| ひとこと |
| 専門化 |
| アジサイ | の | 谷 | の広場 |
| 隆史 | / | きね | 中2 |
| 現代では学術研究の場においてだけでなく、企業活動の場においてもまた専 |
| 門化が進んでいる。現代はまさに専門家たちの時代であるというべきかもしれ |
| ない。専門家は自分の専門とする事柄についてはよく知っていても、ただそれ |
| だけだったらほとんどすべての事柄については無知だということになる。常識 |
| は言論の大きな基盤である。教養は専門的技術と区別されている。先生や体育 |
| の先生から学ぶことは、専門化になるための技術として学ぶのではないという |
| ことである。 |
| 教養と常識が大切だという考えがある。例えば、オウム真理教の科学者たち |
| がサリンをつくりだしてもそれを悪用してはしょうがない。それはこの人たち |
| に常識がなっていないからである。だからこそ常識をしかりとみにつけて行動 |
| しないと周りに迷惑をかけたり、自分も損をする。 |
| しかし、専門性も大切だという考えもある。例えば、専門的な技術がなけれ |
| ば薬などは作ることができず、今のように長生きもできなくなっていたのであ |
| る。だが、その反面でダイナマイトや毒ガスも作られ悪用されたり、戦争に使 |
| ったりするようになった。だが、このようなものも正しく使えば、役に立つの |
| である。 |
| 結局は、教養も常識も専門性も同じである。「家の批評ができるのは、建築 |
| 家ではなくそこに住む人である。」という名言があるようにここに書いてある |
| ことも同じことである。だから、専門性があっても常識がなければ仕方ないの |
| である。 |