| ひとこと | (6月2週) |
| 南妙法蓮華教 |
| アジサイ | の | 池 | の広場 |
| 拓馬 | / | ねき | 中1 |
| 頭の中では、時間は過去、現在、未来に三分割される。しかし、時間直線を |
| 書けばわかるように、「現在」という時は、未来から過去へと移る、時の瞬間に |
| 過ぎない。当然それとはちがく、私たちは「現在」という時間に幅を持たせる |
| のは当然の前提である。この現在の幅というのは予定された未来、つまり「あ |
| あすればこうなる」で囲い込まれた時である。それなら未来は何かというと、「 |
| ああすればこうなる」が通用しない時間である。しかし、今は、未来にも「あ |
| あすればこうなる」を取り入れてしまっていて、「予定された未来」を予定ど |
| おりに生きている。それを若い人たちは常識としてしまっている |
| 若い人たちが予定どおりに動き、それを常識としてしまっているのはそれぞ |
| れ理由がある。 |
| まず、なぜ予定どおり動いているかというと、今の時代、スピードと精度が |
| 要求されているからである。時間に余裕がないのである。無駄は省いて、必要 |
| なことだけをやろうとしているのである。こういう事は一見合理的に見えるが |
| 、じつは、人生という時間を、効率悪く使っているのである。もしも自分にと |
| って無駄だと思うことはやらない、ということをしていたら、たぶん、いや、 |
| 絶対に良い人間にはならない。例えば、テレビを見ることが無駄だといって、 |
| テレビを見なかったら、情報は新聞でまかなえるとしても、周りの話について |
| いけず、一人取り残されてしまう。そして、友達関係もうまく行かなくなる |
| 次に、なぜそれを常識としてしまっているかというと、さっきも行ったとう |
| り、 |