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記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
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題名:○最近の日本には
 【1】最近の日本にはプロフェッショナルが少ないと思います。いつからか専門(せんもん)家というか、プロフェッショナルが敬遠(けいえん)され始めた。なぜそうなったか分析(ぶんせき)はしていないけれど、結果としてアマチュアがもてはやされる国になってしまった。【2】何のプロでもない者が、日常感覚でものをいうことが大変重要だというような、そんな価値(かち)観がはびこっています。
 たとえば審議(しんぎ)会などに参加しても、普通(ふつう)の人としかいいようのない委員が堂々と日常感覚の意見を述べる。【3】その情報はいわゆるマスコミで取り上げられるような程度で、実際のところはどうなっているのか、そのデータを知らないのに、ある限られた情報源(げん)に基づく日常感覚があたかもすべての判断の基準かのようなことを主張する。【4】またそれがもっともなことのように、マスコミで取り上げられる。最近はそういうことを頻繁(ひんぱん)に見かけます。
 本来、そういう場は、さまざまな分野のプロフェッショナルの意見を聞くところでした。【5】プロとはあることがらに関する事実がどうなっているのか、少なくともある条件下ではあるにしても、客観的なデータとして把握(はあく)しています。国というものは、プロフェッショナルが運営しなければ危険(きけん)きわまりない。【6】もっとも、最近の政治家も大衆(たいしゅう)に迎合(げいごう)するばかりですから、その程度のアマチュアの政治家が多いということですが。いまの我が国(わ くに)は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
 【7】ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠(こんきょ)がほとんどマスコミに出ている程度のことにある人のことです。自分の知っている範囲(はんい)のことをすべてだと思い込み(おも こ )、あたかもそれが正論(せいろん)であるかのように、堂々としゃべる。そんな風潮(ふうちょう)が目につきすぎます。
 【8】結局、そういう人たちには謙虚(けんきょ)さがないということです。実際のところはよく知りませんが、私(わたし)の知っている範囲(はんい)はこうだけど――といういい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、それを拡大(かくだい)して、人類一般(いっぱん)の普遍(ふへん)的な話としてどうのこうのというような議論(ぎろん)までするわけです。【9】こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。
 プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートが少なくなったということかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味ではありません。【0】自分の頭できちっと考えることができる、しかもその座標軸(ざひょうじく)は古今東西の歴史から、芸術、哲学(てつがく)に通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に自分の尺度(しゃくど)を持ち、したがってすべてのことが判断でき、行動できる。それがエリートです。
 秀才(しゅうさい)と呼ば(よ )れ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆる秀才(しゅうさい)というのは所詮(しょせん)、与え(あた )られた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。問題がつくれない人はエリートではありません。
 戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。すべての子どもに、最初から我(が)がある、などという誤っ(あやま )た前提に立ったために、教育と呼べる(よ  )ような教育をしてこなかったのではないでしょうか。だから、当然のことながらエリートは育たなかったのです。

(松井(まつい)孝典(たかのり)『コトの本質』(講談社))

問1:  ~字
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問4:  ~字
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