| ひとこと |
| 何を読むか |
| アジサイ | の | 滝 | の広場 |
| 武照 | / | あよ | 中3 |
| 夢中で読むという体験を一度はしておく必要がある。読書はテレビが私たち |
| の心を外に引き出すのに対し心を自分の中に引き戻す。また読書はどこでもす |
| ることができる。読書の最大の楽しみはこの自由感である。読書の楽しみを通 |
| してスポーツや映画や音楽の楽しみをも深めることができる。 |
| 昼間でも薄暗い体育館の倉庫で少年は古本屋から盗んできた本「はてしない |
| 物語」に熱中していた。そして彼は主人公を助けるべく本に飛び込んでいった |
| ・・・…。これはミヒャエル・エンデによる小説「はてしない物語」である。私 |
| はこの本の裏表紙を閉じた時自分も本の中に入り込んでいたことに気付いた。 |
| なるほどこれが「はてしない」のだろうと。我々は夢中で読むという体験をし |
| ておくべきであろう。 |
| 夢中になるということは何であれその世界を自分に引き寄せ、その世界に入 |
| り込むことだ。プールに漬かることから水泳の面白さを知ることはできない。 |
| もう一つの世界、プ ールサイドの暖かさを恋しく思うだけだ。やはり夢中で |
| 泳いだり遊んだりすることが水泳の面白さを知るもっともよい方法だろう。夢 |
| 中で何かに打ち込むということは生きる実感にも繋がることである。二つの世 |
| 界を行き来する読書もこの例外ではないだろう。 |
| だはどうすれば夢中に読むことができるのか。その一つに本を自分でえらぶ |
| ことがある。やはり自分で選んだ本は最後まで読んでみたくなるものだ。いっ |
| たん表紙を開いてみれば夢中になるのはそう難しいことではない。 |
| 確かに他人に難しい本を嫌々読まされることも時には必要である。それだけ |
| 読書の視野が広がるし、よい本に出会う可能性も高くなる。だが偉い人が書い |
| た本だから、難しい内容だから格調が高い文章だからという理由でその本を評 |
| 価することはよくないだろう。格調は高いが中身のない本も多い。私は森鴎外 |
| の雅文三部作よりも工藤直子の「のはらうた」や「てつがくのライオン」のほ |
| うが重要な内容を含んでいると考えている。 |
| 本を夢中になって読むことによって少年は生きる意味を学んだ。そして少年 |
| が本を飛び出した時そこに広がるのはこれまでの冷たい社会ではなく温かい社 |
| 会であった。本を夢中になって読むことは時に我々の見方を変えることもある |
| のである。夢中で読む経験は我々により深い方向をあたえるであろう。 |