| ひとこと | (6月3週) |
| 無題 |
| イチゴ | の | 道 | の広場 |
| FD3S | / | あしあ | 高1 |
| 現代社会において、人間はしばしば神経の疲労と肉体の疲労のバランスを欠 |
| くことがある。これは神経と肉体が乖離して世界を体験し、乖離したままそれ |
| ぞれのレベルの疲労を課せられるためである。人間はこの世界に手応えを感じ |
| なくなり、それへの不安が焦燥感を生み、それがやみくもに手応えあるものに |
| 発散されようとしている。 |
| 今我々は自分が体験していないものをさまざまなメディアを通して知り、あ |
| たかもそれを体験したかのように感じることがある。例えばテレビで野球中継 |
| を見たりするのがそれであるが、しかしこれは体験でもなんでもない。なぜな |
| らその場の雰囲気を肌で感じたわけではないからである。 |
| 社会全体がそれを理解した上でこれらのものを見るのなら良いが、これを理 |
| 解している人は意外に少ない。このことは社会にさまざまなことに対する意欲 |
| や好奇心をなくさせる。それを防ぐためにも人間は物事を知識だけでなく肉体 |
| でも体験するべきだ。 |
| その方法として、我々は体験することをおっくうがらないことだ。我々は( |
| 少なくとも私は)なにかと必要最低限のこと意外のことは面倒くさいと思って |
| つい怠けてしまいがちであるが、これでは今までテレビで済ませてきたことを |
| 体験しようと言う気にはならないであろう。 |
| もう一つの方法として、社会はもっと様々なことを体験することを当たり前 |
| のこととして考えるべきだ。なぜならそうすれば人々は意欲的にそれをするよ |
| うになると思うからである。例えば、仕事のほかに、何か趣味を持ってそれに |
| も積極的に打ち込んでいる人がいるとしよう。その人は社会からは「ろくに仕 |
| 事もしないで」などと後ろ指を差されがちだが、その人は積極的に体験しよう |
| としているのである。このようなことを否定する社会は改善されるべきだ。 |
| 確かにゆとりのない現代社会は精神だけで体験して、それを気晴らしとして |
| きた。しかし結果的に体ごと体験することを否定するにいたってしまった。こ |
| のままでは人々にとって社会は退屈なものになってしまう。案ずるよりも生む |
| が易しと言う言葉があるように、何事も体で体験してみないとわからない。だ |
| から人々はもっと体で体験することを大切にし、様々なことにチャレンジする |
| べきだ。 |