作文を書く力は、年齢によって急に変わる時期があります。
最初は、小学3年生になるときです。
それまで、自分のしたことをただ書くことに喜びを感じていた小学2年生が、3年生になると読む人を意識して書くようになります。
作文に書く題材についても、単純に今日のことをそのまま書くのではなく、自分なりに面白い話を選んで書くようになります。
また、表現も工夫して書くようになっていきます。
この小学3年生から小学4年生にかけてが、小学生の作文が最も子供らしくのびのびとしたものになる時期です。
小学5年生になると、考える力と構成する力がついてきます。
5年生になると、作文に自分の内面的な心の動きが出てくるので、身近な人に作文を読まれることを嫌がる子も出てきます。
小学生新聞などに入選して心から喜べるのは小学4年生までで、5年生になると喜ぶよりも恥ずかしがるような面が出てくるのです。
この小学5年生から中学2年生までが、子供が作文をいちばん書きにくく感じる時期です。
それは、読む力と書く力の差が出てくるからで、読む力のあとから書く力が伸びるために、自分の書く作文が物足りないと感じるようになるためです。
中学1年生になると、言葉の森の作文の課題がそれまでの事実文や説明文から意見文に変わってきます。
意見文になると、事実や実例を書くよりも、自分の考えを中心に組み立てることが必要になるので、その意見文に応じた語彙力が必要になってきます。
生活作文の場合は、日常に使っている言葉と作文に使う言葉の差がそれほどないので、作文を書くことにあまり苦労はしません。
しかし、意見文になると読書によって語彙力をつけていることが作文の語彙の土台になるので、読む勉強を伴わないと作文が書けなくなるのです。
中学3年生になると、それまでの勉強の蓄積と、年齢的に物事を社会的に考える力がついてくるために、意見文を書く力が自分なりにコントロールできるようになってきます。
したがって、中学3年生からが、安定した文章の書ける時期です。
作文を大人並みに書く力は、この中学3年生のころの作文の勉強で身につくのですが、実はこのあとに更にもう一度進歩する年齢があります。
それが高校3年生です。
高校3年生になると、社会的な意見文や論説文を書く力が一段上に上がります。
ですから、本当はこの高校3年生から大学生にかけてが、難しいテーマの文章を読んだり書いたりすることに最も力のつく時期なのです。
ところが、この時期は大学入試の勉強に追われ、大学に入ればそれまでの受験勉強とは打って変わってあまり勉強もしないし本も読まない生活になってしまう人が多いのです。
本当は、この大学生の時期に古典を読むことができれば、その人の考える力の基礎は確実に身につきます。
古典というのは、古今東西の名著で、物語文よりも説明文に属する本で、気合いを入れないと読めないような難い本のことです。
大学生で、自分の実力を確実に身につけたいと思う人は、こういう読書を学生時代にしていくといいと思います。
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学生時代は、自分も遊んでばかりいたのであまり人のことは言えませんが、いちばん大事なのはやはり難しい本を読むことです。
すぐには役立たないように見える読書が、あとになると生きてくるのです。
そのためには、中学生、高校生時代に、読書の習慣を絶やさないことです。
そして、そのためには、小学生のうちに説明文の読書の面白さを感じられるようになっておくことです。
言葉の森の教材は、本当は大学生、社会人になっても続けられるようになっていますが、メンテナンスが大変なので、今は高校3年生の課題で卒業ということにしています。
いずれ、大学生・社会人の課題も復活させたいと思います。
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木彫りは掘って削っていくことだけだが、塑像は粘土でいくらでも付け加えて調整ができる。そこで何度も手を加えてしまう。そこに、卑しさのようなものが出てくる。
このようなことを、木彫りの彫刻家池上俊氏が、中島多加仁氏との対話の中で話していました。(「超宗教」中島多加仁著より)
中島氏はそれに関連して、水墨画や書に見る1回限りの仕事と、西洋の油絵などの何度も上書きできる仕事との対比していました。
同じことは、文章を書くことについても言えます。
手書きの作文であれば、手直しをすることはあまりできません。特に、ペンで手書きの作文を書けば、うっかり間違えた場合でも大幅な手直しはできなくなります。
そこで、文章を書くことに、一種の気合が入るのです。
ところが、パソコンのキーボードで入力するときは、手直しが容易にできるためにかえって時間がかかってしまうことがあります。
だから、パソコンの入力をするときも、できるだけ直さずに書くということを心がけていくといいのです。
しかし、人間の考えるスピードは手書きやパソコン入力よりもずっと速いので、書いているうちに文章の流れが不自然になることもあります。
ここが難しいところです。
また、日本語の場合は特に同音異義語の変換をしなければならないために、パソコン入力では思考の流れが中断されるということもあります。
ところが、ここに新しい入力方法として、音声入力というやり方が出てきました。
