| 私のある後輩の話だ。彼は新中学3年生の明るい性格を持った子だが、高校受 |
| 験を目前に控える学年に上がることに対して深刻な悩みを抱えているそうだ。 |
| ただやる気がないといってしまえばそれまでのことだが、やはり将来のことに |
| 不安を抱き、勉強することへ意義が見つからずにいるのだろう。私は彼を本当 |
| に素晴らしいと思う。訳も分からず私立の中学に入って、安穏とした気持ちの |
| 中大学受験を向かえる自分が恥ずかしく思えた。今日少年のナイフを使った犯 |
| 罪など、凶悪事件の低年齢化が目立っているが、おそらく彼らの心の中にはた |
| だ流され、突発的に欲望のおもむくがまま行動することしかないのだろう。そ |
| んな現状の改善には彼ら一人一人のちょっとした疑問の目をともに考えてやる |
| ことが大切だと思う。 |
| いじめや自分自身への不安など、大人が思った以上のことを彼らは内に抱え |
| 込んでいる。彼らの心の中の倫理観に基づいた自問自答も、そんな心の中では |
| 堂々巡りを続け、そのうちにもっと現実的な疑問にかき消されてしまう。これ |
| は犯罪行為なのではないだろうか、親はどう思うだろうか、そんな疑問の小さ |
| な種も、もはや集団の中でしか存在できなくなった自分自身に対しての苛立ち |
| の嵐にかき乱されていて、芽を出せないでいるのだ。私もやはり集団の外にい |
| くのは恐ろしい。いつ友達に裏切られるのか不安でしょうがなくなるより、う |
| わべだけの笑顔で友達と付き合う方が断然楽である。しかしそんな状況は決し |
| て退屈なのではなくて、少しでも信用の置ける、垣根を取り去れる友達を探す |
| のに私は結構忙しい。きっと今日の紙面をにぎわしている少年たちは、そんな |
| 努力を知らないのだろう。時として両親や兄弟よりも頼りになる、そんな友達 |
| が彼らにはいなかったのだろう。 |
| 良き友達を作るといったが、二つ目の問題として、集団行動の残酷さを私は |
| 訴える。例えばここで一人の人間が赤信号をわたるとしよう。車がびゅんびゅ |
| ん通っている大通りをわたるのはかなりの決心が必要だ。そんな中、道路を埋 |
| め尽くすような人がいっせいに渡り始めたらどうだろうか。たいした決心もな |
| くその大勢の人に流されていくだけで、彼はきっと道路を渡れるだろう。俗に |
| 言う「赤信号、皆で渡れば恐くない」の境地だ。しかし皮肉にもこの低俗なキャ |
| ッチコピーのパロディが、今日の少年たちに当てはまってしまうのだ。自分を |
| 取り巻く友達、流行、そんなものにただ流れていく彼らが、逆に赤信号で信号 |
| を待つことは難しくなってしまったのだ。道路を渡る際に、「赤信号を渡って |
| はいけません」、そんな幼稚園でも知っているような立派な法律をも覆し、ど |
| うせ車の方が止まるだろう、果てはなぜ車が止まらないのか、まったく常識は |
| ずれの疑問まで飛び出してしまうのだ。私はそこで、少しでも理性や倫理観を |
| 持って、あえてその流れに逆らっていくための友達を作って欲しいのだ。理論 |
| 的にはまったく可能なことだし、当然のことのように思える。しかし実際には |
| 、自分のアイデンティティを任せてしまっている集団を裏切ることになるのだ |
| から相当辛く、難しいことのはずだ。むしろ不可能といっても過言ではないだ |
| ろう。この事は実際の教育の現場でも問題になることだろうし、おそらく文部 |
| 省の官僚の方々も必死に対策を練っているはずだ。こんな時代に無駄とも言え |
| るその努力を、少年たちに訴えたいものだ。 |
| 確かに少年時代に多くの事を考え、理性に基づいて日々を過ごすのは耐え難 |
| い苦痛に他ならない。しかし大人が内に持っている少年時代と、今日の少年時 |
| 代を比べると、いかに今日の方がすさんでいて、無秩序であるかは明白の事実 |
| である。あの神戸の中学生の殺人事件を筆頭に、高校生の銀行強盗や、覚醒剤 |
| の乱用、女子中学生2人が老人をバットで撲殺した事件など、ここ1年の間に数 |
| え切れないほどの少年犯罪が発生した。この無秩序な世の中を変えることがで |
| きるのはその道の専門家や文部省の官僚の方々ではなく、他でもない彼らとそ |
| の周囲の環境なのだ。人間誰もが持っているはずの理性を呼び覚ますことが今 |
| 後の課題となってくるだろう。 |
| 両親の幼児期からの教育の中で倫理観をことさら教育することが効果的な策 |
| ではないだろうか。 |