| ひとこと |
| テクノロジー科学 |
| アジサイ | の | 峰 | の広場 |
| 幸裕 | / | あつ | 高2 |
| 自然は生きているに違いないが、とりあえず機械とみてそれにアプローチし |
| ようとするのが、テクノロジー科学の方法論的合意である。そうアプローチす |
| る方が自然を理解しやすいからである。ホッブズは国家を機械と見た。伝統的 |
| 主権者は神秘的仮面をはがされ、国家をよりよく統合し、人民に安寧を提供し |
| うるもののみ主権者に値するとされた。こういうアプローチの仕方から得られ |
| る帰結は、主権者は誰でも良い、したがって、政体は君主制でも共和制でもど |
| ちらでも良い、要は人民に安定した生活を約束してくれれば、政治の最低限の |
| 役割は果たされる、ということである。私はテクノロジー科学が非人間的な様 |
| 相をえていることが問題だと思う。 |
| それは第一にテクノロジー科学が行き詰まっているからである。何もかも機 |
| 械として考えるとどうしても機能や効率が優先されてしまう。よって、現実認 |
| 識があまりに冷徹になってしまい、テクノロジー科学は非人間的な様相になっ |
| てしまう。 |
| 生きた全体を見失わないようにすることが対策としてあげられる。社会を構 |
| 成している人間を役割を持った機械の部品と考えるのでは、個としては評価さ |
| れるが全体としては評価されにくい。そのため、個が集まって初めて生きてく |
| る全体を見失わないようにすることが大切である。マザーテレサはキリストの |
| 哲学に基づいて恵まれない人たちに献身的な介護を施した。もしマザーテレサ |
| がテクノロジー科学に基づいた考えにより、恵まれない人を必要の無い機械の |
| 部品と考えていたら献身的な介護はできなかっただろう。 |
| 厚生省の調査によると65歳以上の一人、夫婦暮らしの老人の数は113万 |
| 人、二人とも65歳以上の世帯は100万世帯にものぼる。これらの人たちを |
| 能力の無い部品と考えて殺すのはあまりにも冷徹すぎる。 |
| 確かにテクノロジー科学は機械に置き換えて考えることによってどこで利益 |
| がうまれるか分かりやすくなって良いが、私はテクノロジー科学が非人間的な |
| 様相をえていることが問題だと思う。 |
| 社会とは役割を持った個々の部品のよせ集めではなく、社会全体が一つの生 |
| きた全体である。 |
| もし社会が役割を持った個々の部品のよせ集めなら私たちは社会の中で幸せ |
| に暮らすことはできないであろう。 |