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読解検定
 難しい文章を読み取る力をつける
 ドルくんの 読解検定  編集
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題名:○都会にはむろんのこと
 都会にはむろんのこと、日本の町々には、ある大切な要素が欠けている。 

  ―沈黙(ちんもく)である。静寂(せいじゃく)である。 

   (中略)

       わが屋戸(やど)のいささ群竹(むらたけ)吹く(ふ )風の 

            音のかそけきこの夕べかも 

   夕風にそよいで、かすかな葉ずれの音をたてている群竹。作者の大伴家持(おおとものやかもち)は、その静寂(せいじゃく)にじっと耳を傾け(かたむ )ている。このような、かそけき音にひかれる心の姿というものこそ日本人特有の姿だった。古池に飛び込む(と こ )蛙(かわず)の音、ほかの国の人たちが聞いても、おそらくなんの感興(かんきょう)もおこさないであろうような、そのような音を、日本人が何世代にもわたって味わい続けてきたのは、それが「音」だったからではない。「静けさ」だったからなのだ。全山に降る蝉しぐれ(せみ   )、岩にしみ入るようなその蝉(せみ)の声に芭蕉(ばしょう)は耳をとられ、そして、その一句に「閑(しず)かさや」という適切な初語を置いた。 

   静かさというものは、音のない状態をいうのではない。音が音として、くっきり浮かび上がる(う  あ  )、そのような空間と時間をさすのである。音は「静寂(せいじゃく)」というカンバスに描か(えが )れて、初めて「音」になるのであり、同様に静かさというものは、そこに音がくっきりと浮かび上がる(う  あ  )ことによって「静寂(せいじゃく)」となる。 

   湯のたぎる音が茶室の静寂(せいじゃく)をささえ、懸樋(かけひ)の水音が庭の閑寂(かんじゃく)をいっそう深いものにする。かぼそい虫の声が秋の夜の静けさを呼び、炭火のはじける音が冬の午後の沈黙(ちんもく)を生む。こうした「音」と「静寂(せいじゃく)」のこよなき調和の場こそ、日本人の愛した生活の空間であり、暮らしの時間だった。 

   だが、「文明」が進み、「文化」が発展するのと歩調を合わせて、静寂(せいじゃく)は私たちから、反対に遠ざかってしまった。日本の都会の、日本の町々のどこに、「群竹のかそけき音」を耳にしうる場所があろうか。ほんのわずかでも、ほんのいっときでも、静かに思いにふけることのできる空間や時間が、都会の、町々のどこに残されているというのか。 

   全く逆なのである。私たちの文明とは、静寂(せいじゃく)を騒音(そうおん)に変えることだったのであり、私たちの文化とは、「かそけき音」を拡声器でただやたらに増幅(ぞうふく)することだったのだ。 

   日本の町々には、便利さのための、ありとあらゆる施設(しせつ)が造られている。そして、これからも造られようとしている。たった一つ、「静寂(せいじゃく)の空間」を除いて。 

   現代の日本の文明は、静寂(せいじゃく)だけはつくりだすことができないのである。いや、つくりだせないのではなく、つくりだそうと思わないのだ。静寂(せいじゃく)な空間とは、空白な空間であり、むだな空間だと思っているからである。自然は真空をきらうというが、現代の日本人は沈黙(ちんもく)をきらう。きらうのではなくて、恐れ(おそ )ているのだ。だから、少しでも、静寂(せいじゃく)の場所があれば、あわててそこを騒音(そうおん)でふさごうとする。 

   武器は拡声器である。駅でも、交差点でも、公園でも、横丁でも、喫茶店(きっさてん)でも、ホテルのロビーでも、大学の構内でも、寺院でさえ、今や騒音(そうおん)なしには存在しえない。岩にまでしみ込む(  こ )ほどの「閑(しず)かさ」の力を、日本の社会は、とうとう文明によって追放してしまった。そして、人々を沈黙(ちんもく)の恐怖(きょうふ)から救い出し、静寂(せいじゃく)の不安から連れ出した。 

   さあ、もう安心するがいい。どこにいても、騒音(そうおん)が付き添っ(つ そ )ている。どうだ、寂しく(さび  )ないだろう……。 

   こうして、人々は、騒音(そうおん)に取り巻かれ、その中で安心して憩い(いこ )、眠る(ねむ )。 

   しかし、これほど夢中になって音を製造したにもかかわらず、私たちは、実は何一つ「音」を聞いていないのである。聞こうにも、聞くことができないのだ。私たちのまわりに、いったい、生活のどんな音があるというのか。 

   折にふれ、人々は、夜明けとともに聞こえてきた納豆売りの声、夕べとともに響い(ひび )た豆腐(とうふ)屋のラッパの音を懐かしむ(なつ   )。だがそれは、実をいうと、物売りの声やラッパの音そのものを懐かしん(なつ   )でいるのはなく、そうした生活の音をしみじみと聞くことができた「静かさ」への郷愁(きょうしゅう)なのである。現に、それに代わる生活の音なら、今だってまわりにたくさんあるではないか。けれど、私たちには、もうそれが聞こえない。なぜなら、音の一つ一つが、くっきりと浮かび上がっ(う  あ  )てくるような静かな空間、沈黙(ちんもく)の時間を捨ててしまったからだ。そして、すべての音を、「文化」の名のもとに、単なる騒音(そうおん)につくり変えてしまったからである。 

   島根県の山あい、津和野(つわの)の町で、私は久しぶりに忘れていた「音」を聞いた。それは、町のいたるところを流れる用水のささやきだった。 

  この町には、九千人という人口の十倍もの鯉(こい)が放されているのだ。 

   夜、八時、私は宿を出た。祇園(ぎおん)町を通り、新町通りを抜け(ぬ )、殿町(とのまち)を過ぎ、大橋を渡っ(わた )た。どこを歩いても、足もとに用水の鳴る音がついてきた。それはまさしく津和野(つわの)の町の音だった。 

   三百年来、この町の人たちは鯉(こい)を飼ってきた。「食べない、捕ら(と )ない、殺さない。」といって。だが、人々はただ鯉(こい)をだいじにしたのではない。鯉(こい)をだいじにすることによって、この用水の音を大切にしてきたのだ。水の「声」に耳を傾ける(かたむ  )ことのできる静かさを。 

   大橋に立って、私は改めて思う。 

   日本の暮らしのなかで、どんな「かそけき」音でも聞くことができ、それに耳を傾ける(かたむ  )ことができる。そのような空間をつくること、そのような時間をもつこと、これこそが本当の文化、本当の生活なのではなかろうか、と。

 

  (森本哲朗(てつろう)「日本のたたずまい」)

問7 読解マラソン集4番「都会にはむろんのこと」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 人間は、「古池に飛び込む蛙の音」のような小さな音に静けさを感じる
B 静かさというのは、どこからも騒音の聞こえてこない状態を言う
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答選択:

問8 読解マラソン集4番「都会にはむろんのこと」を読んで次の問題に答えましょう。
 ○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 日本の町々では、いま「静寂の空間」作りが進められている
B 静寂な空間というのは、無駄な空間だと思われている
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答選択: