯や、さらにもっときびしい寒帯にすむ虫は、大部分このしかけをもっている。
休眠に入った虫は、こういう「安全に停止した」状態で、寒く 乾いた、ひもじい季節をのりきってゆく。すべてがほとんど止まっている以上、これらの悪条件は苦にならない。―― 彼らは、体の外も中も武装して、じっと冬を 耐える――われわれはそう考えがちである。
だが、このイメージは、まちがっている。 彼らは決してそんなに受け身ではない。むしろ 彼らは、きびしい冬を要求すらしているのである。
休眠に入った虫の「停止のしかけ」は、ただ暖かくなったからといってとけるというものではない。昔からたくさんの研究者が、 休眠に入ったばかりの虫に、そんな苦しい状態をすごさせまいという温かい親心からか、よい条件を示してやった。つまり、 彼らを暖かいところにおいてやったのである。しかし、親の心は通じなかった。虫たちは、いつまでも 休眠をつづけ、さめることがなかった。翌年の春になって、戸外の寒さにふるえていた虫たちがぞくぞく 休眠からさめ、変身を終えて 舞いだしても、文字どおり温室育ちの 休眠虫たちは 眠りつづけていた。そして、ポツリ、ポツリと死んでいった。たまに 眠りからさめて変身をとげたものがいても、∵そのひよわさはあわれをもよおすものがあった。
親心を示すなら、 彼らを冷蔵庫に入れておくべきだったのである。 休眠の過程は、じつは決して単なる停止ではない。その間にやはり何かが進行しているのである。具体的に何がおこっているかを示した研究もいくつかある。とにかく、秋、 休眠に入った虫たちは、積極的に寒さを必要とする。暖冬異変は、スキー場にとってばかりでなく、 彼らにとっても 迷惑である。なぜなら経過すべき寒さ、それによって、目覚めへの過程が進行すべき寒さを、十分に得ることができないからである。
冬の寒さをのりきるという深刻な課題に直面した虫たちは、このような積極的方法を発明した。 逃避がつねに敗北にしか終わらないことを考えてみれば、これはじつにみごとな解決法であったといえよう。
(日高 敏隆「 昆虫という世界」)
「自分」の一生を生きるというが 読解検定長文 中2 春 3番
「自分」の一生を生きるというが、「自分の」といっても、どうにでも自分の思うとおりになるものではない。それどころか、むしろ、わたしたち一人ひとりの一生、一人一人の存在は、現実の社会関係の中で、様々に条件づけられ、決定されている。自分の生まれた国、生まれた社会、生まれた時代、生まれた 境遇、等々によって、わたしたちはそれぞれ、自分の意志や意向とかかわりなく、一定の過去を背負っている。また、その延長上におのおの自分の歩いてきた道がある。そこには、勝手に帳消しにしたり 抹殺したりすることのできない、人それぞれの生がある。
たとえ自分から見て他人の置かれている立場がどんなにうらやましくとも、また逆に、他人の不幸な 境遇にどんなに同情しても、わたしたちは個人として他人とすっかり 入れ替わることはできない。他人の立場に身を置くということは、わたしたち人間の 相互理解のための大切な 行為であり、人間の重要な特性の一つである。けれどもそれは、一定の限度の中で可能であるにすぎない。結局自分は自分でしかあり得ない。自分は自分だけで成り立っているのではなく他人との関係のうちに成り立っているにしても、それでも自分は自分でしかあり得ないのだ。そして、このように自分は自分でしかあり得ないということの確認は、決して尊敬、愛、友情、 哀れみ、共感などに基づく他人との結びつきを断ち切るものではなく、かえって他人との結びつきを強めることになるだろう。
こうして、われわれ一人一人によって、「自分」の一生とは、「ほかには成り 替われない」一生ということになる。しかし、だからといって、それは何もかもすべてが決定されていて、自由な 選択が全くできないということではない。これまでの過去については、条件づけとして、動かすことができないにしても、 言い換えれば、それぞれに固有の過去を背負い、 幾重にも条件づけられてはいても、その上でなお多くの可能性や 選択の余地が残されている。それが人の一生というものであろう。また、たとえ一人一人の背負っている過去は動かせないとはいっても、それは事実としてのことにすぎない。一人一人がその過去を、過去の諸事実を、どのような意味を持ったものにするかは、現在の、またこれからの問題である。過去による限定は意味にも 及んでないわけではないが、それは絶対的∵なものではない。 更に、今後の可能性ということになれば、生きていくその時々の各人の道の選び方や決断、それに意志的な努力によって大きく変わり得るのである。