音声入力は、考えながらゆっくり喋るようにすれば、少し慣れると誰でも楽にできるようになります。
この音声入力の利点は、同音異義語の選択による思考の中断がないことと、言い直しや修正がしにくいことです。
そのため、ゆっくり話していけば、同音異義語の変換と文章の修正という後戻りがないために、手書きやキーボード入力よりもずっと早く文章をテキスト化することができます。
これが、文脈によって文字変換をするようになった深層学習の成果だと思います。
ただし、音声入力は自分が喋ろうとする内容の全体の見取り図を持っていることが必要です。
その見取り図は、構想図を書く過程で深めておくという形の分業ができます。
今後の作文は、この音声入によるテキスト変換が第一で、第二に手書きOCRによるテキスト変換というものになっていくと思います。
付け加えることのできるやり方ではなく、削ることしかできないやり方で物事を仕上げて行くのが作文のひとつのコツになるのです。
だから、今後の作文指導は、長くたくさん書くことよりもむしろ、短く削っていかに簡潔に書くかということが重点になってくると思います。
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文章を書くときは、消しゴムを使わないつもりで書いた方がいいものが書けます。
いつでも消して直せると思うと、かえって書くことに時間がかかり、そしていい文章が書けないのです。
これが、記述問題の練習をするときの一つのコツです。
推敲というのは、推す(おす)か敲く(たたく)のどちらにするかという選択から来た言葉ですが、気合いが入っているときに書く文章は、そういう選択はほとんど出てきません。
だから、時間をかけた作文より、あっという間に書き上げた作文の方がいい文章になっていることが多いのです。
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昔、学習院大学の学長だった木下是雄さんが、「理科系の作文技術」という本を書いていました。(1981年)
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今、見てみたら、その漫画版も出ているようです(笑)。
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私もちょうどそのころ、理詰めに書く文章が大事だと思っていたので、その内容を共感を持って読みました。
国語というと、文章表現の巧みさのようなところで評価されることが多いようですが、生活に役立つ国語は理屈で成り立つ国語です。
当時行われていた国語を教える学習塾では、学年が上がるにつれて古文や漢文の世界に進んでいくようでしたが、それは国語の本来の方向とは違う気がしました。
そこで考えたのは、国語の究極の目標は哲学であり、それはまた理系の頭脳を必要とするということでした。
今の国語の先生の多くは、文系の教科として国語を考えているので、子供たちにも理屈で説明しきれない心情や表情などを過大に評価する傾向があるように思います。
また表現の上でも、川がさらさらと流れているか、とうとうと流れているかというようなニュアンスの違いをやはり過剰に重視する傾向あるように思います。
さらさらか、とうとうかということは、文化の問題であって国語の問題ではありません。
国語の本質で大事なことは、流れているかどうかということと、更に詳しく説明するのであれば、その流量や速度や川幅や透明度がわかるように表現することです。
そして、それを単なる自然の記述だけに終わらせないために、そこにより抽象的な思考が入ってくるのです。
抽象的な思考とは、なぜそこにそう流れているのかとか、それをどう生かせるのかというような、今の川の現象面を超えた思考です。
だから、国語の好きな人は、国語でとどまらずに理系の勉強を進める必要があり、逆に、理系の人は国語の文章力を伸ばすようにしていくことが大切で、その両者の共通点は、哲学的な深い思考にあると思ったのです。
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理科系の国語ということで、小学生の子供たちに奨めたいのはこういう本です。
理科好きな子に育つ ふしぎのお話365
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この本は、単に現象面だけの不思議な話にとどまらず、その原因などもわかりやすく書かれています。
言葉の森の高校生の作文項目に「自然科学実例」というのがありますが、その実例としても使える内容ですから、小学生だけでなく、中高生も読んでみる価値があると思います。
自然科学系のわかりやすい本を読むと、子供たちはその話をすぐにほかの人に伝えたくなります。
それは、人間に知的好奇心というものがあり、何かを理解できたということがうれしいからです。
子供のそういう話を聞いたお母さんやお父さんは、それをうるさいとは思わずに(笑)、感心して聞いてあげることです。
そして、できれば、子供の話を上回る質問をして、一緒に考えてみるといいのです。
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