| ひとこと | (6月3週) |
| 「誰かがいつか」を読んで |
| アジサイ | の | 丘 | の広場 |
| 正之 | / | おき | 高3 |
| 人は、肉体と神経の疲労のバランスがとれなくなると眠れないことがある。 |
| こうした場合は、どちらか疲労の少ない方をもう一方に見合うように疲労の度 |
| 合いを高めれば良い。つまり、ここでは、その神経と肉体それぞれが乖離した |
| まま別々のレベルの疲労を課せられ、そのバランスが崩れつつある点に問題が |
| あるということを言いたいのである。そして、こうして神経と肉体の疲労が同 |
| 様に高まらないがために、この手応えのない世界の不安が我々の中に生じてし |
| まうのである。 |
| そうすると、何をしても充分に満足できないというような欲求不満に陥り、 |
| 充足感を味わえなくなるようになってしまうのである。今の社会では、そうし |
| た何事にも不満であるということが問題になっている。 |
| だから、そのためには、実際に心と肉体の両方を疲労させていくようなこと |
| をしていくべきであると思う。例えば、マラソンなんかはその典型的な例であ |
| ろう。私は、学校の体育の時間に、マラソンとはいえないものの持久走で4k |
| mを走ることがあった。走っている間は、ペース配分を考えたり周りで走って |
| いる人の状況などを見たりして、時には気力で速く走ろうとすることもあり、 |
| また体の方は時間がある程度たつと相当疲れたにも関わらず、そのまま走り続 |
| けなければ行けないという状態なのである。それだけすれば、走り終わった後 |
| は心身ともに大変疲れると同時に、一生懸命走ったという充分な満足感が得ら |
| れることになるだろう。 |
| そして、現代に普及している便利なものを使うのではなく、伝統ある物や古 |
| いものをなるべく使い、自分なりの努力をしていく必要があると思う。例えば |
| 、野口英世は学校で勉強するための教科書を買うお金がないがために、同じ学 |
| 校を卒業した先輩達から、教科書の部分部分を集めて、自分自身で教科書を作 |
| ったそうである。こうして、地道に努力して、勉強ができるようになると、本 |
| 当に満足でき、実感できるようになるものなのであろう。 |
| 確かに、現代社会に広まっているパソコンや計算機のような便利なものを使 |
| うと、効率の良さという点などで良いかもしれない。しかし、「急がば回れ」 |
| と言うように、近道をしさえすれば良いのではなくて、遠回りする過程におい |
| ての努力が自分自身にとって、心から満足できるものであると思う。 |