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記述の森の記述検定
★10月の問題だけができるようになっています。
 読む力、書く力、考える力を育てる
 記述の森の記述検定  編集
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題名:○釈迦、キリスト、ソクラテス
 【1】釈迦(しゃか)、キリスト、ソクラテス、孔子(こうし)等の語録を読んでだれでも気づくことは、その多くが対話の形式をとっているということである。とくにプラトンの著作(ちょさく)はすべて対話編と呼ば(よ )れているように対話が中心になっているが、経文も論語(ろんご)も、バイブルもその中には対話的要素が少なくない。【2】とくにプラトンの対話編をみると、宗教(しゅうきょう)、哲学(てつがく)、文学などと分化しない以前の、そのいっさいが一つの生命において把握(はあく)されているそういう一種の原始性がある。現代ではあらゆるものが分化し、細分化されつつあるが、その以前の状態のもつ全人性といったものを私(わたし)は尊重(そんちょう)してきた。【3】ここに生ずる対話の精神は現在は消滅(しょうめつ)したのではないかと疑わ(うたが )れる。
 私(わたし)はきわめて初歩的な問題として提出したいのだが、読書とは要するに対話の精神の所産ではないかということである。ごく簡単(かんたん)にいうと、つまり疑問(ぎもん)を持つということだ。【4】それがどんなに幼稚(ようち)なものであっても、人間が青春時代に達すると必ず人生や社会や、あるいは自分自身の生存(せいぞん)の仕方についてさまざまの疑問(ぎもん)を抱く(いだ )。疑問(ぎもん)を抱き(いだ )疑問(ぎもん)を表現するということが考えるということの始まりなのであって、当然その疑問(ぎもん)に答える人を求めるわけである。【5】プラトンの対話編や、孔子(こうし)でも釈迦(しゃか)でもソクラテスでも、その語録を読むと、すべて何ものかから疑問(ぎもん)を投げ与え(あた )られ、それに対して答えるという形式をとっている例が多い。あるいは質問した人間に向かって逆に質問する。【6】それによってその人の抱い(いだ )ている疑問(ぎもん)に明確なかたちを与える(あた  )。つまり問題の問題であるゆえんをはっきりさせるのだ。書物が存在(そんざい)したとしても、まず現に生きている師に出会って、その師の口からの直接的な問答体によって「自己(じこ)」を発芽させる方法がとられたわけである。
 【7】さきに述べたようにプラトンは書物にあまり重きをおかなかったにもかかわらず多くの書物を書いたが、しかし彼(かれ)の本来の仕事はアカデミアにおける研究、あるいは弟子たちとの問答による教育という点に主眼がおかれていたわけで、書物そのものの占める(し  )比重は、今日から考えるとかなり小さかったと思われる。【8】この状態を、書物に対してもできるだけ応用してみることを私(わたし)はすすめたいのである。もっともプラトンが指摘(してき)したように、こちらで問いかけても書物というものは同じ言葉をくりかえすだけで何も答えてはくれない。【9】疑問(ぎもん)を抱い(いだ )て接しても、明確な答えが直ちに得られるとは限らない。
 たしかに書物の限界にはちがいないが、だから書物は不用だということにはならない。この限界があるからこそ、逆に書物に対する我々(われわれ)の無限の探求(たんきゅう)が始まるわけである。【0】これは、田中美知太郎(みちたろう)氏も指摘(してき)しておられる点で、プラトンの真意を知るためには、あらゆる種類の解釈(かいしゃく)、考証、共同研究等が求続的に行われなければならなかったし、そのために読書力が深まった、と。

 (亀井(かめい)勝一郎(かついちろう)『読書論(ろん)』(旺文社(おうぶんしゃ)))

問1:  ~字
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問4:  ~字
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