――こうして話して 読解検定長文 中3 夏 1番
――こうして話しているうちにも、今日、昭和十六年五月二十九日の太陽は、 大阪の西の空に 沈んでしまいました。やがて気の早い星が姿を……。
プラネタリウムの解説者の声が、ぽわんとふくらんだ感じで天象館のドームにひろがって続いていた。すると、洋のすぐ横のあたりで、
――いやあ、ほんまやわあ。
澄んでよくとおる声があがって、細い 腕がついとのび、一番星をちゃんと指さしていた。
目の早い子やなあ……。洋は思わず声のしたほうをふりむいて見たが、むろん、顔が見えるわけがなかった。天象館のなかは、もうすっかり夜の色だったのである。ついさっきまでは夕映えのなかに立つ 奇妙なロボットに見えたプラネタリウムでさえ、 闇のなかにとけていた。(中略)
さて……と、解説者が次にうつったとき、洋は横の 洋次郎に小声で話しかけていた。
――にいちゃん、ほんまにようできとるなあ、このプラネタリウムたらいう機械。
――そらあたりまえや。なんせ、ドイツのツァイス製やさかいなあ。
洋次郎は、まるで自分がカール・ツァイス社の社員であるみたいに、いばった様子で答え、
――ま、 黙って、よぉ見とくんやなあ。と、 先輩ぶった。
洋次郎は洋と三つちがいの中学一年生。ここへはもう何度かきていたが、洋はその日が初めてだった。
だから洋には、ここの何もかもがめずらしかった。電気館の小さな実験装置のボタンも、いろんな模型を動かすボタンも、わけのわからぬまま、とにかくかたっぱしから 押してやった。 洋次郎はそんな弟のことを、はじめはあきれ顔で見ていたが、すぐにだんだん気難しい顔になって、そないにみんなさわっとったら、プラネタリウム見る時間がのうなるやないか……と、せきたてた。そないいうたかて、こっちは初めてやもん、しゃあないがな……と、洋は口をとがらせたが、おこりんぼのにいちゃんのげんこつがこわくて、ほどほどにしてしまった。
けれど、初めて見たプラネタリウムは、そんな洋の不満足な気持∵ちを 吹き飛ばすのに 充分だった。この、 鉄亜鈴のおばけみたいな機械のことは、くる前から何度か聞かされていた。それにお前、そいつがまた日本に一台しかないのんが、この 大阪にあるちゅうわけや、うれしいやないか……と、 洋次郎は 大阪市長の代理みたいなようすでいったが、ほんとに百聞ハ一見ニシカズ、だった。
しかも、それがまた、これほどうまく「夜」をつくりだすのに、洋はうっとりと見とれてしまった。
するとまたそのとき、さっきの女の子の声が、小さく、けれど洋の耳にはっきりと聞こえるくらいにこういった。
――おかあちゃん、うち、 眠とうなってきてしもた。オヤスミ……。
それから、ああんとちっちゃなあくびの声がして、おかあさんらしい声がもしょもしょと小言をいうのが聞こえた。
きっとまだ小さな子なので、ほんものの夜とかんちがいしてしもたんやろ、解説がむずかしすぎたんやろ……と、洋は見知らぬ女の子に同情し、くすんとひとり笑いしてから、再び解説者の声に耳をかたむけた。
北斗七星の話にあんまり 驚いたので、洋の耳にはあとの解説の声がはいらなかった。気がつくと、いつかドームの空の星はぐんとへっていて、東の空がほんものの夜明けの紅いろに染まりはじめていた。
――それではこのあたりでおしゃべりはおしまいにして心静かに五月三十日の朝を 迎えることにいたしましょう。
解説のしっぽだけが、ようやく洋の耳にとどいた。声にかわって、優しい音楽が流れ、星はみるみるうちに姿を消し、太陽が顔をのぞかせた。なんやほんまに一晩すぎてしもた気がするなあ、と洋はまだ立ちあがれずにいた。すっかり明るくなったとき、館内のシートの三分の二くらいを 埋めていた見物客たちは、もう半分以上、出口から消えていたし、 洋次郎ももう、二、三歩歩きだしていて、ぐずぐずしている洋を見ながら、ほんとの朝のようにあくびをした。そこで急に、さっきのあくびの主のことを思いだして、洋は立ちながらふりかえった。シートには、母 娘のかわりに、かわいい 麦わら帽子がふわんとすわっていた。
――あの子、忘れていきよったな。
洋は声をあげた。 ( 今江祥智『ぼんぼん』)
「私」は、複雑な家庭に 読解検定長文 中3 夏 2番
(「私」は、複雑な家庭に育った十五 歳の少年ポールを両親から引き取っています。)
「どうしてぼくのことを放っておいてくれないんだ?」
私はまた 彼の横に 腰を下ろした。「なぜなら、おまえさんが生まれた時からみんなが放ったらかしておいて、そのために今、おまえは最低の状態にあるからだ。おれはおまえをそのような状態から 脱出させるつもりでいるんだ。
「どういう意味?」
「おまえが関心を 抱く事 柄が一つもない、という意味だ。 誇りを 抱けることがまったくない。知りたいと思うことがない。おまえになにかを教えたり見せたりすることに時間をさいた人間が一人もいないし、自分を育ててくれた人々には、おまえが 真似たいような点が一つもないのを見ているからだ。」
「なにも、ぼくが悪いんじゃないよ」
「そう、まだ今のところは。しかし、なにもしないで人から見放された状態に 落ち込んで行ったら、それはおまえが悪いんだ。おまえはもう一人の人間になりはじめる 年齢に達している。それに、自分の人生に対してなんらかの責任をとりはじめるべき 年齢になっている。だから、おれは手をかすつもりでいるのだ」
「それとウェイト・リフティングとどんな関係があるの?」
「得意なものがなんであるか、ということより、なにか得意なものがあることの方が重要なんだ。おまえにはなにもない。なににも関心がない。だからおれは、おまえの体を 鍛える、 丈夫な体にする、十マイル走れるようにするし、自分の体重以上の重量が挙げられるようにする、ボクシングを教え 込む。小屋を造ること、料理を作ること、力いっぱい働くこと、苦しみに 耐えて力をふりしぼる意志と自分の感情をコントロールすることを教える。そのうちに、できれば、読書、美術 鑑賞も教えられるかもしれない。しかし、今は体をきたえる、いちばん始めやすいことだから。」
「それでどうなるの?」ポールが言った。「ぼくは、もう少したったら、また帰るんだ。結局なんにもならないじゃないか?」
私はポールを見た。青白くやせこけて鳥のように縮こまっており、背を丸めてうなだれている。 髪が 伸び放題だ。指にささくれが∵できている。「なんというかわいげのない 小僧だろう」
「たぶん、そういうことになるだろう。だからこそ、おまえは帰るまでに自立できる能力を身につけなければならないのだ。」
「えっ?」
「自立心だ。自分自身を 頼りにする気持ちだ。自分以外の物事に必要以上に 影響されないことだ。おまえはまだそれだけの年になっていない。おまえのような子供に自主独立を説くのは早すぎる。しかし、おまえにはそれ以外に救いはないのだ。両親は 頼りにならない。両親がなにかやるとすれば、おまえを傷つけることくらいのものだ。おまえは両親に 頼ることはできない。おまえが今のようになったのは、 彼らのせいだ。両親が人間的に向上することはありえない。おまえが自分を向上させるしかないのだ。」
ポールの両 肩が 震えはじめた。
「それ以外に道はないんだよ」
泣いていた。
「おれたち二人でやれる。おまえはある程度の 誇りを 抱き、自分自身について気にいる点がいくつかできる。おれは手助けができる。二人でやりとげることができる」
背を丸めうなだれて泣いており、骨がごつごつしている 肩の 汗が 乾きかけていた。私はほかになにも言うことがないまま、 彼とならんで 坐っていた。 彼の体に 触れなかった。「泣くのはかまわないよ。おれも時折泣くことがある」
(R・B・パーカー作・ 菊池光訳『初秋』)
私は一人で薪を 読解検定長文 中3 夏 3番
私は一人で 薪を燃やしていた。太い 山毛欅の 薪で、燃えつけば容易なことでは消えないかわりに、どんどん燃えさかることもない。背中が冷えてくるし、ぽつんとしているのが変に具合も悪くて、もっと 炎を明るく、顔が赤くほてって来るようにしたかったのだが、その 薪の 肌をかき立てれば、火の粉が楽しげに 煙突へ吸われて行くばかりで、かえってその後は寒々としてくるのだった。私は遠い他国へ来ている気持ちになって、シベリヤの冬を考えてみたり、カナダの田舎を思ってみたりする。その時私は満十四 歳になってわずかしかたっていなかったが、どういう加減か老人の心持ちが分かってくるようだった。だれからも 見離されたのでもなく、ただ自分から一人だけの居場所を見つけて、こうして火をいじりながら冬をすごしている老人が、この地上にはどのくらいいるか知れない。 彼らはそれほど 疲れているわけではないが、その一種の宿命的な、自ら選ばざるを得なくなった悲しみをこらえながら、なかばそれに慣れた顔付きで、燃える火を見つめている。 彼らが何を考えているか、それが私には分かるような気がする。
私の山への 思慕は、こうしたある年の 大晦日から始まる。 煙突をうならせているこんな風も初めてだったし、この小屋の二重のガラス窓を打つ雪の音も 珍しかった。そしてこれほどの寒さも、これほどの心の冷たさも初めてのことだった。火にすがりついているより仕方がない。
それは山の中腹に建てられたかなり立派な小屋だった。外から入れば 扉をあけもう一つ 扉をあけたところが、私の好んで火の番をしていた土間なのだが、そこから四五段上がったところには、またもう一つ別の 扉で寒気から 充分に 隔離された広間があり、そこはいつも 暖炉であたためられていた。みんなこの小屋を利用する人たちは、そのあたたかい広間に集まっていた。大きいテーブルがあり、 長椅子もあり、 暖炉の前で本を楽しく読むこともできたし、 床には上等なじゅうたんも 敷いてあったから、火の前に すわり込んでもいられたわけだ。けれど私がそこよりも好んだ土間は、ちょうど太い 煙突を中心にこの 暖炉と背中合わせになっていて、二つ置いてある 椅子は木製だった。外から雪だらけになって入って来る人たち∵が、そこへしばらく 腰をかけて、上衣や足にこびりついたこちこちの雪をとかすためのものだった。だからうっかり 腰をかけると、その 椅子はぬれていた。ただ私を 慰めることもなく、 黙って見おろしているのは、その 暖炉の上の 壁にとりつけてある 剥製の 馴鹿の首だった。 厳しい角だが、鼻面や 頸のあたりは、いつも優しくて、その角で何かを 威嚇しようとしても、気の弱さや、心持ちが 華美に生まれついていることをすぐ見破られてしまいそうな、そんな動物に思われた。それは、こうして 剥製になって、 壁の 飾りになってからもよく分かった。窓の外につるして、窓ガラスの 曇りを 拭い取りさえすれば、そこから見られるようになっている寒暖計は、この寒い 吹雪の晩に、氷点下五度に下がっていた。私は 懐中時計をつけてそれを見た時の、指先の冷たさや、背中の寒さを覚えているが、その氷点下五度というのは気温ばかりではなくて、自分の心の温度でもあったような気がする。
この心の冷たさをあたためるために、私は再び燃える 薪の近くへ 椅子を引き寄せてすわったが、それはたいして 愚かなことでもなかった。なぜなら、やっとのことで 炎を勢いよく出し始めた火が、私をあたためて 眠りに 誘い、いつの間にか、 馴鹿のひく 橇にのって、山の重なる雪道を走って行く夢を見た。それは私の知っているところではなく、どこを見ても一面の雪の、 寂しい起伏の続いている山の 麓のようなところではあったが、 馴鹿は私をのせた 橇を、自信をもってひいて行くので、私はどこか知らなくても、あたたかく自分を 迎えてくれる 一軒の家のあることを疑わなかった。そこには人が住んでいなくて、その 馴鹿が優しい人のような生活をしているようにも思われた。
( 串田孫一『若き日の山』)
島崎藤村の事を 読解検定長文 中3 夏 4番
島崎藤村の事を考えると、私の頭に先ず 浮かんで来るのは、「夜明け前」の出版祝賀会の席上で、氏が諸家の祝賀の言葉に対して答えた 挨拶を述べた態度である。
人々のテーブルスピーチが終わると、 藤村は 感慨に 耽り込んだような、そのために少しぼんやりしたような 顔附で静かに立ち上がり、 暫くうつむき加減に 黙って 佇んでいたが、やがて顔をもたげ、太い 眉をきりりと上げて、そしてゆっくりした口調でこういったのである。
「わたしは 皆さんがもっとほんとうの事をいって下さると思っていましたが、どなたもほんとうの事はいって下さらない……」
そのまま 又眼を 伏せて 暫く黙ってしまった。人々は 粛然と静まり返った。
実際諸家の言葉は月並でない事はなかったが、由来こういう出版記念会などにいわれる言葉は、 普通作者に対する祝賀の言葉かねぎらいの言葉かであるのが例なので、そういうものとして無神経に 聴き流してしまえば、別段とがめ立てしなければならないものでもなかったように思われる。 併しそれをほんとうに 聴き、その中から自分の努力に対する 忌憚なき批評をほんとうに探ろうという気になれば、諸家の言葉が余りに形式的である、月並なお世辞であったという事が、 藤村の心を 寂しくしたとしても、これまた無理ではないかも知れないという気がする。
それは 藤村流の静かないい方ではあったが、何処かにぴしりと人を打つような 辛いものを 含んでいた。月並なお世辞に対する苦笑に 充ちた 抗議を持っていた。それだから 突然叱られたといった感じが 黙り込んだ人々の顔に現れたわけである。実際 叱られて見れば、もっともの話である。 叱られなかったら 叱られなくても好いようなことだけれども、 叱られて見るとその理由がない事はないので、急に人々は 襟を 掻き合わせて 坐り直さなければならなくなったと 云った感じであった。
藤村は 暫く黙った後で、再び顔をもたげ、太い 眉を再びきりりと∵上げ 沈んだ調子で言葉を 継いだ。
「大体わたしという人間は、人に 窮屈な感じを 与えるのですか、近づき難いような感じを 与えるのですか、 誰もわたしに近づいてほんとうの事を 云ってはくれません……実は決してそうではなく、わたしは人に近づきたいのですけれど……」(中略)
氏はそこで語調を変えて、人々の方を見まわし、こう結語としていった。
「今夜のように盛大にわたしのために 皆さんに集まって頂こうとは、わたしには全く思いがけない事でした。わたしはわたしのために 皆さんに集まって頂いた事がわたしの 生涯にもう一度ありました。それはわたしが洋行した時の事です。わたしは前の新橋の停車場から発って行きましたが、田山君や 柳田君が 途中まで送ってくれるといって、 一緒に汽車に 乗り込んで来ました。その時 柳田君がわたしに向かってこんな事をいったのです。『人間がこうして自分のために 沢山の人に集まって 貰うのは、まあ洋行する時ぐらいのものだね。それともう一つある。それはその人間の 葬式の時さ』と。……わたしは今夜 皆さんがこうして集まって下さった事を、わたしに対する 文壇の告別式だと思っています」
右の 藤村の 挨拶は、その時も今も私の頭に相当強い印象を残している。私はたゆまずに一歩一歩と、意志的に自分を 鞭うちつつ、とうとう書きたいものをみんな書いてしまったという強い自信を持った人でなければ、そういう言葉はいわれないと思った。書きたいものをみんな書いてしまったと、静かに 云い切れる作家を目の前に見たという事は、私には全く一個の 驚異であった。私はその事に深い感動を受け、 暫くはその感動のために、自分が 圧迫されるのを感じた程である。
( 広津和郎『 藤村覚え書き』)
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