話すことが普通にできても、文章が全くと言っていいほど読めない人がいます。例えば、日本に来て何年か暮らしている外国の人などです。
話をする分には、読む力がないとは感じられませんが、日本語の文章というものを全く読もうとしないのです。
一語ずつ読むことはもちろんできるのかもしれませんが、文章として理解するという読み方ができないのです。
それと同じ状態になっている小学生の子が、最近見られるようになってきました。
これはたぶんテレビやスマホやタブレットのようなビジュアルな情報機器によって、文字を読むという時間がなかったからだと思います。
こういう子供たちも、小学校の中学年までの勉強は、耳で聞いただけで分かるような内容ですから、学校の勉強にもついていくことができます。
しかし、小学校高学年から、文章として読まなければ理解しにくい抽象的な考え方の言葉が出てくると、急に勉強についていけなくなるのです。
これが、今日起きている読解力の不足の最も大きな問題です。
この子たちに、どう読む力をつけていくかというと、その方法は論理的に読む練習をするいうようなことではありません。
言葉と言葉のつながりをひとまとまりの意味のあるものとして実感できるようにする練習が必要なのです。
その方法は、繰り返し音読をすることです。
精読とは、論理的に読むことではなく、同じものを繰り返して読むことです。この繰り返し読むという学習を助ける読み方が音読です。
音読の復読(繰り返し読むこと)という単純に思えるような学習方法こそが、逐語的な読解力が育っていない子供たちがまず最初に取り組むことなのです。
さて、では次に、読む力は十分にあり、論理的に読むこともでき、読解問題は普通に高得点が取れるような子の、更にレベルの高い読み方である創造的読解力をつけるにはどうしたらよいのでしょうか。
(つづく)
話すことが普通にできても、文章が全くと言っていいほど読めない人がいます。例えば、日本に来て何年か暮らしている外国の人などです。
話をする分には、読む力がないとは感じられませんが、日本語の文章というものを全く読もうとしないのです。
一語ずつ読むことはもちろんできるのかもしれませんが、文章として理解するという読み方ができないのです。
それと同じ状態になっている小学生の子が、最近見られるようになってきました。
これはたぶんテレビやスマホやタブレットのようなビジュアルな情報機器によって、文字を読むという時間がなかったからだと思います。
こういう子供たちも、小学校の中学年までの勉強は、耳で聞いただけで分かるような内容ですから、学校の勉強にもついていくことができます。
しかし、小学校高学年から、文章として読まなければ理解しにくい抽象的な考え方の言葉が出てくると、急に勉強についていけなくなるのです。
これが、今日起きている読解力の不足の最も大きな問題です。
この子たちに、どう読む力をつけていくかというと、その方法は論理的に読む練習をするいうようなことではありません。
言葉と言葉のつながりをひとまとまりの意味のあるものとして実感できるようにする練習が必要なのです。
その方法は、繰り返し音読をすることです。
精読とは、論理的に読むことではなく、同じものを繰り返して読むことです。この繰り返し読むという学習を助ける読み方が音読です。
音読の復読(繰り返し読むこと)という単純に思えるような学習方法こそが、逐語的な読解力が育っていない子供たちがまず最初に取り組むことなのです。
さて、では次に、読む力は十分にあり、論理的に読むこともでき、読解問題は普通に高得点が取れるような子の、更にレベルの高い読み方である創造的読解力をつけるにはどうしたらよいのでしょうか。
(つづく)