未ログイン ログイン
読解検定
 難しい文章を読み取る力をつける
 ドルくんの 読解検定  編集
※最初にログインをしてください。言葉の森の団体コードは、aaa001です。
※番号を選択し「確認」ボタンを押して送信してください。

題名:★明治以後のわが国の文化は
 明治以後のわが国の文化は翻訳(ほんやく)文化である。西欧(せいおう)の文物を摂取(せっしゅ)して、これを消化するのに懸命(けんめい)の努力で払わ(はら )れてきたが、翻訳(ほんやく)とはどういうことかという問題が最近までほとんどとり上げられないでいたのは興味ある事実である。 

   まず、翻訳(ほんやく)といっても、すべてのものが翻訳(ほんやく)されるわけではないが、このことがあまりにもしばしば忘れられている。ヨーロッパの言語と日本語とのように言語の性質がいちじるしく異なっている二国語間において、翻訳(ほんやく)されうる部分は普通(ふつう)に考えられているよりもはるかに小さなものでしかない。 

   そのうち、もっとも翻訳(ほんやく)しやすいのは、パラフレイズを許容する、思想内容、論理、事実などであろう。かならずしも妥当(だとう)な考え方とはいえないが、かりに、言語を内容と形式に二分するならば、翻訳(ほんやく)とは形式を犠牲(ぎせい)にして内容を伝えようとする作業にほかならない。翻訳(ほんやく)そのものがすでにそのような前提に立つ以上、翻訳(ほんやく)文化において、内容が尊重されるのは当然のことである。形式とか形式的というのはつねに否定的な意味合いにおいてのみ使われる語であった。 

   ヨーロッパ文化は優秀(ゆうしゅう)であるとなると、ヨーロッパの言語に含ま(ふく )れている思想内容もすべてすぐれているのだと決めてしまう。それがどういう表現形式をとっているかは問題にされない。思想中心の書物においてそうであるばかりではなく、文芸においても思想がもっとも重視されるという傾向(けいこう)が固定する。文学においては、思想が大切であっても、それはナマの思想ではなく、表現という衣裳(いしょう)をまとったものであることは理屈(りくつ)でわかっていても、その衣裳(いしょう)を訳出するのは不可能である。また、表現の微妙(びみょう)な味わいまで感得することは翻訳(ほんやく)文化の草創期にあっては期待し難いことでもあった。 

   まず、かいなでの翻訳(ほんやく)でわかるところだけで満足するほかはなかったのである。それが思想内容というわけだ。そしてこの思想が何よりも重視されるのである。芸術においてすら思想が最優先し、すぐれた芸術作品であっても、いわゆる思想がはっきりしていないという理由で却(しりぞ)けられるということも珍しく(めずら  )ない。 

   思想があればよい作品だというのは、どんなひどい料理をしてあっても材料に栄養があれば、おいしく食べるべきだというのにも似た乱暴な考え方である。いかにおいしいものでも料理の仕方がまずければ食べものにならない。そんな素朴(そぼく)なことでさえ、翻訳(ほんやく)文化に埋没(まいぼつ)した時代の人たちにはわからなくなってしまっていたのであろうか。 

   それでも、まあ、思想だけはとにかく移植し得たようにわれわれは考えてきたのだが、果たして思想を本当に翻訳(ほんやく)し得たであろうか。思想はきわめてしばしばそれを表現する言語と密接不可分である。言葉の形式を捨ててしまっては、思想だけを正しく訳出することすら困難なのではないか。わが国では明治になるまでいわゆる翻訳(ほんやく)――原語の形式をすてて意味を伝える転換(てんかん)方式としての翻訳(ほんやく)をほとんどしたことがなかったことが思い合わされるのである。 

   たとえば、中国大陸から渡来(とらい)した文化を理解するのに、翻訳(ほんやく)にはよらずに、原文を生かしながら読む訓読法を案出したのである。これは語順のいちじるしく違う(ちが )二言語間の理解のための処理としてきわめて賢明(けんめい)なものであるということができよう。訓点読みが原語の形式、音声を大きく歪め(ゆが )ているのは言うまでもないが、それでもなお、原語の一部分は保たれているから、形式がまったく不問に付されることはない。それだけいわゆる翻訳(ほんやく)よりはすぐれているとも考えられるのである。 

   欧米(おうべい)の学術書の翻訳(ほんやく)など、論理と思想が伝わればよいような場合において、きわめて難解な訳文になっていることがすくなくない。原文を見ると達意の文章になっていてすこしのよどみもないのに訳文では何のことかわからないということがおこるのである。そういう例を見るにつけても、翻訳(ほんやく)可能なはずの内容も、日本語とヨーロッパ語のような構造の異なる言語の間では充分(じゅうぶん)に移し切れないのではないかということを考えさせられる。 

 

  (外山滋比古(とやましげひこ)「省略の文学」)

問5 読解マラソン集1番「ある人は、生きることの」のの長文を読んで、○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 自己の体験を体系的論理的にしたものが思想である。
B 本人が心から思っていることでも、多くの人が同意しなければ、一般的な思想とはならない。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答選択:

問6 読解マラソン集3番「明治以後のわが国の文化は」の長文を読んで、○と×との組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 翻訳は、内容を伝えるために形式を犠牲にする。
B 「まずい料理」のまずさとは、形式のまずさの比喩である。
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答選択: