| ひとこと | (5月3週) |
| 無題 |
| イチゴ | の | 滝 | の広場 |
| 梓 | / | あすな | 中3 |
| 「ああすれば、こうなる」型の社会では、現実よりも未来に重点がおかれ、 |
| いつも目的が未来にあり、現在という時間は未来のために使われている。「漠 |
| 然たる」未来は、現代社会ではただちに拘束され、急速に失われていく。 |
| では、未来の本来の意味とは何なのか、それはなにが起こるか分からない、 |
| そういうものである。つまり、わたしたちは常に「現在」を感じて生きていかな |
| ければならないと思うのだ。現在という瞬間は、見えないものであるから粗末 |
| に扱いがちで、けれど生きているのだから、自分の中で何も考えずに、ただ時 |
| のたつのを眺めてみる。昨日と比べてみると何かが違ったりする。それが、「 |
| 現在」を感じることになるのかもしれない、と私は考える。 |
| 街ではみんなせかせか歩いていて、ぼぅっと突っ立っていようものなら逆に |
| 白い目で見られてしまう。そんな社会の中で,自由気侭に生きている人の方が |
| 、時間に追われる社会人より、数倍も輝いていると感じ、同時にうらやましい |
| と思うのは、私に限ったことではないと思うのだ。みんなどこかで感じていて |
| 、だけど口には出さない。そういうことではないだろうか。 |
| 小学校の時には中学校のことを考え、中学校では大学のことを考え、更に大 |
| 学では社会のことを考える。自分の未来に最短距離でいくために日夜努力する |
| 生活も悪くはないと思うが、「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独 |
| 自の価値を持っている。」とあるように、人間に残された数少ない時間の中で |
| 、有意義な時間を過ごせればよいとおもう。 |