各人の道の選び方や決断といったが、それははっきりした人生の重大な 岐路に立っての 選択や決断のようなものばかりではない。 選択や決断は、もっと目立たないかたちでわたしたちの日常的な生活の中でも求められることである。テレビやチャンネルを選ぶことだって 選択であり、テレビを見ていていつ立とうかと思うのだって決断である。 選択し、決断することは、わたしたちが 惰性に流されるのではなく、自覚的に生きようとすれば、いつでも 伴ってくる。だからそれは、毎日毎日の生活の中で絶えず 新鮮なものを見いだすこと、またそういう在り方を積み重ねていくことにも結び付くのである。その場合、 偶然的な要因が大きく働くこともあるだろう。それをも 取り込んで役立てつつ、一人一人が職業のうちにせよ、社会的な活動のうちにせよ、 趣味のうちにせよ、自分の進む道を見いだすことができれば、各人それぞれの一生は、いっそう「自分」のものになる。
(中村 雄二郎「 哲学の現在」)
日本の人里の、何もきわだって 読解検定長文 中2 春 4番
日本の人里の、何もきわだって美しいといえない風景の中にも、最近とくに知られるようになり、若い人たちが訪れる場所ができ始めた。京都の 嵯峨野などは、そうした場所の一つに数えられるだろう。また大和の山の 辺の道も、だんだん人気が出てきたようである。だが、これらの場所は、実は、完全な自然の風景ではなく、背後にひかえている歴史の重みが加わって、その価値を高めているのだ。風景を考えるとき、これは非常に重大な点である。
その地の歴史を知ることにより、 平凡な風景、ありふれた小山が、見る人びとをたちまち深い感興を 催す。きっかけは、歴史だけではない。 芭蕉の俳句に 詠まれたいくつかの風景は、その地に行って、ゆかりの風物を見る現代人の心に深い 感慨を呼び起こす。風景は、見る人の心によって変わる。風景の価値は、その現在の実体と、過去を思う観賞者の心の 交渉のうちに成立する。
風景の要素には、歴史が大きくかかわるだけではない。自然に対する知識が、なかなか大きく作用する場合がある。名もない花が 咲いているのをただ見るだけでなく、その花の名が全部わかり、そのあるものがその土地にあることの意外性といったことがわかり、その育ちぐあいの良さ悪さまでわかったら、興ざめになるどころかかえっていっそう印象が深まるというものだろう。向こうの 丘陵の雑木林の中に、若葉をつけたコブシの木の群れを見いだし、二か月前の花のころの光景を想像に 描くのは悪い 趣味ではない。まわりで鳴く小鳥の声を聞いて、その鳥の種類がわかるのも楽しい。ツキヒホシポイポイと形容されるサンコウチュウの鳴き声を、 珍しくも人里近くで聞いた時のうれしさは、風景のよさと必ずしも異 縁ではない。
日本の風景で、今まで人がほとんど注意を 払わなかったものに生け 垣がある。農村の住宅は生け 垣で囲った家が多い。農村の生け 垣用の樹種は、都会の住宅地より単調な場合が多いが、そのかわり年を経た 貫禄のあるものが少なくない。生け 垣というものは、手入れのぐあいで、実にさまざまな態様をしていて、見る人の心を 刺激するものである。
人の住んでいる風景と関係するものには、もっと人間くさいもの∵がたくさんある。向こうのあの松の下の家のおばあちゃんは梅干を 漬けるのが上手で、その 隣の家の息子は野球選手で 甲子園に出場したことがあるなどと知っていたら、その興の深さはどうだろう。そんなことは、風景とは関係ないと言う人がいるかもしれないが、私は何か関係があるという意見である。
日本の、人の住む風景には、心温まる 潤いと豊かさをそなえたものが、いたるところにある。それは、いろいろな自然・人文の知識に裏打ちされいっそうの 興趣を盛り上げる。自分もそこに 住み込んで、朝夕その中に 溶け込みたいような風景……いや、それよりも「風土」といったほうが適切な場所が、まだまだ、日本にたくさん残っているのである。
( 中尾佐助「私たちの風景」)
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