ひとこと(4月4週)
疑問を持つことの大切さ
アジサイの道の広場
武照/あよ高1
 
 現在の日本では社会、科学、思想などあらゆることに対して「本当にこれで
よいのか。」という問題意識が著しく欠落している。議員の昼寝、企業の安易
な謝罪、国民の政治への無関心、例を挙げればきりがないが問題意識を持つこ
とが物事の発展の上で重要な位置を占めていることは間違いないであろう。問
題意識の欠落には日本人の考え方と同時に我々の考え方に大きな影響を与える
メディアの存在があると私は思う。メディアは我々が物事に疑問を持つ余地を
残した情報の流し方をするべきであろう。
 
 ではどうすればよいのか。それは複数の考え方を発表することであろう。ど
んなものも複数の面がある。複数の面をメディアは我々に与え、我我はそれか
ら実態を探るという作業から問題意識は自然に生まれてくるであろう。自然保
護をテーマに多くのアニメ映画を手がけてきた宮崎駿は「澄んだ水に住むフナ
も、生活廃水で大繁殖しているプランクトンも同じだ。それを区別するのは人
間の価値観に過ぎない」と雑誌に書いていたが我々が考えている自然保護が実
は人間のための自然を作るためではないのかといった疑問を我々に持たせるた
めのものだったのであろう。
 
 しかし現在のメディアの実態はその力による一方的なたたきになっているよ
うに私は思う。若者のファッションと言うものはよくその的になりやすいが新
聞に「そんな変な格好をするなら鼻水を垂らせ。そのほうがお似合いだ」とい
った内容が紹介されていたがそれに対する反論はなされていなかった。私はそ
の記事を読んだときこれを言った者が首に締めているネクタイと称する奇妙な
紐と同じではないか思ったものだ。
 
 確かにメディアが道徳や理想といったフィルターを通して物事を報道したほ
うが人々にすんなり受け入れられるのも事実である。だがメディアに携わる人
間は自分が一般人の代表と言う面だけで4なく情報を流す面も持つことを自覚
すべきであろう。
 
 正しいにしろ間違えているにしろ一方的なものの見方からは問題意識は生ま
れないし深い考えも生まれないであろう。赤信号みんなでわたってしまうこと
が恐ろしいのである。