| ひとこと | (5月2週) |
| 「私は長いこと」を読んで |
| アジサイ | の | 峰 | の広場 |
| T.O | / | いう | 高2 |
| 日本の僧というと平穏無事な顔をイメージし、救済者のような印象を受ける |
| が、そういう人たちの中には僧になるということで自分の地位に安住し、自分 |
| を見つめ直す心構えを忘れている人が多い。そういう人たちが説法を説く立場 |
| になると、以前にも増して自分を見つめなければならないのに、今度はその道 |
| の完成者として安心してしまう。自分より低い立場の者を相手することに慣れ |
| ると、いつのまにか自分が一番偉いと思い込んでしまうことがあるが、それは |
| 現代社会の問題だ。 |
| その原因の一つは、高い地位につくとそこで腰を据えてしまうことだ。こう |
| することによって、初心を忘れて、自分の新たな可能性を見つけようとする姿 |
| 勢を失い、自分の主観的な考え方に埋没してしまう。自分を客観的な目で見る |
| 、つまり自分で自分を厳しい目で見ることを忘れてしまったら、人間性の成長 |
| はありえないと思う。 |
| また、現在の教育者のあり方も原因に考えられる。現在の教育者の中には、 |
| 自分のすることは絶対だと確信しきっている人もいる。体罰事件が10年でわ |
| かっているだけで500件以上もあるというデータから、自分に異議を唱えた |
| 者に対して体罰を加える人も中にはいるということがわかる。教育者に限らず |
| 、企業に勤める人でも、「背に負うた子」または「背に負うた部下に教えられ |
| る」といった初心を忘れてしまっているのではないだろうか。自己満足に陥る |
| ということは、自分の意見だけ信じて他を受けつけないことであり、自分に自 |
| 信を持つ、プライドを持つということとは違う。そういう意味では、自分自身 |
| に満足してもかまわないと思う。「他山の石」というように、たとえ自分より |
| 劣っている人でも自分に無いものを見つけた場合には、自分に対する一つの教 |
| えとして謙虚に受けとめるべきである。しかし、最終的に大切なことは「他山 |
| の石」でも何でもなく、自分でどこまで自分自身を鍛練することができるかと |
| いうことであると思う。 |