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読解検定
 難しい文章を読み取る力をつける
 ドルくんの 読解検定  編集
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題名:★なぜ、通常、私たちは
 なぜ、通常、私たちは、「私が『私』といふとき、それは厳密に私に帰属するやうな『私』で」あると考えるのか、また「私から発せられた言葉のすべてが私の内面に還流(かんりゅう)する」(三島由紀夫『太陽と鉄』)と信じているのか。その理由は、私たちが、「自己のなかに必ず跡づけ(あと  )られている他者との関係の動き」を、そうと気づくまでもなくすぐに縮小し、還元(かんげん)してしまうからである。つまり、もう少し具体的に言えば、小林秀雄(ひでお)も繰り返し(く かえ )指摘(してき)しているように、「精神が考へたところを言葉が表現するのだといふ迷妄(めいもう)」をどうしても逃れ(のが )られないからである。

 

  何故人々がこの平凡(へいぼん)な事実を忘れるかといふと、日常生活に於い(お )ても、人々は精神の考へたところを言葉が表現するのだといふ迷妄(めいもう)を如何に(いか )しても忘れられないからである。処が事実、人は考へるのは自分の精神なのか自分の言葉なのか知る由もないのである。考へるといふ事と書くといふ事は二つの事実を指してはゐないのだ。言葉といふ技術を飛びこして何かを考へるとは狂気(きょうき)の沙汰(さた)である。(小林秀雄(ひでお)「アシルと亀(かめ)の子?()」)

 

   私たちはランボーの小説を読むとき、フロベールの小説を読むとき、そこにたしかに作品があるという気がする。そこに独特の音色を聴き(き )取り、生き生きした筆致(ひっち)で描か(えが )れた輪郭(りんかく)とか色彩(しきさい)を見わける。かけがえのないトーンや声調を見い出し、なにかしら新鮮(しんせん)な意味合いが独自な個的特性として刻印されているのを感得する。だからそういう作品(創作され、おくられた言葉)を生み出し、おくった作者がいるということも確実で、疑いようがないと思える。しかしそうした独自性や個的特性は、私たちがふつうそう考えているように、その個人(作者)に本来そなわっているような固有な同一性なのであろうか。自己のうちで必ず自己とは異なる他者との関係の動きを、他者へとおくり返す転送の運動の痕跡(こんせき)を縮小し、還元(かんげん)して、それ自体として充満(じゅうまん)し、自らに現前しているような独自性や個性なのであろうか。

   もし作者(個人)がそれらの言葉の構築(作品)を創造し、おくった絶対的な起源である――言葉を生み出し、おくる行為(こうい)や運動の外側に抜け出し(ぬ だ )、上からそれを宰領(さいりょう)し、統轄(とうかつ)する超越(ちょうえつ)した創造主体である、いわばその「作品」に対して「神」のごとき存在である、と絶対的に決定できるならば、そうみなすことに根拠(こんきょ)があるかもしれない。しかし作者は自分の言葉を創出し、おくる行為(こうい)や運動を開始する真の始源である――その行為(こうい)や運動を上から統轄(とうかつ)する完璧(かんぺき)な創造主体である、と絶対的に決定することはできないだろう。なぜなら作者は、既に(すで )、そしてつねに、おくられている言葉の運動を通して、その運動のなかで、その運動としておくるからだ。まったく恣意(しい)的に定まった必然として動いている形相性(と一体化した意味内容)の相互(そうご)的諸関係の体系的作動のなかにいつも既に(すで )巻き込ま(ま こ )れながら、つねにおくられつつ、おくる運動によって、つまりつねに他なるものとの諸関係の動きを通じて、そういう動きとしておくるからである。語るということ、書くということは、その実情に最も則して言うとすれば、そういう他なるものとの諸関係の動きに参入するということではないだろうか。そうするとどのような個人であれ、作者であれ、言葉を創出し、おくるのではなく、中継(ちゅうけい)しながら組み換え(く か )たり、ずらせたりしているのだと言ったほうが事実に近いのではあるまいか。

問1 読解マラソン集1番の長文「なぜ、通常、私たちは」を読んで、○と×の組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 人間は、他人が考えたことをあたかも自分が考えたことであるかのように錯覚しやすい
B ランボーやフローベルの小説の中には、たしかにそれを生み出した確実な個人がいる
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答選択:

問2 読解マラソン集1番の長文「なぜ、通常、私たちは」を読んで、○と×の組み合わせが合っているものの数字を書きなさい。
A 作品は、作者によって生み出されているとは言い切れない
B 作品は、作者が読み手におくる運動と、読み手から反応がおくられる運動とから成り立っている
1 A○ B○   2 A○ B×   3 A× B○   4 A× B×

解答選択: