| ひとこと |
| 歴史と文学 |
| アジサイ | の | 峰 | の広場 |
| 正之 | / | おき | 高2 |
| 自然科学の急速な発達が歴史に多大な影響を与えた。このため、蓄積された客観的な史料が歴史を |
| 成立すると、楽観的に考えられている。しかし、歴史とは、研究者が自分の研究のプロセスに参入し |
| て、主観的に歴史観を捉えることなのである。 |
| そうした厳密な知識いわば情報を基に歴史を構成してしまうのは、日本が以前から欧米に対して、常 |
| にライバル意識を抱いているからだと思う。例えば、私は、学校の小テストで良い点数を取るために |
| 、同じテストを自分よりも早く受けた人にどんな問題が出題されたかを尋ね、自身のテストに参考に |
| する人を見掛ける。そして、彼は誰かと点数を比べるというような勝つためなら手段を選ばないとい |
| うようなことをするのである。こうして、最近は結果のような情報ですべてを決断してしまっている |
| のである。 |
| そうしないためにも、自分自身の主観性を大切にしていくべきだと思う。例えば、研究者が科学の研究 |
| をしたりする場合、他人の見解ばかり気にしていると自分の望む研究もできないばかりか、将来的にも |
| 自身の研究に結びつかないのである。だから、常に自分の主観性を大切に生きていくべきだと思う。 |
| 確かに現代社会では、知識や情報の量を重要視されているかもしれない。しかし、人間は求めている |
| 限り迷うものだ。歴史を考慮する上で、史料のような素材だけでは、全体を捉える上では欠如するも |
| のがあるので、自分自身で手を加えて納得の行くまで変化せていくことが大切であると思う。¥wq |
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