| ひとこと |
| マルチメディア |
| アジサイ | の | 峰 | の広場 |
| 酔月 | / | あも | 高2 |
| マルチメディアという言葉を96年版の知恵蔵で調べてみると、情報を文章の |
| みならず映像、音声を用いて表現することなどというような言葉で出ている。 |
| 最近では、これ以上の意味を持っているようだ。 |
| 私は過剰なマルチメディア化によって、全体主義に見られがちなマスコミな |
| どによる社会操作されることが問題であると思う。 |
| 過剰なマルチメディア化の原因として、印刷メディアより見るのが楽なため |
| に、非印刷メディアに頼ることが多くなってしまうということがある。という |
| のも、デジタル化された情報は、人間の脳でなく記憶媒体のみに保存されてい |
| る傾向が強いからだ。 |
| 過去に4年間使い続けていた電子手帳が壊れてしまったことがあった。この時 |
| 私はある重大な事実に初めて気がついた。それは、この四年間の記憶が私の脳 |
| でなく、電子手帳に保存されていたということである。おかげで学校行事の一 |
| つも思い出せなかった。 |
| 過剰にならないような対策として、印刷メディアの見直しと、怠けるための |
| マルチメディアの劣等性を問い正すということがある。 |
| ヒュームとか、バークレーという人たちはすべてのものに蓋然性があると唱 |
| えた。蓋然性とは確からしい…ということであるが、印刷メディアと非印刷メ |
| ディアにどちらが蓋然性が強いかといえば、明らかにマルチメディアを含む非 |
| 印刷メディアの方なのである。これを知らずに飛び込んでくるマルチメディア |
| 情報を信じることは、社会操作の原因ともなってしまっているのである。 |
| 先にも述べたとおり、マルチメディアはきわめて曖昧な言葉として存在して |
| いる。ところが、非印刷メディアは普遍の定義を持っているのである。ここに |
| 、非印刷メディアが社会操作されにくいという理由があるのである。 |
| 百聞は一見にしかずというが、これは百の新聞をみたところで、一見できる |
| テレビにはかなわないということではない。百の音声を聞いたところで、一見 |
| できる新聞にはかなわないということなのだ。 |