| ひとこと | (6月3週) |
| 人間以外の動物 |
| アジサイ | の | 丘 | の広場 |
| 酔月 | / | あも | 高3 |
| 動物の世界において、本能のままの行動というものは、選択の余地なく予め |
| 秩序づけられているものである。ところが、人間の世界のそれは、文化という |
| 第二の自然ともいえる装置を通してしかできない。また、自らが創り出した文 |
| 化という装置は、そこからはみ出した部分をタブーもしくはインビジ(Iネッ |
| ト用語)にしてしまうのである。 |
| 私は、文化を通して物を見るということをしていくに連れて、異文化に対す |
| る偏見を持ちがちになることが問題であると思う。この状況下では、国際的な |
| 交流を深める、と言うようなことが難しくなってきて、閉鎖的、排他的な環境 |
| になりやすくなってしまう。 |
| この対策として、視点を変えて観る(試る)ということがある。視点を変え |
| ることで自分の環境を評価するまでに至ることができるのである。こうなれば |
| しめたものである。 |
| 宗教の思想というものは、世界的な規模ではあるが、独自の価値観を生み出 |
| してしまっている。キリスト教ならばキリスト、仏教ならば仏、というように |
| 。外国には不思議がられるような無宗教の私たちの目には、「まぁたそこで、 |
| 神が出てくるよ。」というような具合である。宗教の自由を侵すつもりはない |
| が、すべてを神に関連付けてしまうような宗教というものに少しならず、偏っ |
| た見方が在るように思われる。 |
| また、相手の意見をとにかく聞いて試るということがある。相手の意見を聞 |
| くことで、相手の状況を理解することができる。ここに、ドクサ(思い込み) |
| からの開放が生まれるのである。 |
| 加藤修一は、オフサイドの感覚という文章の中で、批評家はずるい、と述べ |
| ている。小説家が時の状況に合った文章を書いている。これにもかかわらず、 |
| 批評家というものはそういった状況を考慮せずに無視して、評価するからであ |
| るという。つまり、批評家が小説家の状況を理解してこそ、公正な批評合戦が |
| できるのである。 |
| 確かに、独自の文化をもって、他に流されないというのは、すばらしいこと |
| であるが、特殊性を追求しすぎてしまうと、陰気になってしまう。だから、開 |
| かれた社会に独自の文化を加えているのが良いと思う。 |
| 朱に交わって、藍に交わって、緑に交われば白になる。つまり、多くの文化 |
| をたくさん取り込んで、真っ白になったところに、色付けをすることが独自の |
| 文化を生かす方法なのではないだろうか。 |